6月23日、沖縄・慰霊の日。
沖縄戦の組織的な戦闘が終結してから、77年がたちます。
記憶をつなぐためにリニューアルされた「ひめゆり平和祈念資料館」を取材しました。
■県民の4人に1人が犠牲に 77年前の沖縄
6月23日、沖縄県糸満市で行われた追悼式。
過去2年、新型コロナの影響でビデオ参加だった総理大臣も、3年ぶりに出席しました。
犠牲者の名前を刻んだ平和の礎(いしじ)では、子どもや孫を連れて手を合わせる遺族の姿が見られました。
【沖縄戦で父と姉を亡くした赤嶺清光さん(83)】
「姉は艦砲射撃で、自分の目の前で亡くなっているから、ウクライナがどうのこうのすると思い出す。戦争は嫌です。ただ平和を願うだけ」
1945年、激しい地上戦で20万人あまりが死亡し、県民の4人に1人が犠牲になった沖縄。
あれから、77年の月日が流れました。
■「3週間くらいで戻ってこれる」 当たり前の学生生活を送っていた少女たち
戦争を知る世代が少なくなる中で、その記憶を伝えることは、簡単ではなくなっています。
慰霊の日を前に、糸満市にある「ひめゆり平和祈念資料館」を訪ねました。
沖縄戦に動員された10代の女学生たち「ひめゆり学徒隊」の記憶を伝える場所で、県外に住む人たちにも、沖縄戦の象徴のひとつとして知られています。
資料館は、去年、展示をリニューアルしました。
【新実キャスター】
「大きなイラストが目に入ります。数年前に来させていただいた時にはなかった展示物です」
展示室の入り口には、学校に通う生徒たちのイラストが。
私たちと変わらない、当たり前の学校生活を送っていたことが感じられます。
2018年に館長に就任した、普天間朝佳(ふてんま ちょうけい)さんに話を聞きました。
ひめゆり平和祈念資料館で初めての、戦後生まれの館長です。
【ひめゆり平和祈念資料館 普天間館長】
「当時、戦争の時代であっても、彼女たちは本当の戦争が何だか分からなかった。日本軍がすぐに勝って、3週間ぐらいで学校に戻れると思ってた。自分たちは弾の飛んでこない安全な場所で、後方で働くものと思ってた。言葉で伝えようとしても伝わりづらい面があるので、イラストならそれを分かりやすく、しかもイメージしやすくなるのではないかと思いました」
リニューアルのテーマは「戦争からさらに遠くなった世代へ」。
生徒たちが先生につけていたあだ名を紹介するなど、戦争前夜の日々を伝えることを、大切にしました。
77年前の女学生たちが使っていたハンカチやノートなど、かわいらしい雑貨も並びます。
■当たり前の日常が一転 生きた人間にウジのわく世界に
そして、展示は沖縄戦へ。
日常との対比が、その過酷さを浮かび上がらせます。
動員された生徒たちは、負傷した兵士の看護だけでなく、死体の埋葬にもあたりました。
【新実キャスター】
「すごく具体的にイラストが、ピンセットでウジ虫って…言葉で言われても分からないですよね」
【ひめゆり平和祈念資料館 普天間館長】
「子供たちはやっぱり『あぁ~』って驚いたり、怖がったり…。怖がっているんですけど、しっかり話を聞いてはくれるんですね。そういう風に具体的に伝えることがとても大事だと思いますね」
【新実キャスター】
「我々の世代でも、『ウジがわくってどういうこと?』って感覚じゃないですか。ピンと来ないですよね」
【ひめゆり平和祈念資料館 普天間館長】
「実際は、ひめゆり学徒の皆さんも、当時そうだった。生きた人間からウジがわくなんて、びっくりするんですよ、最初は。後で慣れていくんですけども…。戦場では人間の心を失っていくと彼女たちは言ってるんですけど、切断した脚を平気で捨てに行ったりとか。死体を埋葬する時も、最初は土の中に埋めているんですけど、後からは爆撃でもう、とてもそういう状態じゃないので。砲弾であちこちに穴が開いてるんですよね、そこに投げ入れたりする、それが平気でできるようになるんですよね」
■「この場所は無条件に残さないといけない」 運営危機に立ち上がった人々
リニューアルに至る前には、大きな困難もありました。
毎年およそ50万人が訪れていた資料館ですが、新型コロナの影響で、2020年の来館者数は例年の1割程度に。
入館料で運営される資料館は「経営の危機」に直面していたのです。
【MONGOL800キヨサクさん】
「僕たち世代でも、改めて何ができるか。新しい方法がもっともっとあるんじゃないか」
「この場所は無条件に残さないといけない」と地元のアーティストも立ち上がり、支援ライブなどを行って寄付を呼びかけました。
【himeyuri~ひめゆりの詩~】
暗闇の中 母は言った 生の限り生きろと 忘れるな ひめゆりの詩を
歴史にするには早過ぎる 語り継げ ひめゆりの詩を
県内外から集まった寄付は8500万円以上に上り、アーティストたちの歌は、若い人たちが関心を持つ入り口にもなりました。
【来館者(30代)】
「最後の方に行くにつれて、戦争の悲惨な写真だったり、『こういう最期だった』ってなっていくので、なお気持ちが入りやすくなって…。たまに来るのは大事だなと思いました、忘れないように」
伝え方は変わっても、伝えなければならないことは変わりません。
【ひめゆり平和祈念資料館 普天間朝佳館長】
「開館以来、資料館の伝えるメッセージは、変わってないんですね。元ひめゆり学徒の彼女たちが、沖縄戦を体験して心に刻んだ、戦争がいかに悲惨であるか、命がいかに尊いものであるか、そして平和の大切さ。彼女たちからバトンを受け取った私たちは、いかに新しい世代に、体験者が心に刻んだメッセージを、試行錯誤したり工夫したりして、伝えるかだと思うんです」
(関西テレビ「報道ランナー」2022年6月23日放送)