『世界一を誇った輸出品』は「全く見えへん」? 世界品質を支えたスゴ腕検査員は神戸にいた 【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2024年04月26日
【兵動さん】「今回は神戸・三宮です。にぎわってますね。元気のある三宮からスタートです」
■手に持っているのは…「揚げパン?」
これは1980年(昭和55年)頃、神戸市内で撮影された写真です。どこの風景か分かりますか?
【兵動さん】「何のこっちゃ全く分かれへんわ。パンに見えんこともないね。パン?麺かな。なんか中華の達人って感じもしなくもないよね、このお二人が。何これ?要するにこれが何かってことが分からんと始まらんということか。食べ物?いや、でも機械やから…。ちょっと聞いてみるか」
写真の人物が持っているものとは?それでは聞き込み開始です!
【兵動さん】「こんにちは。昔の写真と同じところから写真を撮るというコーナーをしているんですけど。これ何やと思います?」
【街の人】「パン」
【街の人】「揚げパン」
【兵動さん】「揚げパンは神戸で有名ですか?パンは有名?」
【街の人】「パンは有名やけど」
【兵動さん】「後ろに何か機械があるんやけど」
【街の人】「パンじゃないよ。糸じゃない?」
【街の人】「蚕の糸」
【街の人】「毛糸」
【兵動さん】「毛糸?糸?15秒前は揚げパンっておっしゃってたんですけど」
さらに他の方にも声をかけてみます。
【兵動さん】「こんにちは。これ何に見えます?」
【街の人】「どう見ても糸でしょ」
【街の人】「生糸(きいと)か何か。生糸か、羊毛か」
「生糸」か「羊毛」ではないかとのこと。
■老舗の毛糸専門店でも聞き込み
街を散策していると、カフェのテラスでお茶をしている人たちの姿がありました。
【兵動さん】「わぁ、すごい変わったね、この辺も。オープンカフェっていうのかな。外でお茶を飲むにはいい時期になってきたからね。(この界隈は)昔はもうちょっと暗い感じのところでしたし、それはそれで味がありましたけど」
【兵動さん】「さぁ、海側の方に出てきました。阪急さんね。服とか売ってはるわ。あ、ここええやん。『世界の毛糸・手芸材料 ユニオン』やって」
お店の方に声をかけてみることに。
【兵動さん】「ここは毛糸屋さんですか?」
【ユニオンウール株式会社 代表取締役 大西恵司さん】「そうですね。今はなかなか毛糸の専門店ってないと思うんですけれども」
【兵動さん】「昔は確かにありました。私らが青春の頃って、手編みのマフラーとかもらったらこう、わぁってなってた時代がありましたやん」
【ユニオンウール株式会社 代表取締役 大西恵司さん】「ありました」
【兵動さん】「手編みのセーターとか。セーターもらっても『頭が抜けへん!』って言って」
【ユニオンウール株式会社 代表取締役 大西恵司さん】「マフラーよく編んでもらったでしょ?」
【兵動さん】「いやいやいや、僕なんか全然。よく編んでもらったんじゃないんですか?一杯(飲みに)行きましょうか。…って言ってる場合じゃない」
毛糸専門店「ユニオン」は、大西さんのおじいさんの代から続く創業70年以上のお店。
駅前で聞き込みした「羊毛・生糸」からのヒントが得られるのでしょうか?
【兵動さん】「これね、昭和55年頃の写真なんですけど」
【ユニオンウール株式会社 代表取締役 大西恵司さん】「割とまだ最近ですね」
【兵動さん】「笑われますよ。40年以上前なんですよ。ゾッとするでしょ?ちょっと一杯行きましょうか」
大西さんとついつい話が盛り上がる兵動さん。
【兵動さん】「駅の方でこれ何に見えます?って聞いたら、はじめはパンとか揚げパンとか聞いたんですけど、糸じゃないかと」
【ユニオンウール株式会社 代表取締役 大西恵司さん】「そうですね、生糸ですね。明らかに細いですし、ツヤがありますし、生成りばっかりです。おそらく生糸でしょうね」
【兵動さん】「この写真を見た時に、何をしているところか分かります?」
【ユニオンウール株式会社 代表取締役 大西恵司さん】「これは、要は製品にするために、生糸の大きい巻きがここへ到着して、そこからこう、どんどん出荷するんじゃないですか。生糸はもともと日本から輸出する方が盛んだったから、昔はね。昭和の初めとかはそうだったと思いますけどね」
1859年(安政6年)、横浜開港に伴い、山梨や長野、群馬の富岡製糸場など、日本全国で蚕の蚕糸(さんし)業が盛んに。
明治時代から昭和初期にかけて生糸は最大の輸出品になり、世界一を誇るほどだったのです。蚕糸業は日本の近代化に大きく貢献しました。
【兵動さん】「(写真は)輸出する時のワンシーンですかね?」
【ユニオンウール株式会社 代表取締役 大西恵司さん】「そうですね。あるいは、この人が糸の状態をチェックしていますから、生糸の仕上がり具合をチェックしているのかもしれないですね」
【兵動さん】「どこか次に(話を)聞きに行くとしたら、どこに行ったらいいですか?生糸関係とか。とりあえず、これ(写真)は生糸として」
【ユニオンウール株式会社 代表取締役 大西恵司さん】「神戸のフラワーロードを下がっていったところに、神戸税関がありまして、その向かいに『KIITO(キイト)』っていう名前の建物があるんですよ。生糸の検査場みたいなことをやっていたと思うんですね」
ということで、かつて生糸の検査所があったという「KIITO」へ。
■かつての製糸検査所を利用した複合施設「KIITO」
【兵動さん】「神戸税関に着きました。聞くところによると、船をモチーフにして造っているという。これも素晴らしいね。味わいあるよね、建物にね」
船をモチーフに造られた「神戸税関」の建物は、レトロな趣があります。そして、その向かいにあるのが…。
【兵動さん】「神戸税関の向かい。あ、ほんまや。すごいな、この建物も。ここがその文字通り『生糸』の話(に関連する場所)なのかな」
「デザイン・クリエイティブセンター神戸(KIITO)」は、閉鎖された製糸検査所を改修し、創造の場を提供する複合施設として2012年にオープン。図書館やカフェ、子どもの学びスペース、クリエイターの活躍の場としても利用されています。
担当の方にお話を聞いてみると…。
【兵動さん】「皆さんに(写真について)聞いたら、これは生糸じゃないかと。これって、この中ではないですよね?」
【KIITO パブリシティリーダー 大泉愛子さん】「この中ですね。今ですね、こういった検査機を2階の検査所ギャラリーというギャラリーで全て展示して、ご覧いただけるようになっています」
写真はこちらで撮影されたものでした。そして、「検査所ギャラリー」を見せていただくことに。
【KIITO パブリシティリーダー 大泉愛子さん】「もともとは国立の検査所だった時代もあるので」
1923年(大正12年)に設置された「神戸生糸検査所」。
西日本各地で養蚕された絹がこの神戸検査所に集められ、厳密な検査によって輸出基準が決められていました。その基準をもとに、公正な取引が行われていたのです。
今回案内していただいたのは「生糸検査所ギャラリー」。当時の検査機が展示されています。
【兵動さん】「日本にあった検査所は神戸と…」
【KIITO パブリシティリーダー 大泉愛子さん】「当時は横浜にもあったんですね。関西から南がこちらの神戸検査所。それより北は横浜検査所」
【兵動さん】「ここで品質を見て、これだったら輸出していいですよっていう(判断をする)ところがここなんや」
【KIITO パブリシティリーダー 大泉愛子さん】「はい。“品位”をつけるということですね。実は当時、ここに勤めてらっしゃった検査員の方がまだいらっしゃって、年に1回その検査員の方をお招きして、実際に当時のお仕事の話や、検査機のデモンストレーションをしていただくようなプログラムを行っています」
その検査員の方に、連絡を取っていただくようお願いしました。さらに詳しい話が聞けるでしょうか。
■神戸生糸検査所の“最後の検査員”宮垣さん
検査所が閉鎖されるまで検査員として働いていた宮垣さんに、お話を伺えることになりました。
【兵動さん】「これ写真に写っているやつですね。これは何をするものですか?」
写真の人物の後ろに写っていた機械がありました。
【元検査員 宮垣貴美代さん】「生糸をかけて回転させて、何回切れるかという、切断検査」
【兵動さん】「ずーっと回して」
【元検査員 宮垣貴美代さん】「130分(回す)」
【兵動さん】「130分も回しますの?これ、触ったらあかんよね」
【元検査員 宮垣貴美代さん】「いや、生糸は触っても大丈夫だと思いますよ」
【兵動さん】「いいの?触って。わぁ、すごく手触りがいい」
見るからに繊細で柔らかそうな糸に触れてみた兵動さん。
【元検査員 宮垣貴美代さん】「ここが閉鎖されてから10年近くになるので、だいぶ荒れているんです」
【兵動さん】「え、これ10年前の生糸?」
【元検査員 宮垣貴美代さん】「本当は、私らが現役の時はもっと艶やかだし、なめらかできれいだったんですよ」
【兵動さん】「これ見てきれいだと思うし、触ってもきれいだけど、全然違いますの?」
【元検査員 宮垣貴美代さん】「はい」
【兵動さん】「僕が今『めちゃくちゃ手触りいいです』って言った時に『アホやな、こいつ』と思ったでしょ。『ほんまの生糸を見てへんな』と」
生糸の格付けをする品位検査は4種類。
回転させて切断回数を数える「再繰切断検査」と、鮮度とムラを確認する「鮮度むら検査」、そして糸にいくつ節があるかチェックする「節検査」、強度と伸びをチェックする「強力・伸度検査」。
これらの結果をまとめ、6段階に格付けします。
宮垣さんは「再繰切断検査」の検査員だったのです。
【兵動さん】「これってずっと回っているのを、ずっと見とくんですか?」
【元検査員 宮垣貴美代さん】「そうです。それが仕事ですから」
【兵動さん】「大変やね。だって130分でしょ。切れたら『切れました!』って言うの?」
【元検査員 宮垣貴美代さん】「検査員がつなぐんです。つながないと回りません」
【兵動さん】「どうやってつなぐんですか?」
【元検査員 宮垣貴美代さん】「これ、(糸の)口が出ているんですけど」
【兵動さん】「そんな細いの?」
【元検査員 宮垣貴美代さん】「(糸が)切れるとこれが止まります。これだけが回転していますので、回転を止めて、こっちの(糸の)口を持ってきて…切れたところをくくるんです。こうやって」
【兵動さん】「えぇ?」
【元検査員 宮垣貴美代さん】「見えますか?」
【兵動さん】「見えます」
【元検査員 宮垣貴美代さん】「本当に?すごい!」
【兵動さん】「僕のこと何歳やと思ってます?」
先ほどはたくさん束ねた状態の糸を触らせてもらいましたが、1本の状態で渡してくれました。受け取った糸と糸を結ぼうと試みる兵動さん。
【兵動さん】「見えへん」
顔をしかめながら、何とか結ぼうとしますが…。
【元検査員 宮垣貴美代さん】「結び目を3ミリで切ってもらって」
【兵動さん】「つながってないな。全く見えへん。これ大変や!この作業」
【元検査員 宮垣貴美代さん】「これまだ太い方なんです」
【兵動さん】「これで太いの!?はぁ…。つながってないわ」
あまりの細さに苦戦し、結ぶことはできませんでした。
【兵動さん】「(担当の)持ち分はどれくらいですか?」
【元検査員 宮垣貴美代さん】「ここまでを1人で、130分。すごいスピードなんで、切れたのは慣れてきたら端まで分かるんです。(Q.どこかの糸が切れたことが分かる?)うん」
【兵動さん】「トイレはどうするの?」
【元検査員 宮垣貴美代さん】「トイレは相方さんに(見てもらう)」
【兵動さん】「『宮垣さん見といてね~!』って言って、行って戻ってきて。(頼まれた方は)2人分を見ないとあかんことになるってこと」
■写真の撮影場所は?
実際の検査機や糸を見ながら、当時のお話を聞かせてもらった兵動さん。
【兵動さん】「なんか誇らしいですね。日本の生糸は世界でも認められたもの。こうやって(検査機が)一部ですけど、残っているのがうれしいことですよね」
【元検査員 宮垣貴美代さん】「うれしいです。だから神戸市さんが買ってくれたと聞いた時はすごく喜びました」
【兵動さん】「宮垣さんが年に1回、講演に来てくれはるということは、そういうこともみんなが分かっていくから」
【元検査員 宮垣貴美代さん】「最後の1人やったから、たまたま」
かつての検査所のお話を聞いたところで、今回の写真の場所は?
【元検査員 宮垣貴美代さん】「今で言うと多分、図書室だと思うんですけど」
【兵動さん】「なんで図書館って分かったんですか?」
【元検査員 宮垣貴美代さん】「生糸整理がここにあるから」
生糸整理を行っていたのは現在のKIITO内にある図書館だそうです。
ということで、撮影場所である図書館に案内していただきました。
【兵動さん】「こっちから向こうを撮った写真ということですか?大体、方角的には」
【元検査員 宮垣貴美代さん】「そうですね」
それでは、いよいよ撮影です。
【兵動さん】「はい、チーズ」
【兵動さん】「いや、すごかったです。神戸の生糸。糸が検査されていたというね。横浜と神戸だけだという。そこで最後の最後に働いてはった宮垣さん、今年の講演はもう終わったらしいです。来年の講演、ぜひ聞きに行ってください。あそこ(検査機を展示するギャラリー)も見られますもんね。神戸の生糸の歴史を見ていただきたいと思います。今日はどうもありがとうございました」
(関西テレビ「newsランナー」 2024年4月19日放送)