2022年3月。
大手不動産会社プレサンスコーポレーションの創業者で、元社長の山岸忍さんは、節目の日を迎えていました。
【山岸さん】
「もうこんなことが二度とあっては困りますので。そのためにも私の今の思いを伝えていきたいと考えています」
自身が逮捕された事件を巡り、捜査した検察官らを刑事告発したのです。
248日に及ぶ身体拘束を経て、山岸さんは無罪を勝ち取りました。
そして今、国家権力・検察を相手にした新たな闘いに挑んでいます。
その日々を追いました。
■発端は21億円の巨額横領事件
ことの発端は、3年前に明らかになった巨額横領事件です。
学校法人・明浄学院の経営に関心を示していたO氏が、18億円もの大金を借り入れて理事の買収などに使い、学園の理事長に就任しました。
その後、学校の土地を売却して手付金21億円を得ると、借り入れていた18億円の返済に充てました。
つまりO氏は、自分が理事長になるために使った個人の借金を、学校の財産を売った金で返済したことになるため、業務上横領罪が成立します。
そして、この18億円の出どころが、山岸さんだったのです。
捜査を担当したのは、大阪地検特捜部。
政治家の不正や大企業の経済事件を手掛ける、検察のエリート集団です。
検察の見立ては、マンション用地として学校法人の土地を手に入れたいプレサンスコーポレーション・社長(当時)の山岸さんが、この横領計画を知っていて、O氏個人に金を貸した、というものでした。
しかし、山岸さんは、一貫して無罪を主張。
今回、特捜部の取り調べや逮捕に至る経緯、そして勾留されていた日々について、胸の内を明かしてくれました。
【山岸さん】
「あの敷地っていうのはマンション用地として抜群です。立地といい、環境といい、規模的な事といい、最高です。でも、犯罪はしません。普通、横領されるって分かってて、(金を)貸す人いないですよね。例えばお金に困ってて、何かに困ってて、というのなら分かりますけど。私、当時は会社の業績もうなぎ上りですし」
しかし、特捜部の捜査の手は、事件の発覚からあっという間に、山岸さんの元に及びました。
【山岸さん】
「毎回、(任意の)取り調べの最後の方に『ちょっと待っててね』ということで、多分、上司に報告に行ってるんだと思うんですね。いつものことかと思って私が持ってたら、いきなり怖い顔して入ってくる。興奮気味に入ってこられたんですね、(担当の)女性検事さんが。『社長こんなん出てしもた。私、腹立つわ』って言いながら、入ってこられたんですよ。何が出たのかなと思ってパッと見たら逮捕状だった。『えっ!』て。そうしたらもう間髪入れずに、男性が5、6人入ってきて、手錠・腰縄です」
逮捕の後も、長時間にわたる取り調べが続きました。
取り調べの状況を、山岸さん本人が記した『被疑者ノート』。
そこには、「誘導尋問が出てきた」「早くこんな事件終わらせよ!と、感情に訴えてきた」など、生々しい取り調べのやり取りが記されていました。
■248日に及ぶ身体拘束
まったく予想していなかった、突然の逮捕。山岸さんの身柄は、拘置所に移されます。
【山岸さん】
「普通の精神状態ではなかったと思います。いきなり入ったら、『シャワーしてこい』と。あの囚人服みたいな、緑の服着せられて」
勾留中の生活については…
【山岸さん】
「いっぱい怒られました。私、体を鍛えるのが大好きなので、1日に決められた(運動の時間が)30分しかないんですよ。ちょっとこそっとやってたら、必ず見つかって怒られました」
何度も保釈請求をしましたが、「罪証隠滅の恐れ」を理由に請求は却下。
身体拘束は248日にも及びました。
【山岸さん】
「うちの嫁さんとか、娘とか毎日ここから(面会に)来てたんですね。そう考えるとなんか感慨深いものがあります」
自由の身となった今、勾留されていた大阪拘置所を前に、山岸さんは目を細めます。
一方、弁護団は山岸さんの裁判に向けて、膨大な証拠を精査していました。
そして、その中で特捜部の捜査実態が明らかになります。
カギになったのは、山岸さんの部下ら2人に対する取り調べの録音と録画でした。
検察官の取り調べでは、このようなやりとりが…
【Yに対して】
「山岸被告の関与があるなら言わないと、あなたの責任の重さも変わってきますよ」
【Kに対して】
「プレサンス社が被った損害は10億、20億などではすまない。それを背負う覚悟はあるのか」
厳しい態度、言葉で詰め寄り、自分たちの見立てに合う「山岸さんが横領計画を知りながら金を貸した」という趣旨の供述を、引き出していました。
■強引な取り調べ… そして無罪判決の瞬間
【弁護を担当した秋田真志弁護士】
「Kさんに対してはかなり強圧的な取り調べ。激しい。机をたたく、怒鳴りつけるなどの取り調べが続いている。まず怒鳴っているのは論外です。この人は何を考えているんだろう、と思いました」
さらにYさんは、山岸さんの関与を認める供述をした後に、その供述を撤回しました。
しかし、検察官は聞く耳を持たず、一度得た供述にこだわって捜査を進めていきました。
弁護団は、この検察の捜査の問題点を裁判で指摘しました。
結局、裁判所は特捜部の取り調べについて「必要以上に強く責任を感じさせ、真実とは異なる供述に及ぶ強い動機を生じさせかねない」と言及し、山岸さんには、無罪判決が言い渡されました。
――Q:判決の瞬間は?
【山岸さん】
「裁判官が、『は』って言うか『を』って言うか、にばっかり集中してました。『被告人“は”無罪』『被告人“を”懲役~年』でしょう?…『あ、“は”って言った!』と思っていたら、傍聴席から歓声がとんできた」
今回の判決で、厳しく非難された大阪地検特捜部。
実は10年以上前にも、独自捜査の末、厚生労働省の当時の局長を逮捕しています。
しかし、裁判で今回と同じような強引な取り調べが明らかになり、無罪判決が出ています。
【弁護を担当した秋田真志弁護士】
「根本が何も変わっていない、自分たちの見立てをして、見立てのままに突っ走る。調整ができない、方向転換もできない。客観証拠を軽視して、取り調べで供述を強要する。根本的な姿勢を改めないといけないにも関わらず、去年の10月28日に判決が出てから何カ月たっても、それについての反省の姿勢が一切見えない」
■関係者の証言 「有益な供述で事件を組み立てた世代が、今、管理職になっている」
検察が抱える闇の原因は、どこにあるのか。
今回、大阪地検特捜部を詳しく知る関係者が、肉声を使用しないことを条件に取材に応じました。
――Q:無罪判決が出た時はどう感じましたか?
「私も正直、驚きました。上場会社の社長を独自捜査で逮捕・勾留した事件で、そのトップが無罪になるというのは聞いたことがないので」
――Q:(強引な取り調べは)まだ文化として残っているんですか?
「ここ10年位は、客観証拠を重視しなさい、供述証拠に頼らず事件を組み立てなさい、と口酸っぱく言われていて、検察全体として、その意識は浸透していると思います。
ただ、取り調べの可視化などが導入される前の世代、有益な供述を獲得して、事件を組み立てるようなことが、通常の捜査手法として行われていた世代の人が、今、管理職になっています。そういう中で、難しい事件の局面で供述を取ってくる人が「やっぱり優秀なんだ」という意識、空気は特捜部にまだあります。
少なくとも私は、この事件を内部で検証したと聞いたことがない。この事件を個別の検察官の責任にしてはいけないと思います。検察組織の課題として捉えて、変えられずに残ったものを、変えていかないといけないと思います」
■奪われた多くのもの 新たな闘いの幕開け
山岸さんはプレサンスコーポレーションの社長の職を辞任せざるを得なくなり、社会的な信用も、一時は地に落ちました。
大阪市内のビルの一室で、たった一人で創業し、東証一部上場にまで育て上げた、大切な会社でした。
【山岸さん】
「(会社の成長は)楽しくて仕方がなかったです。ワクワクします。人がどんどんどんどん集まってきてくれるんです。社員もそうですし、取引先さんもそうですし。人が集まってきてくれると、いろんなことができるようになります」
冤罪は、本当に多くのものを奪っていきました。
山岸さんは、今年3月、国に対して損害賠償を求める訴えを提起。
また、関係者を取り調べた検察官らを、証人威迫などの疑いで、最高検察庁に刑事告発しました。
検察のあり方について、国会の場でも検討をしてもらうため、国会議員への陳情に赴くなど、積極的に活動しています。
【山岸さん】
「検察庁は必要な組織です。高潔な職業であってほしいと心の底から思っています。だけど、全員が全員そうじゃないと思いますけど、私が見た検察官は大変残念な人たち。こういう経験をする人が少ない上に、した後も、ある程度の余裕のある人間しか、こんなこと(訴訟や刑事告発)できないじゃないですか。もう私の天命かなと。ミッションかなと言う風に考えています」
この国賠訴訟や刑事告発に、検察はどう向き合うのか。
その姿勢が、今後の検察の行く末を示すものになるはずです。
(関西テレビ「報道ランナー」2022年6月10日放送)