キリスト教の教会で落語の『寄席』 ミナミの歓楽街にある「希少な空間」へ 大阪・島之内【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2024年05月17日
【兵動さん】「今回は『松屋町(まっちゃまち)交差点』からスタートですね。大阪の昔ながらの雰囲気のところです。こちらではお人形を買ったりとかね、問屋街というのかな。いろんなものがあるという」
大阪・松屋町(まつやまち)は、通称「まっちゃまち」と呼ばれるエリア。ひな人形をはじめ、おもちゃや駄菓子の問屋、専門店などが100軒以上並んでいる「松屋町筋商店街」が知られています。
兵動さん、交差点にある地名の標識を見て…。
【兵動さん】「こうやって見たら、ちゃんと地名は『松屋町(まつやまち)』なんですね。もうみんな『まっちゃまち、まっちゃまち』って言っているから。もう(商店街の)看板にも『まっちゃまち』って書いてますけど。下町人情あふれる松屋町からスタートです」
■今回の写真は落語の「寄席(よせ)」
これは1972年(昭和47年)、大阪市内で撮影された写真です。どこの風景か分かりますか?
【兵動さん】「寄席や。落語会、落語の寄席やね。『島之内席』って書いてますけど。『主任 桂 春團治(かつら はるだんじ)』って書いているのかな。主任といったら“トリ”ということですよね。『桂 三枝』ね、現・文枝師匠ですね。多分これ『桂 小米(かつら こよね)』って書いていると思うんですけど、これは(桂)枝雀(しじゃく)師匠ですね、多分、若手の頃の」
【兵動さん】「歴史を感じるなぁ。当時の(チケットの)もぎりの人、いかつすぎません?『どうぞ』って言われても、サングラスかけておったら入りづらいがな、これ!よく『島之内寄席』といって、今の落語家さんにもお話聞いたりする時があるんですよ。それなのかなぁ」
聞き込みしようと歩き出してみると、何かを探している様子の女性2人組を見つけました。
【兵動さん】「こんにちは。どうしたん?」
【街の人】「指輪を落としちゃって」
兵動さんとスタッフも一緒に探すことに。
【街の人】「テレビ(の収録)中に…」
【街の人】「めっちゃ探してくれてる」
すると…。
【街の人】「え、あった!?すごーい!」
指輪が見つかりました!
【兵動さん】「良かったなぁ。これがあるとないとで、今日のテンションめちゃくちゃ変わるで」
【街の人】「がんばって買ったやつなんで」
【兵動さん】「ほな、代わりと言っちゃ何やけど…この場所知らん?今度はこっち探してくれへん?」
【街の人】「(写真のサングラス姿の男性を指し)これ…(兵動さん)ですか?」
【兵動さん】「違う違う。俺じゃない。1972年、俺2歳!1972年の写真やねん」
【街の人】「えー、どこやろ」
【兵動さん】「落語って見たりする?」
【街の人】「ないですね」
【兵動さん】「お笑いやったら誰見るの?」
【街の人】「千鳥。(あとは?)かまいたち」
【兵動さん】「かまいたちな。俺(の名前)が出てこようと思ったら5時頃まで粘らなあかん、あと3時間くらい。名前知らんよね?」
【街の人】「さっきから言ってて…(分からない)」
少し切ない表情の兵動さんですが…。
【兵動さん】「最近これあるねん。…ピンキーリング、もう一回投げてもらっていい?」
聞き込みを続けるため、再度歩き出します。
【兵動さん】「そうやんなぁ。いや俺はさ、こういう世界におらせてもらっているから、まだ島之内とか、寄席、落語といったらピンと来るけど、一般の人はなかなか。でもこの島之内という地域は分かるはずやねんけどな」
話しながら歩いて行くと、男女2人組が通りかかりました。
【兵動さん】「こんにちは。写真見てもらったりできません?」
【街の人】「あ、あれや!」
2人とも番組を知ってくれているようでした。
【兵動さん】「島之内って場所分かります?」
【街の人】「ちょっと僕、この辺の人じゃないので分からない」
【兵動さん】「寄席とか落語会とか見に行くことあります?」
【街の人】「僕はないですね」
ここで女性が…。
【街の人】「兵動さんめっちゃ好き」
【兵動さん】「うれしいわ。さっきちょっと自信なくなる出来事があったんですよ。『兵動さん』と言ってくれただけで、ものすごくありがたい」
【街の人】「いや、よく見て…夕方のやつ(番組)ですよね」
【兵動さん】「うれしいな。もっと言ってもらっていいですかね」
思いがけないうれしい言葉に、笑顔の兵動さん。
アーケードになっている商店街をさらに歩いてみます。
■創業から46年の純喫茶で聞き込み
【兵動さん】「お買い物する場所でもあるからな。地元の方っていらっしゃらないね。ちょっとどっか入るか。なんかすごいな、ここも。壁画やな。行ってみる?」
壁一面に大きく描かれたアートが印象的な建物を発見しました。
【兵動さん】「こんなんできてるの、今。あれ?渋っ!なんか思ってた感じと違う。純喫茶感の方が強い」
建物の正面に来てみると、1階にレトロな純喫茶がありました。
【兵動さん】「すみません、ここでお話聞けないかなと思って。純喫茶感もめっちゃありますよね」
【Cafe RENGA オーナー 矢野吉晴さん】「はい、もう昔からやってますんで。(Q.何年目?)46年目」
「Cafe RENGA」は、オーナーが21歳の時に始めたお店です。名物のプリンもオーナー手作り。長年、地元の常連からも愛されているお店なんです。
【兵動さん】「常連さん?(通い始めて)長いですか?」
【常連客】「はい。もうなんだかんだ10年近く通っている」
カウンターでオーナーと常連の方に写真を見てもらいます。
【兵動さん】「これね、昭和47年の写真です。島之内ってね…」
【常連客】「それじゃ、あそこやわ。千年町あるでしょ」
【兵動さん】「いや僕ね、この辺の地名がややこしいでしょ、結構。筋(道路)と筋で名前が違うから」
【常連客】「周防町筋あるでしょ。あれ、(大阪府)南警察署がありますやん」
【兵動さん】「島之内は南警察署の方に行って、その辺から入ったあたり(エリア)が大体の、あの通り(島之内)になるんですか?島之内ってどんな街ですの?」
【常連客】「昔の色街や」
【兵動さん】「よく行ってました?」
【常連客】「…」
【兵動さん】「笑ってる!」
「島之内」とは東西の横堀川、南の道頓堀川、北に長堀川が開削されたことにより、四方が川に囲まれた土地が誕生し、この地名がついたのです。
どこから来ても、どこへ行くのにも橋を渡らなければいけなかったのが島之内。現在は、堺筋から東側が「島之内」と呼ばれています。
【常連客】「(写真を見て)これ、教会じゃないかな。『島之内教会』といって、キリスト教の教会ですわ、これ」
【兵動さん】「そこで寄席をやっていたというのは皆さん知ってはるんですか?」
【常連客】「うん。(Q.昔は落語を見に行ったりした?)僕が30歳くらいの時はたまに見に行っていた」
【兵動さん】「どんな方を見たか覚えてます?」
【常連客】「(笑福亭)松鶴(しょかく)さん、おったね。(桂)米朝(べいちょう)さんもおったね」
【兵動さん】「すごいな、松鶴さん、米朝師匠までいらっしゃったんですか。生で見られました?行ったら」
【常連客】「うん」
【兵動さん】「すごい寄席あってんなぁ」
【常連客】「これ(昭和)47年でしょ?私、今75(歳)です」
【兵動さん】「そら(昭和47年を)『最近』と言いますわな」
島之内の場所が分かったところで、教えてもらった周防町へ。
■以前「今昔さんぽ」で訪れたお店を発見
【兵動さん】「ここ(周防町)が俗にいうヨーロッパ通り。ややこしいねん、この辺が。『何とか町』『何とか町』が無数にあるから」
確かに「〇〇町」という地名がいたるところに散見されます。そんな中、知っているお店があったようです。
【兵動さん】「あ、『乃呂』さんとこね。前も一回聞き込みさせてもらったんですけど」
「すいません、毎回すみません。兵動といいますけども」
2020年11月の放送でも、こちらのお店に来ていたのです。
【兵動さん】「あかんな、俺。あれから一回もお店来てへんやんか」
【レストラン乃呂 野呂百合子さん】「ほんまですよ」
【兵動さん】「ねぇ、ほんまに。『聞くだけ聞いて来ないんかい』と。『次、来たと思ったらまた写真を持ってんで、こいつ』と」
約4年ぶりに訪れたこちらで、今回も写真を見てもらいます。
【兵動さん】「これ昭和47年の写真でして、これは教会じゃないかと」
【レストラン乃呂 野呂太一さん】「教会ですね」
【レストラン乃呂 野呂百合子さん】「今も建物は変わっていない」
【レストラン乃呂 野呂太一さん】「(Q.このままの形で?)ありますよ」
【兵動さん】「この教会に行ったことはあるんですか?」
【レストラン乃呂 野呂太一さん】「あります」
【レストラン乃呂 野呂百合子さん】「たむろってました」
【兵動さん】「教会で?教会で『たむろってた』?」
【レストラン乃呂 野呂太一さん】「当時、僕らが子どもの頃に、牧師先生の息子さんが僕の同級生だったんです。小学校から高校までずっと。その当時の西原牧師という先生がかわいがってくれてました」
【兵動さん】「じゃあここにずっといて、こういう寄席とかも見た覚えってあるんですか?」
【レストラン乃呂 野呂太一さん】「はい。ずっと寄席もしてはりましたし、劇団もありましたし、音楽活動も地域の人たちで、プロも出てます」
「道具係で『手伝え』って言われて、小学校の頃から手伝ってアルバイトさせてもらって。木の箱を運んだりとか」
【兵動さん】「いくらくらいもらえるんですか?」
【レストラン乃呂 野呂太一さん】「2000~3000円くれはった」
【兵動さん】「でか!その当時でしょ。いい時代やな」
【レストラン乃呂 野呂太一さん】「だから、もうみんな一生懸命手伝ってました」
【兵動さん】「『毎日芝居やってくれ』と思ったでしょ」
「次は写真抜き(プライベート)で来ます!これは本当に」
■多彩な活動の場となった礼拝堂
【兵動さん】「今、前の方で車がビュンビュン左に向かって走っているところが堺筋です。ここを左か。あ、出て来たわ。ほんでそこが南警察署や」
「日本キリスト教団 島之内教会」の文字を発見。
【兵動さん】「すみません。牧師さんいますか?どこかでお話聞けたりしますか?」
1882年(明治15年)に設立された「島之内教会」は、子どもの遊び場や、市民の憩いの場所となっていたのです。
礼拝堂は、劇場として関西の小劇場を支えた場所としても知られています。
ここで、現在の牧師にお話を伺いました。
【兵動さん】「これ、昭和47年の写真でね。(ここで)間違いないですかね」
【島之内教会 牧師 柴田 彰さん】「はい」
【兵動さん】「寄席をやっていたというのは聞いていますか?」
【島之内教会 牧師 柴田 彰さん】「はい。1972年に、その当時の西原牧師が『礼拝堂を市民の皆さんに使っていただこう』と。(西原牧師が)アメリカ(留学)で経験した、教会に市民のいろんな人たちが入って、いろんな芸術・文化活動をしているのを、『ぜひ日本の教会でも実現したい』と」
【兵動さん】「なんで落語なんですかね?」
【島之内教会 牧師 柴田 彰さん】「その時、落語会は寄席にあまり人が集まらないので、ここで、1週間ぶっ通しで『島之内寄席』ができた(開催された)と聞いています」
【兵動さん】「その当時で言ったら、桂 春團治っていうすごく大きな(名前が)あったり、(笑福亭)松鶴師匠が出たり、(桂)米朝師匠が出たりしてはったでしょ」
【島之内教会 牧師 柴田 彰さん】「そうです、そうです。(人間)国宝です」
人間国宝に認定された三代目・桂 米朝さんなど、そうそうたる顔ぶれで5日間開催された島之内寄席。
当時は立ち見が出て、松鶴師匠も下足番(履物を預かる係)をやるほど大盛況だったのだそうです。
実は、今回の写真に写るサングラスの人物が、六代目・笑福亭松鶴師匠だったのです。冒頭では何も知らない兵動さんが思わず「いかつすぎません?」と言っていましたが…。
【兵動さん】「今も(開催しているの)ですか?」
【島之内教会 牧師 柴田 彰さん】「はい。毎年12月の最初の1週間、桂 吉弥さんが(寄席を開催している)」
【兵動さん】「あぁ、きっちゃん(桂 吉弥さん)、一緒に取材しているんですよ。ええ男ですよね」
【島之内教会 牧師 柴田 彰さん】「なんか色っぽいですよね」
【兵動さん】「そんな目で見たことはないですが…」
【島之内教会 牧師 柴田 彰さん】「なんというか、華がある」
【兵動さん】「ええ男ですよ、これからの上方落語を背負っていく男ですからね。落語もうまいですから」
教会で開催される中で一番多いのが、クラシックコンサート。それにはある理由があるそうで…。
【島之内教会 牧師 柴田 彰さん】「クラシックの方は礼拝堂の『音の響き』だと」
「音の響き」について、教会で定期的にコンサートを開く指揮者の方にお話を聞いてみました。
【合唱指揮者 本山秀毅さん】「木造建築で温かい響きといいますか、古い建物の醸し出す味わいや空気感もあるのですが、皆が音を聴き合えて、一体感が生まれるような、そういう響きを感じています」
「この場所の希少さというのは、ミナミの歓楽街の中にこういう空間があるということですよね」
【兵動さん】「僕ももし、お借りしようと思ったら、申し込んだらお借りできるんですよね?」
【島之内教会 牧師 柴田 彰さん】「はい。ただ、教会が大事にしている部分を尊重してくださるというのが…」
【兵動さん】「僕のこと、ならず者やと思ってます?(尊重)します、します!」
戦前から続く教会の魅力を聞いたところで、写真の撮影場所へ。
【兵動さん】「変わってないから…こっちか、この辺か。はいチーズ」
【兵動さん】「いまだに変わっていない教会。島之内。皆さんどうですか。ちょっとお祈りに来たり、いろんな催しもやっているみたいなので、響きを感じに来てみてはどうでしょうか。本当に勉強になりました。ありがとうございました」
(関西テレビ「newsランナー」 2024年5月10日放送)