「畳100畳分」の巨大な凧に願いを込めて 商店街を盛り上げる『デニムの聖地』への取り組みも 滋賀・東近江【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2024年01月26日
【兵動さん】「今回は滋賀県の東近江市に来ています。近江鉄道・八日市駅からスタートです」
■大きな凧を揚げる写真…東近江は凧揚げが有名?
これは1969年(昭和44年)に滋賀県・東近江市内で撮影された写真です。どこの風景か分かりますか?
【兵動さん】「“賀正”って書いているのかな。1970って書いているってことは、来年に向けてってことやから、1969年ってことやんね。で、ここに太陽の塔があると。万博の年やから、1970年が。東近江って、凧が有名なのかな?」
それでは聞き込み開始です!
【兵動さん】「こんにちは。凧、有名?」
【街の人】「有名」
【兵動さん】「どう有名なの?」
【街の人】「小学校とかで、みんなで凧を作って揚げたりする」「成人式で成人の子たちが凧揚げ(する)。すごく大きいの」
【兵動さん】「この辺で昔ながらのお店とか、商店街とかあります?」
【街の人】「ここちょっと右に入っていくと、ほんまち通り?なんか商店街がある」
さらに聞き込みをするため、教えてもらった商店街に向かいます。
■“デニムの聖地”とは?
【兵動さん】「(マンホールを指し)見て、凧や。なんで凧がそんなに有名なのかが分からへん」
街なかに凧の文字や絵が散見され、いかに凧が有名かが伺えます。
【兵動さん】「あ、出てきた。“ほんまち”やって。昔ながらの商店街。(道路に設置された飛び出し坊やを指して)滋賀県といったら“飛び出し坊や”」
実はこの“飛び出し坊や”と呼ばれる交通安全の人型看板、通称「とび太くん」は東近江市発祥で、誕生から50年、子どもたちを交通事故から守ってきました。
【兵動さん】「飛び出し坊やも有名やな。うわ、何これ、情報量多すぎない?“デニムの聖地”って」
アーケードの商店街を歩いていると、「ほんまち商店街 デニムの聖地へ」と書かれた大きな垂れ幕を発見。さらに歩いていくと、精肉店を見つけました。
【兵動さん】「やっぱり肉は近江牛か。うわ、すごい。のれん、デニムや」
精肉店ののれんがデニム素材でできていることに気づいた兵動さん、お店の方に声をかけてみます。
【兵動さん】「お忙しいところすみません。これ(のれんは)デニムですか?」
【精肉店 店員】「デニムです」
【兵動さん】「さっき、商店街の上にデニムの聖地って書いてました。そうなんですか?」
【精肉店 店員】「はい。今、そういう風になっていこうって感じです」
【兵動さん】「そうですか。じゃあ近江牛も有名やし、デニムも有名になってる」
【精肉店 店員】「もうちょっと行ったところにすごく有名なのがあります」
【兵動さん】「ここ真っすぐ行ったら(デニムの)聖地があるんですね。ちょっと見てみます」
商店街を進んで行くと、「フォーティ ナイナーズ」というおしゃれなお店がありました。
【兵動さん】「しゃれてる。ここの飛び出し坊や、ものすごくいけてるやん」
お店の前にはデニムをまとった飛び出し坊やが設置されていました。お店の中に入ってみると…。
【兵動さん】「うわー、めっちゃいい。めちゃくちゃしゃれてますね。なんか俺、好きやわ。なんか買って帰ろうかな…って、普通に見てどうすんねん。何ですか、ここ」
【フォーティ ナイナーズ 広報 斎藤 寛さん】「ここはアメカジのセレクトショップです。お店としては27年やってます。(デニムの聖地に)これからしようと思ってます」
【兵動さん】「それはどういうことなの?」
【フォーティ ナイナーズ 広報 斎藤 寛さん】「(デニムの)販売をしていたんですけど、うちの社長が自分で作りたいと言い出したんです、デニムを。地元が好きだから地元を盛り上げたいと言って」
【兵動さん】「結構穴場で、みんな来るんじゃないの?」
【フォーティ ナイナーズ 広報 斎藤 寛さん】「日本各地、海外からもですけど。それこそ芸人さん…実はうちの社長、ダイアンのユースケさんのいとこなんで。もともと、うちの立ち上げはうちの社長と店長と、ダイアンのユースケさんの3人で(立ち上げた)。で、そこからお笑いに行きたいと言ってNSC(養成所)に行かれたんです」
【兵動さん】「知らんかったなぁ」
そんなお話を聞きつつ、店内にある工房に案内していただきました。工房にはいくつものミシンとデニムがあり、作業しているスタッフの方がいました。
【フォーティ ナイナーズ 広報 斎藤 寛さん】「ここにあるミシン、全部この方(工房のスタッフ)が使っている」
【兵動さん】「え、このミシン全部、お一人で使うの?」
工房にある複数のミシンを使って1本のデニムパンツができるのだそうです。
【兵動さん】「これが全部オリジナル(のデニム)?何という名前ですか?」
【フォーティ ナイナーズ 広報 斎藤 寛さん】「うちで作っている(デニム)。名前は“ONE PIECE OF ROCK”というブランド名で作っています」
【兵動さん】「めっちゃいい色してるやん。履いているとだんだんかっこいい色の落ち方するんよね」
【フォーティ ナイナーズ 広報 斎藤 寛さん】「そうなんです。生地ももちろんオリジナルで作っています。だから(デニムの)聖地にしたい」
■「地元を盛り上げたい」社長の商店街への思い
【兵動さん】「社長は地元の人なんやね」
【フォーティ ナイナーズ 広報 斎藤 寛さん】「そうなんです。この辺で育っているので」
【兵動さん】「社長だったら(写真について)分かるかな?」
【フォーティ ナイナーズ 広報 斎藤 寛さん】「分かるかもしれないですね。(今、社長は?)社長は社長専用の工場があるので、今そこで作業してます」
いくつかある工場の中で、社長専用の工場へ行ってみることに。
【兵動さん】「社長、すごいね。しゃれてるね。そんで、すごいミシンの数やね」
こちらにもたくさんのミシンが置かれていました。1900~1940年代のミシンだそうです。
【フォーティ ナイナーズ 社長 小中儀明さん】「年式ごとに分けているんで。古いミシンを置いて、その時代の縫い方ができるように」
【兵動さん】「ずっとこの八日市ですか?」
【フォーティ ナイナーズ 社長 小中儀明さん】「さっきのお店が僕のもともと、あそこが実家というか」
【兵動さん】「昔はこの商店街ってもっと元気だったの?」
【フォーティ ナイナーズ 社長 小中儀明さん】「元気でした。中学くらいまではまだなんとなく(商店街らしかった)。そのくらいから(全国展開の)大型店舗ができてきて」
【兵動さん】「だんだんその積み重ねでこうなっていると」
ほんまち商店街、今ではシャッターを下ろした空き店舗が少なくありません。
【フォーティ ナイナーズ 社長 小中儀明さん】「僕らがここに(お店を)出した時はまさにこの状態なんですよ。最近、30代くらいの地元の子たちがこの商店街に魅力を感じて、『空きテナントないですか?』とか。逆にこういうとこに(お店を)出す方が実はかっこいいんじゃない?と思ってる」
【兵動さん】「俺パーカー売って、“パーカーの聖地”作ろうかな」
【フォーティ ナイナーズ 社長 小中儀明さん】「手伝います」
ここで写真について聞いてみました。
【フォーティ ナイナーズ 社長 小中儀明さん】「グラウンドちゃいます?もともとは大凧の町なんで、河川敷とかで揚げていたのは子どもながらに記憶にあるんですよ。大凧会館っていうのもあるんです。そこに多分、(大凧を)飾っていると思いますよ」
■畳100畳分の大凧に兵動さんも「でかっ!」
ヒントを求め、教えてもらった大凧会館へ。
【兵動さん】「“東近江大凧会館”。こんにちは。うわぁ、びっくりした」
館内の壁には、想像を超える大きさの大凧が飾られていました。それを見た瞬間に驚きの声を上げる兵動さん。
【兵動さん】「うわ、でかっ!うそでしょ」
【東近江大凧会館 館長 鳥居勝久さん】「東近江の八日市には、昔から“大凧揚げ”という文化がありまして。今、でかっ!と言っていただいたのは、畳100畳分の大きさです」
館内の高い天井付近まで届くほどの巨大な凧。健康の「健」の文字と、2頭の龍が描かれていて、迫力満点です。その大凧を揚げた時の写真も飾られていました。
【東近江大凧会館 館長 鳥居勝久さん】「引き手は約100人。畳1枚の大きさで引く人を1人と考えていますので、(100畳の大凧は)100人で風の力を受けて揚げる大凧になります」
【兵動さん】「これ、どうやって揚げるんですか?」
【東近江大凧会館 館長 鳥居勝久さん】「大体20~30人くらいの人が、凧を斜めにするんです。で、一斉に引くんですけど、やっぱりタイミングがありますよね。笛と太鼓の合図なんですけど、太鼓をたたくのが東近江大凧保存会の会長さんなんです」
風のタイミングを読み、太鼓で100人を統率するのです。大凧保存会の会長が、その太鼓たたきを実演して見せてくれました。
【兵動さん】「これが鳴るとみんな、がーっと走り出すということですか」
【東近江大凧会館 館長 鳥居勝久さん】「もともと、ここの凧というのは江戸時代からありますので、(凧が)大きくなってきた理由に、八日市には沖野ヶ原といってすごく広い野原があったんですよ。琵琶湖から吹く風も良かった。それ(凧)を大きくしようという、作っている人たちの気持ち、負けん気なんですよ。隣の村よりも大きな凧を作るぞ、という」
広大な野原と琵琶湖から風が吹くという凧揚げに適した環境、そして隣村に対する負けん気によって、凧が大きくなっていったということです。
【兵動さん】「そういうことか。はじめは競っていたんや、いろんな場所で。大きくして、うちがもっと、と」
そして、江戸時代末期には畳100畳の大きさに。1882年(明治15年)には、240畳の大凧を揚げていました。そして戦後になると…。
【東近江大凧会館 館長 鳥居勝久さん】「国や地方の慶祝時に大凧を揚げるという風に変わってきているんですよ。例えば、皇太子様がご成婚されたら大きな凧を揚げるとか。あとは平和を願うとか、さまざまなことで大凧を4~5年おきくらいかな、昔は揚げていたという感じです」
■凧に描かれた絵柄の意味は
凧の絵柄にも意味があるんです。100畳分の大凧には、龍が2頭大きく描かれていて、さらに「健」の文字も。
【東近江大凧会館 館長 鳥居勝久さん】「龍といえば、辰(たつ)ですよね。辰という字は読みかえると“しん”と読みます。(大凧には)辰が2頭いますよね。だから、“心身(しんしん)健やかに”と読むんですよ」
【兵動さん】「じゃあ上の龍もメッセージの中に入っているんや」
今年も恒例の新成人による大凧揚げが行われました。この時に使われたのは畳20畳分の大凧です。この大凧に描かれた絵柄の意味は?龍と星の絵、そして「夢」の文字が書かれています。
【東近江大凧会館 館長 鳥居勝久さん】「辰ですよね。夢、星」
【兵動さん】「夢を辰(たつ)…。夢を達成してほしい」
夢を辰(たつ)星(せい)…「夢を達成」という意味でした。兵動さん、見事正解です。
さらに、2022年の成人式の大凧もありました。こちらは虎が2頭描かれ、「幸」と書かれています。この意味は…?
【兵動さん】「これ虎でしょ。これは“幸”」
【東近江大凧会館 館長 鳥居勝久さん】「虎は、“こ”って読みますよね。(虎が2頭で)“ここに幸あれ”」
凧について教えてもらったところで、そろそろ本題です。
【兵動さん】「(写真を見せながら)これは万博を祝う(大凧)」
【東近江大凧会館 館長 鳥居勝久さん】「日本の国でも大きな出来事でしたので。大凧としてはやっぱり外せない。実際、万博会場でも揚げているんですが、万博会場で揚げる前に、試し揚げのようなものですね。それを中学校のグラウンドでしている、揚がる瞬間だと思います」
写真は中学校のグラウンドで行われた凧揚げの様子とのこと。
東近江市立聖徳中学校のグラウンドで、大凧会館の館長に写真の撮影場所を案内してもらいます。
【兵動さん】「はい、チーズ。今回は東近江でした。商店街を盛り上げるぞという方もいらっしゃるし、昔ながらの大凧で街を盛り上げる方もいらっしゃるし。今(グラウンドで)クラブ(活動)をしている子がいますけど、この子たちが成人した時も新たな…」
【東近江大凧会館 館長 鳥居勝久さん】「(大凧を)一緒に揚げたいと思います」
【兵動さん】「ありがとうございました」
(関西テレビ「newsランナー」 2024年1月19日放送)