屋形船、落語…『野崎まいり』の謎を追う 個性豊かな人々との出会いに「野崎どうなってんねん!」 大阪・大東【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2024年05月10日
【兵動さん】「今回はJR野崎駅前からスタートです。大東市ですね。きれいな駅ですね。初めて来たんちゃうかな。学研都市線の野崎駅前からスタートでございます」
■川遊びの写真? 聞き込みで出会ったのは…
これは1957年(昭和32年)に大東市内で撮影された写真です。どこの風景か分かりますか?
【兵動さん】「川遊びなのか?『大東市』って書いている。ここに『野崎まいり』って書いてますけど、野崎まいりって古典落語があるんですよね。どんな話やったかな。そこまでは覚えてないんですけど。謎が多いですけど、ちょっと行ってみますか」
それでは聞き込み開始です。
大勢の若い男性たちが歩いているのを発見。
【兵動さん】「すごいな、学生さんか?学校があるのか?どこ行くの?」
【街の人】「大阪産業大学です」
【兵動さん】「大阪産業大学があるの。今から授業?」
【街の人】「そうです!」
【兵動さん】「ほんま。ありがとう」
「大阪産業大学があるのか。それが大東市なんや」
辺りを見渡していると、立て看板を見つけました。
【兵動さん】「『野崎観音』って書いてあるな。あれ、何て読むの。はじめ、『江口くんの大祭り』なのかなと思ったら、『の』が入っているねんな。江口くん、だいぶ祭りするねんなと思ったら、『江口の君(きみ) 大祭』」
周辺を見ながら、さらに歩いてみます。
【兵動さん】「(案内表示を見ながら)野崎まいり公園、野崎観音。で、こちらが野崎参道やって。ここから参道や。真っすぐずっと行ったらええねんやろ。あそこのお山が野崎観音があるところっていうことか。まだ僕の中で(情報が)整理できてないんですけど」
街の人を見つけ、聞いてみることに。
【兵動さん】「こんにちは。昔の写真を持って(歩いて)ね、同じところから写真を撮りたいんです。(写真を見せて)これ昭和32年の写真なんですけど、こういう光景って見覚えあったりします?」
【街の人】「いや、これはちょっとないね」
【兵動さん】「野崎まいりって言葉ありますやん」
【街の人】「歌で野崎まいりは屋形船が出てくるね」
【兵動さん】「どんな感じの歌ですか?」
【街の人】「野崎まいりは~屋形船で参ろ~♪」
【兵動さん】「すごく情緒のあるいい歌ですね」
歌って聞かせてくれたこの男性、すぐそばにある生花店の女性にも聞いてくれました。
【街の人】「お母ちゃんは知らん?船とか知らん?」
【街の人】「知らん。私、若いもん。二十歳!」
【兵動さん】「二十歳やったら分からんわ。せっかくやから二十歳のギャルにも…」
先ほどの女性に話を聞こうと生花店へ行くと、男性が出てきてくれました。
【ローズガーデン 店主 市原英次さん】「え~!ちょっと待って!僕、大ファンなんですよ。いつも街ブラでおいしい(ものを食べて)ね、『これ、うまいなぁ』とか、しらじらしい演技してはる!」
【兵動さん】「誰がしらじらしいねん!」
「え、ここの方?(先ほどの女性の)息子さん?」
【ローズガーデン 店主 市原英次さん】「そうなんですよ」
【兵動さん】「(お母さんが)二十歳って言ってはったから。今おいくつなんですか」
【ローズガーデン 店主 市原英次さん】「僕は54歳。何歳なんですか?」
【兵動さん】「僕は今年54です」
【ローズガーデン 店主 市原英次さん】「同じなんですよ。だから親近感ありますやん」
【兵動さん】「はなし家さんかなと思った。野崎まいり(の落語が)できる」
【ローズガーデン 店主 市原英次さん】「僕、野崎まいりのスペシャリストなんですよ。野崎観音さんに花を寄付したりとか。観音さんはあじさいとか植えられているんですよ。季節に応じていろんな花が見られるんです」
「今日は何で来はったんですか?」
【兵動さん】「昔の写真と同じところから写真を撮りたいというので、昭和32年(の写真)で」
【ローズガーデン 店主 市原英次さん】「野崎まいりね。(Q.歌もある?)野崎まいりが~♪って。一番てっぺんに野崎観音さんというのがあるわけ。そこの観音さんにお参りする」
「5月に入ると、ここ(参道沿い)にざーっと店が並ぶ。(Q.屋台が出る?)そうそう。屋台をずっと通って(野崎)観音さんに行くわけ」
毎年5月に行われる「のざきまいり」という行事が、野崎では恒例となっているそうです。
【ローズガーデン 店主 市原英次さん】「野崎観音さんの入り口がね、しだれ桜なんですよ。しだれ桜の八重咲き。それが価値があるねん」
と説明しながら、しだれ桜をユニークなポーズで表現してくれました。
【兵動さん】「ちゃんと教えて、しだれは(どんなポーズ)?」
【ローズガーデン 店主 市原英次さん】「しだれはこうなってますねん。そこ(野崎観音の入り口)で絶対ポーズしてくださいよ」
【兵動さん】「分かった!」
野崎観音のしだれ桜を目指して歩いていると、思わぬ人に出会いました。
【クシャおじさん】「テレビ出てんねん。2代目『クシャおじさん』」
【兵動さん】「クシャおじさんっていらっしゃったよね。2代目なんですか?クシャおじさんって顔をクシャってやるやつでしょ」
初代と2代目がいたクシャおじさんは、自分の顔を縮める芸で、昭和の時代、お茶の間の人気者でした。
【兵動さん】「もともと大東の出身ですか?」
【クシャおじさん】「そうそう」
【兵動さん】「野崎は有名ですね。野崎まいりで」
【クシャおじさん】「うん」
「私は前はチンドン屋によく出てた」
【兵動さん】「へぇ、それで盛り上げて。貴重な話をありがとうございます」
クシャおじさんと別れたところで…。
【兵動さん】「野崎、どうなってんねん!」
個性的な人々との出会いに驚く兵動さん。
野崎観音へ向かい「野崎まいり」について尋ねてみることに。
■お寺で大きなヒントを入手
【兵動さん】「すごい階段…。よいしょ」
長く続く石段を上がって息切れ気味のようですが、上りきると境内からは眼下に広がる大阪平野を見渡せました。
【兵動さん】「すごいな。いつもこうやってご褒美くれるよね。がんばって上がったらご褒美がある」
そして、先ほどの生花店で聞いたしだれ桜を見つけました。
【兵動さん】「これか。これです、さっきの人が言うてたん。ポーズ忘れてもうた、階段が長すぎて。なんか、こんなんやったな。(約束通りポーズを)やったで!」
先ほどのポーズとは少し違う気もしますが…。
【兵動さん】「きれいやね。青い空に映えるな」
野崎観音という名で知られる「慈眼寺(じげんじ)」は曹洞宗のお寺。
本尊の十一面観音は行基によって彫られたものと伝えられています。
【兵動さん】「お邪魔いたします」
しっかりと手を合わせてお参りしてから、写真についてお寺の方に聞いてみます。
【慈眼寺 職員】「これはね、こういう大きい船が行くということは、寝屋川ですね。天満橋の方から流れてきますわね。(Q.それは大東市まで流れてきている?)そうです」
【兵動さん】「昔は船に乗ってお参りに来る人もおったんですか」
【慈眼寺 職員】「おった。で、落語でね、歩いて行く人と船で行く人のやりとり、けんかみたいな掛け合いが落語のネタになっているんです」
冒頭で兵動さんも触れていましたが、上方落語の「野崎まいり」とはこのことでした。
【慈眼寺 職員】「(写真を指して)これね、(船に)『大東市』って書いてますやろ。昭和31年に大東市の市制が敷かれたんです。そのお祝いという形で、多分(船を)浮かせたと思います」
【兵動さん】「これは昭和32年の写真やから、昔ながらのあれを再現しようということで」
【慈眼寺 職員】「そうです。おそらくこの船が浮いたのは住道近辺やと思います」
江戸時代ににぎわいを見せた「野崎まいり」の屋形船ですが、鉄道や道路の発展で、その風情はなくなってしまいました。
お寺の方によると写真の撮影場所は住道近辺だと思うということで、JR住道駅周辺で聞き込みを続けます。
■たどり着いた理髪店で見せてくれたのは…
【兵動さん】「さぁ、教えていただきました『住道駅』に到着しました。大きい立派な駅ですね。で、目の前が川ですよ。これが寝屋川。さっきおっしゃっていた、『水害があったからだいぶ高くなったけどね』って言っていたのがこの高さということか。ここは2本の川が1本になっている」
北から寝屋川、東から恩智川が流れてくる形で、ちょうど住道駅前で2つの川が交わっています。
この川について街の人に聞いてみます。
【兵動さん】「すいません。ちょっとよろしい?川が2本流れてますけど、何の川かなと思って」
【街の人】「こっちが恩智川(おんちがわ)で、こっちが寝屋川です。大雨が降ったら(水位が)高くなる。だから高いですよね、堤防が」
ここで写真を見てもらいます。
【兵動さん】「大東市が市になって、昔の野崎まいりを再現したのではないかという」
【街の人】「もし野崎まいりの写真であるならば、恩智川ではなく寝屋川ですね」
【兵動さん】「なんで恩智川ではないってお分かりになりました?」
【街の人】「(野崎観音がある山の方面を指しながら)野崎ってこの方向」
【兵動さん】「さっき行った野崎(観音)さんの山もあそこですもんね」
【街の人】「そう。あそこにね、本通商店街?あの中に古いお店が何軒かありますので、あそこで尋ねられたらいかがですか?」
街の人が指した方向を見ると、「住道本通商店街」の文字が見えました。商店街の周辺で聞き込みを続けます。
【兵動さん】「商店街…お昼時やからな、今。うわ、おいしそうやな」
店の前に料理の写真が貼られた喫茶店を見つけ、声をかけてみる兵動さん。
【兵動さん】「こんにちは。(写真を見せて)この場所って分かったりします?」
【街の人】「分からないです。ここを真っすぐ行ったら区長さん、菱井さんという散髪屋さんが(ある)」
【兵動さん】「その散髪屋さんは地元で(昔のことに)詳しい方?」
【街の人】「詳しいです」
教えてもらった理髪店を訪ねることに。
【兵動さん】「おしゃれなお店。(メニューを見て)今パンチパーマなさる方いらっしゃるんですか?」
【ヘアーサロン ヒシイ 店主 菱井 明さん】「1人だけ」
【兵動さん】「貴重ですね、1人!」
そして、写真を見てもらうと…!
【兵動さん】「これが昭和32年の写真でね」
【ヘアーサロン ヒシイ 店主 菱井 明さん】「これが私が撮ってるやつやと思います」
【兵動さん】「…『私が撮ってる』っていうことは、この写真、大将が撮ったということ?」
すると、年季の入った分厚いファイルを見せてくれました。
【兵動さん】「すごい、素晴らしいのが出てきた。ネガ!久しぶりに見たで、ネガって」
【ヘアーサロン ヒシイ 店主 菱井 明さん】「あ、あったあった」
【兵動さん】「あー、ほんまや。ある。これです。この写真のネガが出てきました」
菱井さんが見せてくれたネガと今回の写真を見比べると…まさしく同じ写真でした!
なんと今回の写真は、菱井さんが10歳の時に撮影したものだったのです。
菱井さん一家は、3代続くカメラ好き。これまで大東市のさまざまな風景をカメラに収めてきました。
そうした写真は、地元の写真集にも掲載されています。
【兵動さん】「撮りに行ってるから場所を覚えてはりますよね」
【ヘアーサロン ヒシイ 店主 菱井 明さん】「そうね。これが寝屋川で、これが恩智川です。あの(写真の)橋が、この橋です」
【兵動さん】「あぁ、見えへんかったぞ、今まで。ここに橋があるわ。すごいギャラリーの方がいらっしゃる。この橋が?」
【ヘアーサロン ヒシイ 店主 菱井 明さん】「これ」
【兵動さん】「ほな、ここからこう撮った写真や」
昔は寝屋川と恩智川の間に中洲がありましたが、治水工事で川幅を広げた際に、橋と一緒になくなり、街の風景はすっかり変わってしまいました。
【兵動さん】「先ほど言っていたこの橋がその辺に架かっていたと」
大体この辺りから撮った写真でした。
【兵動さん】「はい、チーズ」
【兵動さん】「水害があったということなので、堤防が高くなったのでもう(川は)見えないですけども。先ほどの大将が少年時代にここからその写真を撮りに来て」
「野崎まいり、どうですか?屋台とかも出てますし、ぜひ!」
(関西テレビ「newsランナー」 2024年5月3日放送)