細川ガラシャゆかりの地・長岡京市 紅葉名所も多数 戦前から街の発展を支えた駅の誕生秘話とは【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2023年12月01日
【兵動さん】
「今回は長岡京市です。勝竜寺城というお城があります」
京都府長岡京市は、奈良の平城京から京都の平安京に遷都される間に、桓武天皇によって都が置かれた場所です。また、紅葉をゆっくり楽しめる神社仏閣の名所が数多くあることでも知られています。今日はそんな長岡京市の勝竜寺城公園からスタートです。
■写っている駅は今もあるのか?
これは1972年(昭和47年)に長岡京市内で撮影された写真です。どこの風景か分かりますか?
【兵動さん】
「駅やんか。神足駅と書いて“こうたり”駅って読むの。昔ながらの、ちょっとこじんまりした味のある駅。幼稚園の子がお母さんの手を引っ張って、(近くにいるのが)それを見ているおっさんということですね。神足駅(について)、聞き込んでみたいと思います」
周囲に「神足駅」は見当たりませんが、まずは聞き込み開始。歩き出すと、気になるのぼりがありました。
【兵動さん】
「“長岡京ガラシャ祭”って何やろ。ガラシャって聞いたことあるけどな。“明智光秀公三女玉お輿入れの城”(と書かれた石碑を見ながら)、嫁いだということか」
さらに、「勝龍寺城跡」と書かれた大きな看板も発見しました。そこに書いてある内容を読んでみると…。
【兵動さん】
「細川ガラシャ、聞いたことある。“明智光秀の娘・玉(細川ガラシャ)の婚礼が執り行われるなど、文化的な交流の場となっています”というのがこのお城やって。ガラシャはよく知ってますか?(と街の人に話しかける)」
そばを通りかかった女性に聞いてみます。
【街の人】
「地元なので。(地元ではガラシャは有名?)そうですね。大河ドラマとかでちょっとお名前が出るとうれしい」
【兵動さん】
「ガラシャ祭に参加したことはあるんですか?」
【街の人】
「はい。小さい時から。一番メインは行列です」
毎年11月の第2日曜日に行われる「長岡京ガラシャ祭」。細川ガラシャのお輿入れ行列を再現し、約1000人の行列が勝竜寺城公園まで約3kmを練り歩きます。
キリスト教を信仰し、38歳の若さでこの世を去った細川ガラシャは、ここで幸せな新婚生活を過ごしたようです。
神足駅のヒントを求めて、さらに周囲を散策していると、郵便局がありました。その名前は…。
【兵動さん】
「“神足郵便局”。だから、(神足駅は)この界隈の駅やね。あそこの交差点も“東神足”になってるわ」
この辺りの地名に「神足」の名が使われていることに気づきました。
向こうから男性が歩いてきたので、写真について聞いてみることに。
【兵動さん】
「神足駅って聞いたことあります?」
【街の人】
「引っ越してきてちょっと経っているんで…。この字は見たことありますね」
【兵動さん】
「この辺で駅ってあります?」
【街の人】
「長岡京駅がすぐそこですね。村田製作所のすぐ前です。(村田製作所って有名な?)本社です、あれが」
【兵動さん】
「それ(村田製作所の本社)は長岡京市なんや。(この街は)住みやすい?」
【街の人】
「めちゃくちゃいいです。子育て支援がすごく長岡京市と向日市がいいので、それもあって引っ越してきました。京都市から引っ越してきたんですけど、全然(支援の)手厚さが違うので」
ここから一番近い駅がJR長岡京駅だということで、念のために行ってみます。
■有名メーカーのお膝元でもある長岡京市
【兵動さん】
「JR長岡京駅に着きました。この周りの地域は“神足”なんですね。で、こっちはJR長岡京駅なんです。(写真には)“国鉄”とか書いてないんですね。この当時は(JRは)国鉄なんですよ。だから幻の違う線があったのか…」
そして、背後にある大きなビルを見上げる兵頭さん。先ほど教えてもらった村田製作所の本社ビルです。
【兵動さん】
「これか…。これね、村田製作所。名前はむちゃくちゃ聞いてるねんけど。本社があるということは、多分長いこと、この界隈でやっていると思うのよ。ちょっと行ってみる?これちょっと入るの…蝶ネクタイやし、いけるか。正装やもんな」
服装を気にしつつ、ビルの中へ。広報部の方が対応してくれることになりました。
【兵動さん】
「ここの会社って何を作っているんですか?」
【村田製作所 広報部 植田佳奈さん】
「スマートフォンとか自動車に入っている小さい電子部品を作っている会社です」
世界トップクラスの電子部品メーカー・村田製作所。ロビーに設置されたガラスケースの中には、村田製作所が扱っている電子部品が置かれていました。
【植田さん】
「これは積層セラミックコンデンサという電子部品で、電気を貯めたり、放出したりする部品なんです」
顕微鏡をのぞき込むと、そこには1ミリよりはるかに小さな電子部品がありました。
【兵動さん】
「ちっちゃ!これ部品ですか?くしゃみしたら終わりやん」
ここで写真について聞いてみます。
【植田さん】
「ここがどこというのは、申し訳ないですが私も知らなくて。(周辺には)いろんな商店街があって、昔の話を聞くとなるとやっぱり、昔からあるのは商店街です。写真(の場所)探し、がんばってください」
村田製作所さんの応援を受けて元気をもらった兵動さん。JR長岡京駅の西側にある商店街へ行ってみることに。
【兵動さん】
「ここやね。“神足商店街”。ええ名前やね、神足って。昔はずらっとお店やったんやろうね。(徐々にお店を)建て替えて、住宅地になったということなのかな」
辺りを見回しながら歩いていると、「長岡京市立神足ふれあい町家」という看板を掲げた町家を発見しました。
【兵動さん】
「ここは誰でも入れるんですか?入っていいですか」
【長岡京市立神足ふれあい町家 スタッフ】
「どうぞ」
神足ふれあい町家は、江戸時代末期に建てられた旧石田家住宅を活用した、市民交流の場です。中にはカフェスペースもありました。せっかくなのでおすすめのメニュー、おさつアイスセットを注文。焼き芋にアイスクリームとあずきが乗っていて、さらに添えられた黒みつときなこをかけていただきます。
【兵動さん】
「めちゃくちゃおいしいですね。焼き芋がおいしい。黒みつときなこをかけることによってデザートのランクが上がる」
おいしいスイーツをいただいてひと息ついたところで、そろそろ本題へ。
【兵動さん】
「(写真を見せながら)これね、神足駅って書いてたんです」
【長岡京市立神足ふれあい町家 館長 大垣有香さん】
「JR長岡京駅です」
【兵動さん】
「神足駅が長岡京駅に変わったということ?」
【大垣さん】
「はい。ちょうど今通って来られた石畳の道が“西国街道(さいごくかいどう)”というんですが、それをまっすぐ進むと“神足公民館”があって、そこに神足駅の看板(駅名標)があります」
JR長岡京駅がかつての神足駅とのことです。
■神足駅の設置が現在の長岡京市の発展につながった?
神足駅の駅名標がある場所へ向かうため、西国街道を歩いていると…。
【兵動さん】
「公民館…あ、あるわ!」
教えられた公民館の前に「神足」と書かれた駅名標がありました。
【兵動さん】
「神足駅。なんでこれだけがここにあるんやろ」
公民館で地元の方々に話を伺ってみることに。
【兵動さん】
「皆さん、こちらは長いんですか?」
【山本敏彦さん(76歳)】
「我々も(神足駅を)利用していました」
【兵動さん】
「この駅は歴史が古いんですか?」
【岩崎富士子さん(80歳)】
「戦前やね」
【山本敏彦さん】
「私たちの母親の時代は駅がなかったんです」
神足駅がなかった昭和初期、隣の駅までの距離が離れていて、とても不便だったそうです。
【山本峯也さん(69歳)】
「地元の地主たちが駅の新設を請願して」
地元住民が土地の提供や資金を集めて、当時の鉄道省に新駅の設置を請願したことで、1931年(昭和6年)、念願の神足駅ができたのです。
そして1972年(昭和47年)、転機が訪れました。街の名前が長岡町から長岡京市に変わったのです。それでも駅名には「神足駅」の名前が使われてきましたが、1995年(平成7年)、ついに駅名が「長岡京駅」に変わりました。
【兵動さん】
「駅名が変わって寂しかったですか?」
【山本敏彦さん】
「寂しかったですね。突然変わってしまった」
【山本峯也さん】
「(駅名標を)処分しないといけないということで、我々の先輩が譲ってもらって、あそこ(公民館の前)にかけようかということになったんです」
約40年間、地元の人たちに親しまれた神足駅。神社や小学校など、今も街中には「神足」の名称が根づいています。
写真に写っているのは駅の西口だと教えてもらい、現在のJR長岡京駅へ写真を撮りに向かいます。
【兵動さん】
「はい、チーズ。JR長岡京駅、前は神足駅でした。この地域は全部(地名が)神足ですから。後ろには村田製作所さん。また遊びに来たい、素敵な街でした。ありがとうございました」
(関西テレビ「newsランナー」 2023年11月24日放送)