2007年7月24日(火)

番組内容
なんとか送還を免れた智内さんは、左手のピアノや楽譜の存在を知り猛練習を重ねます。一方大学ではジストニア研究の医療、臨床、演奏の関係者が連携し始めました。卒業演奏がピアノ科の先生方を動かし、「片手のピアノ科」が生まれる動きがでてきたのです。

ストーリー
ジストニアという病に右手を冒されリハビリ後、右手を捨て左手のピアニストで活動を始めた智内威雄は、リハビリ期間中の苦い経験、自分と向きあう長い時間から自分の音楽を見つけました。左手のピアノの世界。和音や重厚な音の響きをベースに重ね合わせる明確な旋律を組み上げる音空間の芸術。従来のピアノ演奏が音符の忠実な再現を目指すことに対し、彼の演奏は、まったく別の「響く音」を基調に3次元的な音を引き出す手法をとる。
「響音」-。これに引かれたのは傷ついた心を持つ人たちだった。今年1月、阪神大震災の慰霊コンサート。会場を埋め尽くす悲しみの魂が威雄の左手に乗り移り、凝縮された音が教会に響いきました。「見えない共有の3次元の場」。音空間の現出。彼はこのとき、自分のピアノ音は死者と生者の交流する「心に響く音」になれればと意識しはじめました。それを教えてくれたのが、震災で1人息子を亡くした加藤律子さん。震災後 12年の慟哭の苦しみを経て威雄と出会い、亡くなった貴光君のメッセージを律子さんは威雄に託します。「戦争は対岸の火事ではない」-大学で学びながら国連職員を目指した彼の遺言。
智内威男はリハビリで自分と向き合い、左手のピアニストへの道を決意しました。しかし、2001年の同時多発テロが彼を窮地に追い込みます。両手で演奏できない留学生の智内威雄に、ドイツは危険人物の疑いをかけ、強制退去命令を出しました。友人たちの助けで強制送還を免れたものの、このとき、威雄は戦争やテロが自分にも降りかかることを実感しました。「対岸の火事ではない」-加藤さんとの出会いが威雄に様々な変化をもたらします。自分にできる音楽の力は何なのか?何を目指せばいいのか?アウシュビッツ。ナチスドイツの強制収容所。威雄は音楽がここで人々にどんな力をもたらしたかを自分の眼で確かめます。彼が感じた「最期の瞬間まで生きた人の思い」。秋に日本で演奏予定の有名な曲の練習風景。彼が左手1本で仕上げるのにどんな努力をしているか?垣間見える瞬間が映し出される。ただ音を響かせるために。