ザ・ドキュメント

2015年3月8日(日)深夜1:35~2:30

1999年、神戸大学工学部が阪神淡路大震災の被害を記録する取り組みを始めていた。
長谷川さん一家は、母の規子さんと1歳の三男・翔人くんを亡くし、お父さんの博也さんが長男・元気さん(中1)、次男・陽平さん(小6)を男手ひとつで育てていた。思春期の入口に立つ二人の男の子を前に、伴侶を失ったお父さんが迷いながら子育てに格闘していた。



関西テレビは、長谷川家を中心に、平穏だった日常を突然の地震に奪われた人々に「想い」をたずねる姿を追ったドキュメンタリー『想いをたずねて~6430人 いのちの記録』を放送(2000年1月16日)。震災から5年の時を経て、家族を失った人たちの「生の声」を届けた。

震災当時8歳と7歳だった兄弟は28歳と27歳に。長男・元気さんは神戸市で小学校の先生をしている。次男・陽平さんは編集プロダクションのライター。
お父さんの博也さんは63歳、従来通り自宅で塾を経営している。
あの日別れも言えず、突然旅立った家族への思いを、3人はそれぞれの方法で持ち続けていた。

兄の元気さんは2年生の担任。子どもたちに自身の体験を伝え、何気ない日常を大切にしてほしいと説く。小学校の先生になったのは、震災後、自分が感じてきたことを子どもたちに届けたいと思ったからだ。
誘われて、語り部も始めた。読み上げるのは中学1年のときに書いた作文。地震当日、何度もお母さんを呼んだのに返事はなかった。元気さんは、この作文をきっかけに、語ること、想いを伝えることで自分の心が整理されることに気付いた。

弟の陽平さんは中学校時代、兄と同じように作文を書くよう求められ、4行しか書かなかった。かわいい盛りだった、初めてできた弟への強い思いを何年も閉じ込めてきた。「分かち合っても悲しみは減らないから」。父や兄に話すこともなかった。
遺体と対面した時の光景は今も瞬時に浮かぶ。

お父さんの博也さんは、残された二人の子どもを育てることに力を注いできた。ご飯を作って、送り出して、出迎えて。それが妻から託された宿題だと思った。大きな宿題をやり遂げた今も、寂しさや悲しみは消えない。
「慰めてくれる人には悪いけど、遺族にしかわからない思いがある」。

語り部となった元気さんは、宮城県石巻市と名取市を訪れ、東日本大震災の遺族にも出会った。子どもを失った人、親を亡くした人。それぞれ深い悲しみとともに生きていた。父の姿とも重なった。
「人は何のために生きるのだろう」。その問いを、担任するクラスの子どもたちに持ち帰る。これから教師として、子どもたちとともに学んでいくつもりだ。

東日本大震災でも、多くの子どもたちが家族を亡くした。幼少期に突然家族を失った子どもたちは何を感じながら大きくなるのだろう。神戸の少年たちが大人になり、カメラの前で語ってくれた。
20年を生き抜いてきた姿は東日本の被災地の人々の希望にもなると受け止められた。
人は時に、思いもよらない困難に出くわすが、それでも生きていかねばならない。
20年の月日を歩んできた長谷川家のそれぞれの想いを伝えて、命と向き合う防災の原点としたい…そんな思いでつくったドキュメンタリー番組。

ディレクター:迫川緑(関西テレビ報道部)
プロデューサー:兼井孝之(関西テレビ報道番組部)

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