1日に約1万人が渡った“橋” 向かう先は? 兵庫・相生の“橋”と商店街が象徴する“産業”とは【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2023年10月13日
1枚の写真から街を再発見!兵動大樹の今昔さんぽ
■大勢の人が渡る橋の先には一体何が?
【兵動さん】
「今回はですね、JR相生(あいおい)駅前からスタートでございます。新幹線の駅も一緒ということで、(東側に)たつの市があって、向こう(西側)が赤穂市、その間に相生市。のどかで自然がいっぱいあっていいところですが、そこからスタートでございます。今日の写真は?」
これは1965年(昭和40年)頃に兵庫県相生市内で撮影された写真です。どこの風景か分かりますか?
【兵動さん】
「これ相生?これ、(写っているのは)みんな人ですよ。みんな自転車押して。川かな?川があって、どこに行ってるの?みんな。こんなに人が橋渡ることある?これ逆にすぐ分かるんちゃうかな。この橋は」
それでは聞き込み開始です。
【兵動さん】
「(写真を見せて)同じところから写真撮りたいんですけどね」
【街の人】
「あのーなんとか橋。何やったっけ。船が通る時に橋が動く…」
船が通る時に動く橋とのこと。さらに聞き込みをしようと歩いていると、「塩味(しおみ)まんじゅう」と書かれた看板を見つけ、お店に入ってみることに。
【兵動さん】
「この塩味まんじゅうというのが名物ですか?」
【潮見堂本店 相生店 店員】
「播州地方の土産物です。中のこしあんに塩味がついてます」
塩味まんじゅうを試食させてもらうことに。
【兵動さん】
「すごい塩味(えんみ)がする。塩の味が先に立ってから、あんの甘味がぶわーっとくる。おいしい!」
他に、相生ならではの商品もあるようです。
【店員】
「一口サイズのようかんになっていまして、ゆず味で。“相生ペーロンようかん”という名前です」
【兵動さん】
「“(相生)ペーロン祭”いうて、ぐわーって船を漕ぐ…」
【店員】
「私(相生ペーロン祭に)出ていたんです。入り江になった相生湾の中で船を漕いで競争するんです」
毎年5月に相生湾で開催される「相生ペーロン祭」は、播州に初夏の訪れを告げる風物詩として知られています。
【兵動さん】
「出てはったんですか」
【店員】
「女子で2位です」
【兵動さん】
「すごい!」
ここで写真について聞いてみると…。
【店員】
「知ってます。この(写真の)状態は見たことないんですけど、この橋があるのは知ってます」
【兵動さん】
「この橋の名前はなんていうか覚えてはります?」
【店員】
「“かいきん橋”っていいます。皆勤賞の“皆勤”やと思うんですけど」
【兵動さん】
「(写っている人たちが向かっている)この先に行ったら何があったんですか?」
【店員】
「“IHI”の造船所があって、そちらに通勤されている。“石川島播磨重工業(現・IHI)”っていう(会社)」
【兵動さん】
「(写真に写る人たちを指して)皆勤してるってことなんかなぁ。みんな仕事に。この橋は今もあるんですか?」
【店員】
「もうないです。“ほんまち商店街”っていう商店街が海へ行く途中にあるんですけど、そちらでしたら結構詳しいお話が聞けると思います」
【兵動さん】
「ほんまち商店街。そこは昔からあるお店が結構あるんですか?」
【店員】
「そうです」
■駅から離れた場所に商店街が誕生した由来
早速、相生駅から徒歩約15分のところにある「ほんまち商店街」に向かいました。ここで聞き込みを続けることに。アーケードの大きな商店街を歩いていると、喫茶店を発見しました。お店の方に写真を見てもらうと…。
【兵動さん】
「(写真を見せながら)これね、昭和40年頃の写真で、皆勤橋じゃないかと。分かります?」
【珈琲サロン パール 店主】
「分かります。懐かしいね。顔もはっきり見えるね」
【兵動さん】
「ふと思ったのが、立派な商店街ですやん、ここ。相生駅からは距離的には、まあまあありますやん。なんでなんですか?」
【店主】
「ここはもともと造船所の社宅がこの横にずっと(あった)。その方たちの生活用品を揃えるということで、この商店街ができたんですけどね」
1918年(大正7年)、石川島播磨重工業の前身である「播磨造船所」は、増加する従業員のために社宅街を造りました。その中央に、従業員のための商店街が誕生したのです。
【兵動さん】
「(造船所で)働いている方はこの界隈の社宅に住んでいたんですか?」
【店主】
「そういう方もおられるし、相生駅から自転車で、そこから2キロあまりの造船所へ行く方たちもいました。(造船所までの通勤経路は)一本の道やったからね。この皆勤橋が来るまでは」
【兵動さん】
「この商店街を突っ切って行くということ?」
【店主】
「そうそう。店の前にパチンコ屋さんがあったんです。(そこから)出前(の注文)をよくいただいていたんですけど。自転車が多くて、コーヒーが冷めるぐらい」
【兵動さん】
「渡られへんねんや。自転車がざーっと行ってるから」
さらに、商店街の理事長にも聞いてみました。
【本町商店街振興組合 理事長 森下高明さん】
「(橋から)何人か落ちてはるもんな。柵がないねん。(この橋はいつまであったんですか?)平成14年まで。20年くらい前までは(あった)」
1943年(昭和18年)、従業員の増加に伴い、箱舟をつなげた浮き橋「皆勤橋」が架けられました。通勤者だけでなく、地元の人たちもこの橋で釣りや夕涼みを楽しむなど、親しまれていました。しかし2002年(平成14年)、老朽化のため、およそ60年の歴史に幕を下ろしたのです。
【森下さん】
「(皆勤橋が)ここにあったという“碑”はここにある」
【兵動さん】
「それを確認しに行きます。その界隈でお話を聞けそうなところってありますか?」
【森下さん】
「こっち(写真の橋の右)側に、“おお”という元々の漁村がそのまま残ってた町があるんやけど。相生と書いて“おお”と読む。そこに“松仁(まつに)”さんという魚屋さん(がある)。そこが古くからやってはります」
■古い町並みが残る相生(おお)地区へ
商店街から海の方へ行ってみると、先ほど聞いた通り、皆勤橋の碑がありました。そこには、1日に約1万人の石川島播磨重工業の従業員が橋を渡り、造船業の全盛期を支えたと記されていました。しかし、橋はどこに架かっていたのか、まだ正確な場所は分かりません。
【兵動さん】
「この辺りには間違いないねんけど。先ほど聞いた“相生(おお)”という町。そこの魚屋さんに行ってみたいと思います」
相生市で一番古い町といわれる相生地区。そこにある「松仁鮮魚店」へ向かいました。
【兵動さん】
「こんにちは。おしゃべり中?」
お店に着くと、この日は定休日の様子。店内でお店の方と、高校時代の後輩だというご友人がおしゃべりに花を咲かせているところでした。
【兵動さん】
「お店は何年ぐらいされてるんですか?」
【松仁鮮魚店 井田幸子さん】
「3代目で、おじいちゃんの時から100年ほど」
創業から約100年続くこちらの鮮魚店。店先で焼くアナゴの炭火焼きが名物だそうですが、あいにく定休日でいただけず…。
ここでも写真を見てもらいました。
【井田さんの友人 貝賀桂子さん】
「私もこの人(井田さん)も造船所に勤めていました。この橋を渡っています。(貝賀さんが勤めていた頃は)柵ができました、落ちんように」
【兵動さん】
「船が(橋の場所を)通りたい時もありますよね。ここを船が通りたい時はどうするんですか?」
【井田さん】
「橋の一部分が一つだけ外せるんです。それで空いたところを船が通る。(当時は)賑やかでしたよ」
【貝賀さん】
「給料日は皆勤橋のたもとに女給さんがズラーっと並んで。みんなツケで遊んでましたからね」
【兵動さん】
「ツケを払ってもらうために、お店の人が並んでるんですか?」
【貝賀さん】
「帰るまでに給料がなくなって奥さんに怒られる」
【兵動さん】
「昭和の男やな。今やったら、離婚や!って言われますね。いろんなお話聞かせていただきましたけど、この写真と同じところから写真を撮りたいんです。撮ってる方向でいうと、会社側からですよね」
【貝賀さん】
「そうやね。(IHIで)許可をもらわないと(撮影場所には)入れません」
詳しい場所が分かったところで、撮影場所と思われるIHI相生事業所へ。現在、IHI相生事業所では、最先端技術によるエネルギー関連設備を製造していて、造船事業は関連会社で今も続けられているそうです。
いよいよ撮影場所と思われるIHI相生事業所に到着し、職員の方に敷地内を案内してもらいました。かつて皆勤橋が架かっていた相生湾を望む、小高い山の中腹あたりから撮影すると、同じ画角で撮れるだろうとのこと。山に登ってみると、橋があった湾が木立の間から見えました。
【兵動さん】
「はい、チーズ。(昔の写真は)造船業にすごく勢いがある時代の写真です。1万人もの方がこの橋をズラーっと通っていた。(時代の)勢いを感じる写真でしたね。ありがとうございました」
(関西テレビ「newsランナー」2023年10月6日放送)