3歳の孫に暴行を加えて死亡させた罪などに問われている祖母の裁判で、12月13日判決が言い渡されます。
3歳の幼い命が失われた事件の背景に何があったのか。これまでの裁判で、徐々に明らかになってきました。
起訴状などによると、介護士の寺本由美被告(48)は、おととし7月、寝屋川市の自宅で当時3歳だった孫の豊岡琉聖翔(りせと)ちゃんの頭などに暴行を加え死亡させた罪などに問われています。
これまでの裁判で、寺本被告は飲食店で頭を1回殴った暴行罪については「水ばかり飲むので、ご飯が食べられなくなると思い(げんこつで)叩いた」と起訴内容を認める一方で、「それ以外では暴行していないです」と傷害致死罪について無罪を主張しています。
検察側は、3歳の孫の死亡について「暴行による傷害で死亡。それができたのは被告だけ」として懲役9年を求刑しました。
一方の弁護側は「孫が夢遊病で、自らけがをして死亡した可能性がある」と無罪を主張しています。
寺本被告は、寝屋川市で、介護の仕事をしながら次男と暮らしていました。死亡した琉聖翔ちゃんは長男の息子で、長男が離婚後、養育していました。長男は、いわゆるシングルファーザーでした。
事件当時、長男が仕事に行くため、寺本被告が琉聖翔ちゃんを預かっていました。寺本被告によると、琉聖翔ちゃんが2歳半ぐらいになったころから、長男の仕事の影響で、2~3日の間隔をあけて1週間から10日ほど預かることが多かったといいます。
寺本被告にとって琉聖翔ちゃんは“初孫”で「すごくかわいくて癒されていた」といい、不規則な介護の仕事をしながらでも「預かることは負担ではなく、来る楽しみがあった」と話しています。
しかし、その一方で、「琉聖翔はやんちゃでいたずらが多く、口で注意してきかないときは、ほっぺや、おでこを叩くことがあった」と、良くないと思いながらも日常的に手を出していたことを法廷で明かしました。言うことを聞かないときに、遊び半分で、次男と一緒に琉聖翔ちゃんを布団でぐるぐる巻きにし、琉聖翔ちゃんが泣いたこともあったといいます。
言うことを聞かないときに暴力をふるっていたという寺本被告ですが、暴力の背景にある自らの感情については、検察官や裁判員らが何度質問しても釈然としませんでした。
裁判官「(暴力は)苛立ちによるものではないのですか」
寺本被告「はい」
裁判官「(暴力で)言うことを聞くからでもない」
寺本被告「はい」
裁判長「良くないことだとは思っていましたか」
寺本被告「はい。自分の子どもにも手を挙げたことはなかったけど、全然(琉聖翔ちゃんが言うことを)聞いてくれなかったから」
裁判長「なのにどうしてやめられなかったのですか」
寺本被告「…」
裁判では、次男も証言台に立ちました。
法廷での寺本被告は、被告人質問のとき以外は常に下を向いて座り、長い髪で表情も見えないという様子でしたが、この時ばかりは、証言台に立つ次男をじっと見つめていました。次男には軽度の知的障害があり、事件当日の自身の行動などについては小さな声で答えていましたが、母親である寺本被告の暴力に関する検察側の質問をきっかけに口を閉ざし、微動だにしなくなりました。弁護人の提案で急きょ、寺本被告が次男に証言を促す場面もありました。
「久しぶり。元気にしてた?」「黙りこまんと正直に話してほしい。初めての人ばかりで緊張すると思うけど、みんなが質問したら話してほしい」と、寺本被告は泣きながら、証言台に立つ次男に語りかけました。
しかし、次男はその後も母親の暴力について言葉を発することはなく、「お母さんのことが心配ですか」という裁判長の質問に、無言でうなずいて法廷を後にしました。
琉聖翔ちゃんが死亡する前日、寺本被告は、琉聖翔ちゃん、次男らと外食しました。次男はその夜、外泊したため、寺本被告が1人で琉聖翔ちゃんとその妹を寝かしつけました。寺本被告らによると、前日の琉聖翔ちゃんに変わった様子は見られなかったといいます。
しかし、翌朝、琉聖翔ちゃんは38.6度の熱を出しました。寺本被告は病院には連れて行かず、帰宅した次男に熱があることを告げて仕事に行きました。次男が気が付いたときには、琉聖翔ちゃんはぐったりして口から泡を吹き、救急隊員が駆け付けたときにはすでに亡くなっていたということです。
裁判では、解剖医が「琉聖翔ちゃんの頭にはくも膜下出血や脳浮腫などがあり、それらは他者の暴行による強い外力によるもので、事故転倒が原因とは考えられない」などと証言しました。
また隣人は、事件前夜に「ドンドン」「ドン」という、これまで聞いたことのない鈍い音を複数回聞いたと証言しました。
検察側はこれらを証拠として、「その時間(死亡する前夜)に暴行を加えられたのは被告人しかいない。普段から被告は琉聖翔ちゃんが言うことを聞かなかったときに平手で殴るなど手を挙げていて、(事件当日も)腹が立って殴ることはありうる」と寺本被告が暴行を加えて死に至らしめたと述べ、「犯行を否認していて反省も見られず、琉聖翔ちゃんは3年余りで人生を閉ざされて結果は極めて重大だ」として懲役9年を求刑しました。
一方、弁護側は「琉聖翔ちゃんは両親が離婚するという話が出てから、寺本被告の家や母親の実家など、住居が転々と変わっていて強いストレスによって夢遊病を発症するようになっていた。琉聖翔ちゃんぐらいの年齢では、夢遊病を発症しやすいという医師の証言もある。寝た後に無意識に家の中の棚など高いところへ上がり、誤って複数回転落した結果、頭のけがをして亡くなってしまった」などとして、琉聖翔ちゃんが自分からけがをして死亡したと主張。傷害致死罪について無罪を訴えました。
裁判では、琉聖翔ちゃんの父親の心情も伝えられました。読み上げられた供述書には、「『お仕事頑張ってね』が、琉聖翔が私にかけてくれた最後の言葉。自分の息子を自分の母親に殺されたという複雑な心境です。もっと早く(熱のことを)言ってくれていたら病院に連れて行けたのにと、悔やまれます」と書かれていました。
11月28日の法廷で、寺本被告は時折言葉につまりながら「(琉聖翔ちゃんが死亡した日の朝)熱があったときに病院に連れていくなり、救急車呼ぶなりすればよかったと後悔しています。いたずらをしたからといって、手を挙げたことは悪かったと後悔しています。本当にすみませんでした。夜は一切、手を出したりは、絶対していません。それは言い切れます」と話し、裁判は結審しました。
判決は12月13日に言い渡されます。
(関西テレビ報道センター記者 司法担当 菊谷雅美)