全身の筋肉に骨が…難病「FOP」と15年以上闘い続ける青年 体への衝撃がリスク…虫歯の治療も“命がけ” 自らの皮膚を研究に提供 iPS細胞を活用した治療法“一筋の光”に 育海さんが“いま”願うこととは 2022年09月07日
兵庫県明石市に、日本に数十人しかいない難病患者の青年がいます。治療法が見つかるそのときを目指して、15年以上闘い続ける彼がいま思うこととは…。
■骨が体の通常ない場所に…難病「FOP」 8歳で発症 闘い続けて15年
散髪屋さんで髪の毛を切っている山本育海さん(24)。8歳の時に難病「FOP」と診断されました。育海さんが散髪している横で見守っているのは育海さんの母・智子さんです。
【育海さんの母・智子さん】
「キンプリみたいにしてー。なにわ男子でもいいで」
【山本育海さん】
「そんなことばっかりいう…」
進行性骨化性線繊異形成症、通称は「FOP」。遺伝子の異常で全身の筋肉などに骨ができる難病です。
【散髪屋の店員】
「もうちょっと(椅子)倒せる?」
【山本育海さん】
「もうちょっと。多分」
【散髪屋の店員】
「これぐらい?」
–Q:倒しすぎるときつい?
【山本育海さん】
「どうしても背中の骨が当たるんで」
骨が通常ない場所にできることで、だんだんと体が動かせなくなっていきます。育海さんは腕を上げたりかがんだりすることができず、自力では着替えもできません。
育海さんは、8歳のときにFOPの診断を受けました。
【山本育海さん(当時8歳)】
「(腕が上がるのは)ここまでや。これほんまの話やで。こっちはこれだけ」
体のどこかに負荷がかかると、その部位からFOPが進行してしまう恐れがあります。体育の授業で走り回ることも、友達と自由に遊ぶこともできなくなりました。当時小学生の育海さんにとって、つらい現実でした。
当時のつらかった気持ちを思い出すかのように話してくれました。
【山本育海さん】
「動けてたのが急に動いたら駄目っていうのは分かってても、どうしても(周りと)一緒にはやりたいなっていう気持ちはあった」
それでも育海さんは、FOPを受け入れようとしたといいます。
【育海さんの母・智子さん】
「(当時は)寝顔見てたら泣けてくる。それに気づいたら育海が『泣かんでもいい。育海は大丈夫やから』って。あの子なりにFOPを受け入れないと周りが困ると思ったみたいで。育海は我慢するのが頑張りだと自分で考えて行動に移していたので、それを陰から見守るしかなかった」
1人で着替えることができないため、立っている育海さんにズボンを履かせようと母・智子さんが介助していました。
【育海さんの母・智子さん】
「くすぐったいねん」
【山本育海さん】
「こけるリスクあんねん」
【育海さんの母・智子さん】
「椅子持ってくれる?」
【山本育海さん】
「智子さん言っていい?左手がここまでしかあがらん」
【育海さんの母・智子さん】
「サイテー!アホな親子やと思われるやろ、もうー」
■体への衝撃がリスクに 新型コロナワクチンも打てず、虫歯治療も“命がけ”
FOPの診断を受けて15年以上がたった今も、抜本的な治療法は見つかっていません。
筋肉に刺激を与えてしまうため、新型コロナのワクチンを打つこともできない育海さんは、これまでの我慢に加え、感染予防にも気を配って生活しています。それでも、育海さんの身体は、常に病気の進行のリスクと隣り合わせです。
ことし6月、育海さんの歯に、虫歯ができてしまいました。育海さんはFOPの影響で元々口をほとんど開けられませんが、虫歯の痛みで固形物が全く食べられなくなっていました。
【育海さんの母・智子さん】
「柔らかく炊いたごはんとかは食べれてたから。それが全然食べられへんのはショックやね」
痛みを取り除くため、歯を抜く決断をした育海さんは病院へ…
しかし、それは体に強い衝撃を与えることを意味します。もし新たな骨ができたら、さらに口が開かなくなり、もう固形物を食べることができなくなるかもしれない。育海さんにとっては、虫歯の治療も、命がけでした。
【山本育海さん】
「(抜歯当日)寝れては…ない。抜いた後の問題のほうが心配。少なからずFOPは反応してくると思うんでそっちのほうが心配かな」
ひとまず歯を抜くことには成功しました。しかし、不安な日々は続いています
【山本育海さん】
「治療しなかったら治療しなかったで、ご飯が食べれないというのはそれはそれで困ってたので。不安はあったけど本当にもう向き合っていくしかないので」
■難病FOPが治る未来を願い…自らの皮膚を研究に提供 「193募金」活動も
難病と15年以上の間向き合う中で、育海さんは、FOPの研究を支援し続けてきました。iPS細胞を活用した治療法に活路を見いだし、病気が進行するリスクを背負ってまで、自らの皮膚を研究のために提供しました。
高校生のときには、資金不足に苦しむ研究所のため、「193募金(いくみぼきん)」と名付けた募金活動も始めました。
そんな努力は、5年前に一つの形に。当時世界で例がなかった、iPS細胞を使って発見された薬による「治験」が、FOPの治療のために始まったのです。FOPが治る未来を願い、闘い続けてきました。
■難病と向きあい常に前を見る育海さん 難病患者だから伝わる「エール」 FOPと診断された人々や家族たちの“希望の光”
ことしの4月にFOPの診断を受けた、富山県に住む中学1年の成安志真さん(12)。育海さんに会うため、明石市までやってきました。
【志真さんの母・季美絵さん】
「(FOPのことは)全く知らなかったですし」
【育海さんの母・智子さん】
「まさかやんな」
【志真さんの母・季美絵さん】
「まさかでした。本当に」
【育海さんの母・智子さん】
「みんなそう。え、なんで?ってなる。何でうちの子がって」
【志真さんの母・季美絵さん】
「難しいですよね。今まで何の制限もなく12年生きてきた。今年の始めスノーボードも行ってたし、動くのも好きやったし」
全国で80人ほどしか患者がいないといわれるFOP。病気について調べるのも、簡単ではありません。
【志真さんの母・季美絵さん】
「調べても情報がすごく少ないっていうのもまず不安だった。例えばブログ一つにしても数年前に終わってるとか、そういうのばっかりの中で、2人の更新だけはずっとされてて」
病気を受け入れることができない中で見つけたのは、FOPと向き合い、前を向いてずっと歩んできた育海さんの姿。育海さんにしか送れないエールが、志真さんとその家族を支えていました。
【山本育海さん】
「自分自身がしんどいからこそ、しんどいこともつらいこともあるだろうし大変だと思う。だけど、無理のないように。難しい、本当に難しいことですけどできることも我慢して。できるだけ進行が進まないように気を付けてほしいなと」
同じ難病患者の育海さんからの言葉を、志真さんはじっと聞き入っていました。
【志真さんの母・季美絵さん】
「育海くんが細胞提供してくれて研究がずっと続いているというのはすごい光だった。まだ受け入れてないし、向き合えてないけど、それがあるから薬出るまで…我慢しようって(志真も)思い始めとるんやね」
頼みの綱である、治験の結果は、まだ出ていません。それでも育海さんは、これからもFOPや、多くの難病を治療するための研究の応援を続けていきたいと言います。
【山本育海さん】
「自分より小さい子が痛みでつらかったり苦しんだりするのはかわいそうなので一日でも早く治療薬、治療法を見つけていただけたらなと思ってます」
発症から15年…難病FOPと向きあうつらさを知っているからこそ、同じ難病で悩む人の気持ちを思いやる育海さん。
誰もが難病で苦しむことのない世界。そんな未来を、育海さんは夢見ています。
(2022年9月6日放送)