2020年の3月11日で、東日本大震災から9年です。
甚大な被害が出た宮城県石巻市の中で、当初は『復興のトップランナー』と言われた海辺の街・雄勝。
再起をかけて復興事業が進められていますが、いま町に住む人はほとんどいません。住民の中には『復興という名の災害だ』という人もいます。
なぜこのような言葉が出てきてしまうのか…いずれ私たちも直面する「復興」の現実です。
「復興のトップランナー」と呼ばれた街が…
宮城県石巻市雄勝。
海に面したこの地区では現在、湾を覆うように、高さ約10mの巨大な防潮堤の建設が続いています。
雄勝で生まれ育った、阿部晃成さん(31)。
【阿部晃成さん】
「人が全く暮らしてない所にこんなふうに建てて、本当に何なるんだろうな」
阿部さんは、津波で家族と暮らしていた自宅を失いました。その後、町の復興に向けて奔走してきた1人です。
――Q:いまの雄勝は、阿部さんの思う“復興”?
【阿部晃成さん】
「いや、それは全く違いますね。これだったら、何ひとつしなかったほうが良かったと思います。復興で正直、この地域は厳しくなってしまったと思うので」
9年前、雄勝に津波が襲い掛かりました。
地区の8割の住宅が全壊し、173人が死亡(災害関連死含む)、今も70人が行方不明のままです。
震災からわずか2ヵ月後、石巻市は『住民と協力して復興を話し合いたい』として“まちづくり協議会”のメンバーを募り始めました。
阿部さんは、生まれ育った町に恩返ししたいと考え、迷わず応募。この時期の協議会の設立は、被災地の中でも早い動きで、雄勝は『復興のトップランナー』と呼ばれました。
住民の多くが、雄勝の外に造られた仮設住宅などでバラバラに生活を送る中、阿部さんたち、まちづくり協議会がアンケートをとったところ、住民の約5割が「地元に戻りたい」と回答。
そのうち、「津波で浸水した土地であっても、元々住んでいたところで再建したい」という人が6割を超えました。
聞き入れてもらえなかった「住民の要望」
雄勝はもともと、海と山に挟まれた小さな平地に住宅などが立ち並んでいました。
その平地が津波に飲まれたため、まちづくり協議会は、土地をかさ上げしたうえでの「現地再建」か、山を切り拓いて作る「新たな高台での再建」を住民が選択できるよう、行政に要望しました。
しかし…
【2012年・阿部晃成さん(当時23歳)】
「雄勝総合支所の方と何回かお話をして協力してやっていきましょうよという形でいってたんですが、もう全く聞き入れてもらえず」
行政が出した案に、この要望は一切反映されませんでした。
行政の案は、津波が浸水した土地はすべて「災害危険区域」に指定し、新たに住宅を建てることを禁止。
つまり、まちづくり協議会が求めた「現地再建」は認めず、家を再建できる場所は、新たに作る「高台」だけ。一方で高台用地が少ないため、雄勝から離れた内陸部などに土地を買い住宅を造成する、というものでした。
行政は『安全な暮らしのためにはこの案しかない』と強く主張しました。
【2012年・石巻市雄勝総合支所・三浦裕支所長(当時)】
「(津波が来たのが)夜だったら、ここにいる人半分はいなくないっている。そういうところにね、また人を住まわせるのか?と」
【2012年・石巻市雄勝総合支所・三浦裕支所長(当時)】
「とにかくこの地域の人が下を住まないように同意するかしないか、これの1点だけです。人が住んではダメだよってするから買い取りをするわけです」
【2012年・阿部晃成さん(当時23歳)】
「まだ個別相談会も受けてないのに、この場で結論を出すのは、やぱり性急すぎる」
当初、多くの人が「現地再建」を望んでいましたが、時間が経つにつれ、意見は割れていきました。
【仮設住宅で暮らす雄勝の住民】
「どこでも良いから埋めてもらえればいいです。土盛りすればいいでしょ」
「(かさ上げは)待ってられねっちゃ、だからみんな出ていくんだよ」
「山を崩してもらえば、帰る人もいるだろう」
住民の意見がまとまらない中、行政は決断を迫りました。
【石巻市雄勝総合支所・三浦裕支所長(当時)】
「早く(結論を)出さないと、もう我々が忘れ去られるということです。もう1年数ヵ月過ぎてます。とにかく早く再建をしてもらうことが一番だと思います」
【住民】
「(行政の案に)賛成か反対かの決をとります。賛成の方は手を上げてください…賛成多数で決まりました」
再建資金に苦しむ住民も増え、移転に伴う「行政の土地の買取り」をあてにした住民が賛成にまわる形となったのです。
【住民】
「お金もない人も多いから、土地を買い上げしてもらったほうが、我々もいくらでも前に進める状態なのかなとは思う」
9年が経過し、町が直面する人口激減、孤独死…
行政は、なぜこれほどまで急いで決断を迫ったのでしょうか。
【石巻市雄勝総合支所・地域振興課 及川剛課長】
「良いとか悪いとかは別として、とにかく国の方針で、10年を復興の期間として決めた。なんの根拠で10年かわからないとしても。じゃ逆算して、この時期にこれを決めましょうと。自治体なんてそんなに予算もってないし、財源持ってないから、国を頼るしかない。そしたら国の方針に従うしかない」
雄勝では、行政の復興案が正式に決定したあとも、高台の造成に時間がかかるなどして、戻る予定だった人がさらに離れていきました。用地の買収や整備に手間取り、内陸に移転する人のための住宅地が完成したのも、2018年のことです。
雄勝エリアの住民が、ランダムに入居しているため、かつてあったコミュニティはもうありません。孤独死も、相次いでいます。
――Q:ここの暮らしはどうですか?
【内陸移転した住民】
「まだ私1年になるけど、まだなんか自分の家であってないみたいな感じ。慣れないね」
――Q:雄勝に帰れたらもっと違った?
「違った生活してたね。やっぱり何もすることないもん。ここに来て」
雄勝中心部に作られている巨大な防潮堤の内側は、「災害危険区域」に指定され、誰も住むことができません。
その上にある高台に戻ってきたのは、50世帯。(元々は600世帯)
雄勝町全体では、震災前約4000人だった人口が、今は1000人ほどに減りました。
復興案を進めた行政はいま、この実情をどう捉えているのでしょうか。
【石巻市雄勝総合支所・地域振興課 及川剛課長】
「行政側からすれば、住民の意見を聞きました、住民の意見を参考にまちづくりをしていますと当然言うし。住民の声を無視したわけじゃないし。でもそこには温度差があって当たり前だと思う。どこかで線を引かないと前に進めないよね。ただ、ここで仕事していて思うのは、1000人も残ったんだ。だったら、1000人が楽しく安心して暮らせるまちづくりをしようよ。3000人を呼び戻すんじゃなく」
『復興という名の災害だと思う』
『この結果を変えることは出来なかったのか…』
阿部さんは今でも、そんな思いが拭えません。
【阿部晃成さん(31)】
「『もう決まったんだから、何も言うな』という話になってしまって、『もうこれしかないんだから、この選択肢にイエスと言ってくれ』と言うための組織になってしまったというところが、正直このまちづくり協議会であった問題点だったと思いますね。これはもう、正直、誰が幸せになってんのか分かんないですよね。なので、私自身は、これは復興じゃないと思ってます」
――Q:復旧でもない?
「復旧でもないです。これは、本当に言い方あれですけど、津波より大きい『復興と言う名の災害』だと思います。本当に冗談じゃなく」
国の計画では、2020年は「復興の総仕上げの段階」にあたります。
住む人が減った雄勝に、復興事業の最後の目玉として、4月、地域の拠点と観光物産館が併設された新しい施設がオープンします。