にいみしょうへいのひび

被災地取材記(2)福島編

2017.03.09

まもなく東日本大震災と、そして福島第一原発の事故から6年となります。
福島県を取材させて頂きました。
原発事故の影響で人が住めなくなっていた浪江町では
3月31日(金)をもって避難指示が解除されます。

きれいに整備され、6年ぶりに船が戻ってきた漁港。

しかしその後ろ、陸側に目を向けると、津波の被害がそのまま残されていました。

避難指示が出され続けていた地域ゆえ、復興が大きく遅れています。

一方、津波が到達していないエリアにはほぼ無傷の街並みが残されています。
再開する見込みの店舗や病院はわずか。
ほぼ新築のまま住む人を失ったピカピカの家の庭には、
イノシシの掘った大きな穴が空いています。

夜は真っ暗。見た事もないような数の星が、頭上に広がっていました。

避難指示の解除。
一見ポジティブに見えるこの言葉が、とてつもなく虚しく思えます。
6年でこんなにも変わってしまった故郷で、果たしてどう暮らせばいいのか。
「ほら、もう大丈夫だから戻ってもいいよ」

ふざけるな。
自分の故郷だったら絶対にそう思うでしょう。
そんな中でも地元の方達からは力強い言葉をたくさん聞きました。

「俺はここから30年漁に出てたんだ。ここで絶対に復活する」
「誰かが戻らないと若い人たちも戻ってこられないでしょ。俺が先陣を切るんだ」
まだまだ闘いは続いています。

「まだまだ」と言えば、福島第一原発の廃炉作業。
今回はその構内にも入らせて頂き、この6年で進んだこと、
そしてようやくスタートラインに立ったばかりの本格的な廃炉作業の現状を取材しました。

撮影したわけではありませんが、
廃炉に携わる東京電力の社員の方や、
震災以降ずっと原発の取材を継続しているフジテレビの記者の言葉にも
感じるものが多くて……

その記者は言いました。
「別に東電の肩を持ってるわけじゃなくてありのままを放送してるだけなのに、
東電の人に感謝されるんだよ。それだけみんな興味がなくなってる。
メディアも取り上げなくなって、みんな忘れてしまってるんだよ……」

被災地では無力な私たちですが、
6年たった今こそ、出来ることがあるのかもしれないと感じた福島取材でした。

その模様は9日(木)ワンダー内で放送予定です。


被災地取材記(1)熊本編

2017.03.09

まもなく地震から1年の熊本を取材してきました。
22年前の阪神淡路大震災からの復興を目指す神戸の人々を支えた歌、
「しあわせ運べるように」。
この歌が今、熊本の人々を勇気づけていることをご存知でしょうか。

そのきっかけがこちら。

系列のテレビ熊本さんが夕方のニュースのエンディングに、
毎日子供たちが歌う「しあわせ運べるように」を放送しているのです。

この歌を作った神戸市の教諭、臼井真先生と共に被災地の学校を訪ねました。

どの学校の子達も「しあわせ運べるように」を見事に歌い上げます。

さらに臼井先生がこの歌に込めた意味や
「君たちの声で大人を元気付けてほしい」といった思いを伝えていくと、
歌声は一層胸を打つものに。

一方で激震地・益城町をはじめ被災地の復興はまだまだ進んでいません。

臼井先生と熊本の子供たちの触れ合い、そして熊本の今、
後日放送させていただく予定です。

余談ですが、臼井先生と訪問した熊本のある小学校の入り口に、
こんな張り紙がありました。

私たちメディアは、被災地で被災者の皆さんの邪魔をしてしまうことがしばしばあります。
私たちの使命感など、被災地ではただのエゴしかありません。
でも伝えなければいけないことがある。
その狭間で私たちは足がすくんでしまうことがあります。

「取材お疲れ様です」

この張り紙の思いが、
決して私たちメディアのことを正当化してくれるわけではありません。
それでも、これを張ろうと思ってくださった方の思いに、
胸が熱くなりました。
そして、こんな風に言ってもらえるような取材が出来ている
熊本のメディアの皆さんの努力も、
そこにはあるのだと思います。

実り多き、熊本取材でした。

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