暴言問題で辞職…再選した泉市長
【記者】「神戸新聞、泉さん当確打ちました」
泉房穂明石市長。
【明石市・泉市長】
「本当に皆さん申し訳ありませんでした」
【記者】
「暴言問題で辞職され、再出馬を決断されて…」
今年3月、当選した瞬間も暴言の責任を問われ続けました。
=音声データに残る泉市長の暴言=
(音声)きょう火つけてこい。今日火つけてつかまってこいおまえ。燃やしてまえ。ふざけんな。行ってきて燃やしてこいお前、建物。損害賠償個人で負え。
今年1月、泉市長が職員に言い放った暴言の音声が全国のメディアを駆け巡りました。
報道から3日後、泉市長は辞職を表明します。
【泉市長】「無念です」
辞職した後、泉市長は自らの怒りと向き合う日々を送ります。
メディアに晒された自分とは何だったのか、考えていました。
【泉市長】
「このシャーペン一つだってまっすぐこう見たら真ん丸ですからね。シャーペンは丸いと言っても人は丸のはずないといいますが、ここから見たら丸に見えるわけで、どれも当たってるけど、半分当たっているだけで、違う見え方もあるんだなあと」
子育てママたちからの「支援」
【母親】
「泉前市長の出馬を応援する一般市民です。署名活動を行っています」
やがて数人の母親たちが泉市長の選挙への出馬を求める署名活動を始めました。
母親たちは約5000人の署名を集め、泉市長の後援会に届けました。
泉市長は2人目以降の保育料や中学生までの医療費を無料にするなど、やさしい街づくりを掲げ、様々な政策を進めていました。
街頭に立ったのはそんな泉市長の姿勢に共感していた母親達でした。
【署名活動をしていた女性】
「なぜこんなに暮らしやすいんだろうなと そしたら泉さんが市長と分かっていろんな政策をやってるからこんないろいろサービスがあるんだとわかった。いなくなったら今の明石が変わっちゃうというんじゃないかという恐怖とか」
【署名活動をしていた女性】
「本当に子育て助かってるというありがとうの気持ちもあるし、守りたいという気持ちもあるし、こういう引きずりおろし方がいやだという憤りもあるし」
結局告示3日前になって泉市長は出馬を表明し、出直し市長選挙となりました。
【泉市長】
「このようなことになってしまった責任は本当に申し訳なく思っています。それでもやはり自分としてはこの街のために働きたい」
出直し選挙のポスター貼り、今回は自らも作業を行います
【支援者】「みんなの苦労がようわかるやろ」
【泉市長】「大変やこれ、500何十か所やろ」
【支援者】「ポスター貼るの初めてらしいで」
【泉市長】「初めて貼ったけど、大変やね」
【支援者】「はい、みんな雨の中。やってます」
【支援者】「今回にしてやっとわかった?」
【泉市長】「すみません」
罵声も非難も覚悟して迎えた選挙戦でしたが、街の反応は意外なものでした。
【有権者】
「がんばってください。最近明石に引っ越してきました。応援してます」
【有権者】「これよかったら手紙…」
【泉市長】「ありがとうございます」
行きかう車の中からも、市民が応援するように手を振ります。
【泉市長】「次々手振ってくれる…。どないなってるねん」
泉市長と対決したのは8年前まで市長だった北口ひろと候補です。
【応援で演説する議員】
「もし仮に前市長が勝てばもう一度4月21日に市長選があります…」
泉市長が当選すれば翌月再び選挙が必要になり、多くの税金が無駄になると批判していました。
【泉市長】
「自分のしてしまったことに対する責任。自分の発した言葉である以上…」
暴言の責任について詫び続ける泉市長の前で、立ち止まる市民の数は日増しに増えていきました。
結局、泉市長は北口候補に3倍以上の大差をつけて圧勝しました。
『泉さんの政治哲学に反していた』
市長になる前は弁護士として市民活動に身を投じていました。
同期の弁護士、橋下徹元大阪市長。
司法修習の研修所で同じラグビーサークルに所属していて、今回の暴言問題に注目していました。
【橋下徹氏】
「役所組織における市長という立場で、あの発言は権力の最大の乱用というか、権力の最たる暴走というか、とんでもないことですよそれは」
暴言を受けたのは道路行政の幹部職員でした。
交通事故が多かった幹線道路を広げるための立ち退き交渉が7年間滞っていたことに
泉市長は激高し、怒りをぶつけたのです。
(音声データに残る、泉市長の暴言)
『七年間なにしとったん。ふざけんな。なんもしてないやないか、7年間』
【橋下徹氏】
「泉さん7年何もやってなかったじゃないかっていうんですけど。自分が何もやってなかったんです。これは市長知事やればわかりますけれど、7年放置した。なにやってんねんって。責任者誰やって録音テープに入ってますよ。責任者は泉です。それは。責任者誰やって、自覚がないんです」
「今の日本の政治行政の仕組みの中で救われない少数の人をなんとかしたいという思いで泉さんは国会議員になり市長になった」
「まさに多数意思から少数者を守ろうとして泉さんは頑張ってやってきた、その泉さんが今回明石市民の多数者の意思によって明石市職員という少数者の権利自由を侵したというのは僕は泉さんの政治哲学、法律家の哲学に著しく反してるんじゃないかと思います」
原点に返り…幹部職員らに謝罪
翌月行われた2回目の選挙は無投票に終わり、3期目の泉市政が始まりました。
市長を目指した原点は、生い立ちに遡ります。
漁師の長男として生まれ、弟には生まれつきの障害がありました。
障害者に対する行政の冷たさに怒りを感じ、市長になって社会を変えたいと願ったといいます。
【泉市長】
「行政に対して、明石市という行政に対して怒りを抱いたり。対応に対して市民と一緒に声を上げてきた経緯があって、それが市長になってるのに相も変わらず幼いころの思いや、弁護士、市民活動家の立場であったりという、今回のことでいかに自分が市長である自覚が欠けてたのかなということについては職員に申し訳ない、本当にそう思います」
この日、訓示の中で泉市長は道路工事などの苦手な分野の対応を後回しにしたことが職員への暴言に繋がったと初めて認め、200人の幹部職員に謝罪しました。
関西テレビは暴言を受けた幹部職員に今の心境について回答を求めました。
なぜ音声が流出したのかはわからないとした上で、職員は次のように答えました。
(暴言を受けた職員)
『市長と職員とのコミュニケーションが良好となり、風通しの良い役所になってほしいと願っています』