7月23日(火)
第431回 多田街道「~街道に残る国学者の隠れ部屋~」
多田街道—ただかいどう
兵庫県・伊丹市を通る多田街道。
街道沿いに戦国時代より続く教善寺がある。
このお寺には、国学者の伴林光平が隠れ過ごした部屋が今も残されています。
多田街道、そこには【国を想う学者の轍】がありました。
街道沿いに戦国時代より続く教善寺がある。
このお寺には、国学者の伴林光平が隠れ過ごした部屋が今も残されています。
多田街道、そこには【国を想う学者の轍】がありました。
紹介した内容
教善寺—きょうぜんじ
教善寺は戦国時代に創建された寺院です。
信仰の拠点として村人が建てた道場が寺院となりました。
本尊の阿弥陀如来立像は織田信長の軍勢によって鋳物師の霊蓮寺が焼かれたとき教善寺に移したと伝わります。
信仰の拠点として村人が建てた道場が寺院となりました。
本尊の阿弥陀如来立像は織田信長の軍勢によって鋳物師の霊蓮寺が焼かれたとき教善寺に移したと伝わります。
道の記憶 人目を忍ぶ隠れ部屋
飛檐の間—ひえんのま
お寺には国学者の伴林光平が1856年から4年間、隠れ住んだ“飛檐の間”と呼ばれる4畳ほどの小部屋があります。
外国人を日本から追い出すため活動していた光平は役人の目に留まらぬようこの部屋で古来の日本を重んじる国学を教えていたといわれています。
外国人を日本から追い出すため活動していた光平は役人の目に留まらぬようこの部屋で古来の日本を重んじる国学を教えていたといわれています。