12月20日(火)
第350回 九里半街道「~街道に残る宿場町~」
九里半街道—くりはんかいどう


福井と滋賀を結ぶ九里半街道。
この街道は、かつて物流の道として多くの牛馬が行きかい賑わいを見せていました。
街道の途中には宿場町があり、江戸時代に建てられた二階が低い建物が多くみられます。
九里半街道、そこには過ぎし日の姿を残す轍がありました。
この街道は、かつて物流の道として多くの牛馬が行きかい賑わいを見せていました。
街道の途中には宿場町があり、江戸時代に建てられた二階が低い建物が多くみられます。
九里半街道、そこには過ぎし日の姿を残す轍がありました。
紹介した内容
熊川宿—くまがわじゅく
熊川宿は、若狭と京都との交易の拠点として発展した宿場町です。
豊臣秀吉の家臣である浅野長吉が、交通・軍事の要衝として、この地の発展を図り、江戸時代に大いに繁栄しました。
当時の戸数は200戸を越えていましたが、現在は100戸ほどになっています。
豊臣秀吉の家臣である浅野長吉が、交通・軍事の要衝として、この地の発展を図り、江戸時代に大いに繁栄しました。
当時の戸数は200戸を越えていましたが、現在は100戸ほどになっています。


道の記憶 過ぎし日の家屋
厨子二階—つしにかい
厨子二階は、主に江戸時代に建てられました。
二階が低いのが特徴で、物置や使用人の寝泊りとして使われていました。
正面には、「虫籠窓」と呼ばれる格子の付いた窓があり、開口部として用いることが多いとされています。
二階が低いのが特徴で、物置や使用人の寝泊りとして使われていました。
正面には、「虫籠窓」と呼ばれる格子の付いた窓があり、開口部として用いることが多いとされています。

