特集コーナー/バックナンバー

2018年4月30日(月)

What's平成 ケータイ・スマホの時代

【キャンペーンガール】

「さぁ皆さん、一緒に電話になりましょう」

 

平成の時代を彩ってきた携帯電話。

想像をはるかに超える進化を遂げ、私たちの生活を大きく変えました。

 

【新実アナウンサー】

「うわぁ~これ…えぇこれで全部ですか?」

 

【携帯電話コレクター 北沢剛司さん】

「これは一部です。箱に入らなかったものが、ここに入っています」

携帯電話コレクター、北沢剛司さん。

 

新実アナ「全部で何台ぐらいお持ちなんですか?」

北沢さん「いま、600台くらいはあると思います」

 

20年間で集めたその数は、約600台!

 

新実アナ「これなんですか?」

北沢さん「これは浜崎あゆみのヒョウ柄の携帯ですね」

新実アナ「あゆ携帯なんてあったんやぁ…。これ同じ機種ですよね?」

北沢さん「えぇ同じ機種で全部の色を集めるのが基本。コレクターはコンプリートしないと気持ち悪いので」

 

北沢さんは、デザイン性の高い携帯電話を好み、当時は毎日違うものを使いまわしていたそうです。

新実アナ「でた~!ショルダーホンですか。初めて本物みました。これをこうして…しもしも?ランディ・バース?」

 

お笑い芸人・平野ノラさんでおなじみの「ショルダーホン」

まさにバブル全盛期の、平成の初めごろまで使われていました。

 

北沢さん「周りでこれを使ってる人が誰もいなかったので、『あの人、あれ使ってるよ!』みたいな」

新実アナ「ステータスだったんですか?」

北沢さん「ステータスシンボルです、これは」

 

平成の初め頃、携帯電話は一部でしか使われていませんでした。

大学の合格発表では家族に連絡するため、公衆電話には長い列が…。

阪神・淡路大震災では、自宅の電話が使えず、臨時電話が頼りでした。

 

当時の通信手段の主役。

それは「ポケットベル」です。

公衆電話などから数字を打ち込み、文字変換されたメッセージなどが相手に届きます。

 

【当時の女子高生】

「バイトメンドクサイケー」

 

【キャンペーンガール】

「本日より通信サービスを開始しました」

 

そしてついに、携帯電話が個人向けに初めて発売されたのは、今から24年前の平成6年。

当時は加入料込みで、16万から19万円と高嶺の花でした。

この年、大阪では、全国に先駆けて、地下街でも携帯電話が使えるようになりました。 

【地下鉄の構内にいる関西テレビ豊島記者】

「それでは実際にここから携帯電話をかけてみます」

 

上司「はい。関西テレビ報道部です」

豊島「もしもし、かかりました豊島です」

上司「あぁ豊島くん、今どこから?」

豊島「地下鉄の西梅田からかけてるんですが…」

上司「あっ地下か。よく聞こえるね。これでお前ポケベルが鳴らへんかったっていう言い訳でけへんのんちゃうか」

豊島「いや、そうなんですけど…そうわけではないんですが」

 

そして19年前、一気に通信手段の主役に躍り出たのがNTTドコモの「iモード」です。

iモードは初めて携帯がインタ-ネットとつながり、メールの送受信もできるとあって大人気に!

 

【記者】

「携帯がなくなったら?」

 

【当時の若者】

「困るかな」

「死んじゃう」

 

その翌年には、カメラ付き携帯電話が登場!

その発想の背景にあったのは…。

 

【開発者の一人・シャープ・山本信介事業部長】

「とくにプリクラ。プリクラのように写真を楽しんでいただくということで、

 こういう形で液晶画面を見ながら写真を撮るという」

 

【開発したシャープ 山本信介事業部長】

「この音なんですけど(写真を)メールに添付をして送受信することで、みんなで共有するという、

 今のインスタグラムに近い、そんな使い方の先駆けかなと」

 

写真をメールで送受信する「写メール」サービスは、女子高生や若者を中心に人気が爆発しました。

 

【当時の若者】

「友達に送って、『今から来い』みたいな。行きたくなくなりますよ。送られたほうも」

 

この時代、人々は携帯電話に何を求めたのでしょうか?

 

【新実アナウンサー】

「この30年、携帯の変化、社会に与えた変化、どう見ますか?」 

【大阪大学大学院 人間科学研究科 辻大介准教授】

「結果的にみると、インターネットが与えた情報革命以上の、

『つながり革命』といえるようなものがインパクトとしてあったのではないか」

 

コミュニケーションを専門に研究する大阪大学大学院の辻准教授は、

バブル期のあとの日本人の心の変化に、携帯電話が大きく関係していると指摘します。

 

【辻大介准教授】

「昭和の時代というのが、モノの豊かさを求めていくと、平成になってむしろ心の豊かさを求めるようになった。

 友人であるとか家族であるとか、つながって楽しく毎日を過ごすことが非常に重きを置かれるようになった。

 そこに携帯が出てきて、つながりのメディア・つながりのデバイスとして大きな影響を持っていった」

 

カメラ付き携帯が発売された平成12年、携帯電話の契約数はついに、固定電話を上回りました。

 

【電車内のアナウンス】

「混雑した車内での携帯電話によります会話やメール交換は、

 周りのお客様にご迷惑ともなりますので、電源をお切りくださいますようお願いします」

 

【記者】

「これCDで音楽を聴いているのとまったく同じ音色ですよね。

 実際に演奏している人を前にしているといういような感じすらします」

 

若い女性の間でデコ携帯が大人気に。

 

そして今から10年前、あの携帯電話の登場で日本列島が熱狂することになります。

タッチパネルを採用した「iPhone」。

徹夜をしてまで買い求めた客で即日完売しました。

スマートホンの登場に合わせて、ソーシャルネットワーキングサービス「SNS」が続々とサービスを開始。

「いいね」や「友達」などの数は、つながりの多さを目に見える形にしました。

 

【辻大介准教授】

「友達と常につながっていられる感覚。

 逆をいうとつながりがないのは恥ずかしいであるとか、ぼっちに見られるとか、否定的な感覚を呼んだ。

(SNSは)何か用件や伝えたいことがあってというよりも、

 一緒に楽しくコメントもらったり、いいねのやりとりをするというか、

 そういうつながりの満足を得るためのデバイスとかメディアという面が大きい」

 

携帯電話が起こした「つながり革命」

その影響の大きさを物語る出来事がありました。

 

13年前に起きたJR福知山線脱線事故。

兵庫県三田市の小前宏一さんは大学に向かう途中で事故に遭い、命を奪われました。

母親の元へ返ってきたのは、小前さんの無傷の携帯電話。

そこには、小前さんが亡くなってもなお、親友からのメールが届いていました。 

【小前さんに届いたメール】

「こうちゃん起きろよ」

「ずっとそばにいるからな!最高の友達へ」

 

小前さんの携帯電話には、事故の後も親友からメールが毎日のように届いたのです。

メールは1か月で100通を超えました。

 

【小前さんに届いたメール】

「新歓パーティー、かわいい一回生も来るからぜひ参加を!」

「こみゃえのいた北三サッカー部やろ!だから泣かずに前むこうやって誓った!」

 

【小前さんの母親・恵さん】

「これ見てるだけで宏一の大学生活が8割ぐらい見えてるような気がして…。

 みんな頑張ってるから、私らも頑張らなアカンなって本当に思うしね」

 

【宏一さんの高校の同級生・柳川佳範さん】

「これですね、こみゃえっていれてるからな、俺やんなたぶん」

 

新実アナ「こみゃえって呼んでたんですか?」

柳川さん「僕は」

 

事故の後もメールを送り続けていた小前さんの親友は、当時の心境についてこう振り返ります。

【宏一さんの高校の同級生・柳川佳範さん】

「あまりに突然のことだったので、自分たちも受け入れられていなくて、

『きょう学校でこんなことがあったよ』というようなメールを打つと、

 画面の向こうで小前が笑いながら画面を見てくれてるような、つながっていられるような気がして…。

 いまだに彼の連絡先は消せないんですよね。

 連絡先があることで、いつでもまだしゃべりかけられるような気がして、連絡先は常にずっとみんな残ってると思います」

 

携帯電話による「つながり革命」は、さまざまな形で人と人を結びつけてくれます。

これから迎える新時代ではどんなつながりを生み出していくのでしょうか。

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