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2018年4月13日(金)

熊本地震から2年 商店再会の課題は…

【新実彰平キャスター】

「1年ぶりに、熊本にやってまいりました、熊本城です。

 天守閣が今、再建が進んでいるんです。

 こちらは、石垣です。去年もそうですけど、一昨年とも、ほとんど変わっていません」

 

私が熊本城を訪れたときは、丁度、天守閣の鯱を取り付ける作業が始まったところでした。

熊本は、あの地震が起きてから、2回目の春を迎えています。

震度7の揺れが2度も起きた熊本地震。

地震による直接死と、関連死を合わせて、264人が亡くなりました。(3月30日時点)

 

全壊・半壊などの被害を受けた住宅は、およそ3万5000棟ありましたが、

2年たって、ようやく公費解体がほぼ完了したということです。

 

熊本県内でも、特に被害が大きかったのが、益城町です。

 

【新実彰平キャスター】

「去年は、解体を待つ、つぶれたお家というのが、たくさんありました。今年は、更地が増えています。

 去年は解体のための重機の音が鳴り響いていたんですが、

 今年は新しい建物を作るための音が、随分聞こえるようになっています。新築のお家も増えています」

 

【住宅を再建した人】

「活気が戻ればね、みなさんが、帰ってくると。つながりが強い町だったんですよ、ここはね」

「少しずつ、変わっていくのかなと。振り返っても、しょうがないなと思って。

 今からね、どんどん変わっていくのが、見られればと思っています」

 

震災後、益城町は、区画整理をすることが決まりました。

災害に強い町になるために、緊急車両が通れる広い道路が作られる予定です。

【新実彰平キャスター】

「益城町を貫きます県道28号線。

 熊本県は、この2車線を、4車線へと拡幅することを決めました。

 沿道の土地の所有者は、立ち退きを余儀なくされるということになります」

 

この拡幅工事によって、影響を受ける人も少なくありません。

その1人、県道沿いで、日用品店を営んでいた矢野好治さん(49)です。

 

【新実彰平キャスター】

「道路拡幅になると、どこまでが?」

【矢野好治さん】

「ここまで、もう全部。県道に対して、後ろに下がって建てるということもできないので、

 完全に、この場所は立ち退きになる」

 

明治時代から、先祖代々が商いをしていた場所にあった店は、震災で全壊しました。

今は仮設商店街に店を構え、震災前から作っていたプリンを、益城プリンと名付け販売しています。

 

【新実彰平キャスター】

「再スタートは、このプリンと、共に?」

【矢野好治さん】

「そうですね、復興の意味も込めて、がんばろうと思って。美味しいと言ってもらえるのが、一番嬉しいので」

 

元の場所で店を再開させたいと考えていましたが、

拡幅工事が決まったため、土地を明け渡して、他の場所に移らなければなりません。

 

県は当初、代わりとなる土地を探すと、矢野さんに伝えていたそうですが、

今では「自分で土地を探したほうが早い」と、言われているそうです。

 

【矢野好治さん】

「安心して商売でき、暮らせる場所を用意してもらって、そっちに移してもらえたら。

 何年後かになるか分からないけど、ここが4車線になったときに、僕たちも、ここの場所を通ることになる。

 自分たちのお店があった上を、通ることになるんですよね。僕たちも、気持ちよく通りたい」

そんな矢野さんの元を、ある男性が訪れました。神戸でお茶屋さんを営む伊東正和さん(69)です。

 

伊東さん「伊東でございます」

矢野さん「矢野でございます、会いたかったです」

伊東さん「おいくつですか、今」

矢野さん「僕49歳になります」

伊東さん「ちょうどね、震災の時に、僕と同じくらいですわ。僕、46歳の時に、震災でした。

     それから、あなたの悩みを乗り越えて、今こうやって、生きているわけ」

矢野さん「是非、お話を聞きたいです。

     今の自分でね、行き詰ってる部分とか、どうしたらいいのか、悩むことがたくさんある」

 

23年前の、阪神・淡路大震災。

伊東さんは、当時、長田区の商店街で、お茶屋さんを営んでいましたが、店舗は火災で、焼けてしまいました。

それでも、半年後には、伊東さんが中心となって、仮設の商店街をオープンさせるなど、

長田の復興に尽力してきました。

 

今は、東日本大震災の各被災地に、店を再開させるノウハウを伝える活動をしています。

その評判が熊本の被災地にも伝わり、今回、2人が会うことになったのです。

 

伊東さんは、矢野さんにあるものを手渡しました。

10年先までの日付が載っているカレンダーです。

 

【伊東正和さん】

「自分がやりたいお店の再建計画の中で、10年後には、どんなお店にしたいのかというのを計画立てながら、

 今から10年間は絶対スタートしたらやめないと、覚悟の中で。

 でも、今の現状で生活できたらいいのか、もう少し店を大きくしたいのか、決めていかないと。

 1年、2年は持つけど、10年先に笑顔が出ないんですよ。

 いろんな壁があって、ぶつかっていきますよ。僕もぶつかりました」

 

伊東さんが矢野さんに一番伝えたいのは、目先のことだけを考えるのではなく、

10年先まで、計画をしっかりと立てる必要があるということでした。

 

【矢野好治さん】

「2年目になると、不安のほうが、がんばるという気持ちよりも、徐々に自分の中で、割合を占めてきて。

 これで、3年目になったらどうなるのかなという、悩みと不安が一番ある」

 

【伊東正和さん】

「震災当時は、何が何でもやろうと思えたでしょう?体力もあった、お金も多少あったかも。

 でも、2年間で気持ちがちょっと薄らいできていますよね?どうなるだろうと、不安が出てきています。

 自分にとって、自分の家族にとって、大事な、今決めないといけないという時に、

 行政を頼るのではなく、できるか分からないものよりかは、

 良い場所を探すなり、住まいと店舗をできるような場所を探すなりして」

 

「今の間に、お客さんの住所氏名、全部お聞きして、新しい店舗が移転した時に、発信できる状況。

 いろんな形の方法が、この1年間にできる。

 蓄積していって、やっていったら、道は大変かも分からない、でも10年後には、必ず、笑顔が出ると思う」

【矢野好治さん】

「伊東さんと会うまではですね、暗闇の中に一筋の明かりも見えない状態だったけど、

 仮設の入居期限までの1年先ぐらいしか見ていなかったので、どうしても焦ってしまう。

 それを、10年先を見据えることで、いろんなことが考えられるし、いろんなことが想像もできるし、

 そういった意味では、目先ではなくて、ちょっと遠くを見ると、気持ちにも余裕が出来るし。

 下向くのではなくて、10年先だと、ちょっと顔も上げて、前に進めるのかなと感じました」

 

震災に負けず、23年、生きてきた伊東さんの笑顔。

何年か先には、矢野さんも、同じように笑っていられますように。

【矢野好治さん】

「今度は、僕の方から神戸に行きます」

【伊東正和さん】

「お互いに、元気でおりましょうね、一番は元気ですよ。それが、家族を守ることができる。

 そういう気持ちで、プラス思考に考えることです」

【矢野好治さん】

「大丈夫です、僕はどちらかというと、プラス思考です。転んでも、タダでは起きない人間なので。

 転んだら、石ころでもいいから、何か掴んで、立ち上がる人間なので、がんばります」

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