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2018年1月19日(金)

<ギモン>大阪締めのルーツは?

年が明け、新年の行事が盛んなこの時期。

今宮戎神社では十日えびすの3日間に100万人を超える人が訪れます。

中には福娘がお目当ての人たちも。

福娘といえば…

【今宮戎神社の福娘】

「うーちましょ もひとつせ  いおうて三度」

【堀田アナウンサー】

「あ~福がきました。ありがとうございます。」

 

笑顔で「大阪締め」をする姿が印象的です。

この大阪締め、景気づけや会の締めくくりで行われ、

1月は大阪のいたるところで目にする機会が増えますよね。

 

一般的な手締めと比べると、独特なリズムとフレーズですが…

 

【堀田アナウンサー】

「ルーツは何か残ってないものなんですか?」

 

【今宮戎神社 禰宜 松原栄一さん】

「そうなんです、我々もわからない。」

 

では、一体いつ、誰が考えたものなのか、今日はこの謎多き「大阪締め」を調査します!

 

大阪締めが見られるシーンといえば、日本三大祭の一つ、天神祭の「船渡御」。

 

祭のお膝元の、天神橋筋商店街でなら何かわかるかも!

早速聞き込みを開始!

 

【天神橋筋商店街の店主】

「会合とか、飲んだ席でも最後に締めさせていただくのは大阪締め。

 歴史がいつからあるのか、全くわからない」

商店街の店主たちは、宴会や会合などで

日常的に大阪締めをする習慣があるらしいのですが、

ルーツに関してはなかなか有力な情報がつかめず…

 

【堀田アナウンサー】

「ここ歴史ありそう。(創業)明治40年。」

 

すると、この店で手がかりになりそうな情報が飛び出しました!

 

【天神橋筋商店街の店主】

「商いの最後に手締めってやってた。商談が成立した時に手打って、

 それで商談が成立しましたという。それは父親がよく言ってました。」

 

商談が成立した時に行われていたということは、

大阪締めのルーツを明かす鍵は、「商売人」なのでしょうか?

そこで、大阪商工会議所を訪ねることに!

こちらでは、大阪の文化や歴史にまつわるご当地検定、

「なにわなんでも大阪検定」も主催しているということで期待が膨らみます!

 

【堀田アナウンサー】

「これ(問題の)解説ですか?」

 

【大阪商工会議所 地域振興部 高田周平課長】

「はい解説です。手打ちの由来については、生國魂神社の手打ちが源流であるという説。

 堂島米市場で行われた手打ちに始まりを求める説などがあるとなっておるんですが、判然としていない。と」

 

由来について様々な説があるようなので…

 

【堀田アナウンサー】

「堂島の米市場っていうのは今でいうと?」

 

【大阪商工会議所 地域振興部 高田周平課長】

「大阪取引所さんとかになるんではないですかね」

 

始まりは江戸時代初期まで遡り、日本で最初に証券取引をしたと言われる大阪取引所。

新年の取引をスタートする大発会では毎年、大阪締めをしていますが… 

【堀田アナウンサー】

「いつぐらいから(大発会で大阪締めを)やってはったんですか?」

 

【大阪取引所 矢田真博課長】

「2001年1月からやっております。

 で、それまでは実はやってなかったということなんですけど。

 ただ戦前には、いろんなお祝い事で大株締めをやってたという記録があります」

 

戦前は「大株締め」と呼び、お祝い事のたびに行っていたそうですが、

戦争の影響で、途絶えてしまったといいます。

 

こうした中、2000年代に入るころには、取引の場にはコンピューターが導入され、

活気あふれる取引所の様子がなくなりました。

 

そこで、当時の社長の「大阪の文化を残したい」という思いから、大発会で「大阪締め」が復活。

実はこの時、社長にアドバイスをした人物がいるというのです。

 

【大阪取引所 矢田真博課長】

「『大塚さん』という方から(大阪締めについて)聞いたという風に、当時の記録で残っています。」

 

【堀田アナウンサー】

「誰ですか?大塚さんってどういう方なんですか?」

 

【大阪取引所 矢田真博課長】

「広く大阪締めとか、大阪ではされてたんですけど、いわゆるルーツを調べられてる方がいる」

 

【堀田アナウンサー】

「そんな方が?」

 

やっと核心に迫る情報が!

大阪締めの復活に貢献した「大塚さん」なら、ルーツについて何か知っているのでは? 

 

【堀田アナウンサー】

「お邪魔いたします、関西テレビの堀田です。大阪締めの研究をされてると?」

 

【大阪締め研究家 大塚清明さん】

「はい」

 

こちらが「大阪締め研究家」の大塚清明さん。

20年もの間、ライフワークとして大阪締めを調べているのだそう。

早速、大阪締めのルーツに関係するという、淀屋橋に案内していただきました。

 

【堀田アナウンサー】

「このあたりに大阪締めのルーツがあるということなんですか?」

【大阪締め研究家 大塚清明さん】

「ルーツの一番古いところかどうかはわからないけども、

 この辺りにあった米市場でやられておった手打ちが、

 大阪締めにつながっていることは、間違いないと思われます」

 

その根拠が、江戸時代初期に井原西鶴が町民の生活について描いた「日本永代蔵」。

 

「両人手打ちて後は、少しもこれに相違なかりき」

 

この文章から、少なくとも、江戸時代には

「商売人同士で、商談がまとまった際に手打ちをしていた」

ということがわかるそうです。

 

つまり大塚さんによると、現在の淀屋橋付近に、かつて米市場があり、

そこで商談成立の証として商人同士が行っていた「手打ち」が、現在の大阪締めに繋がっている、というのです。

 

では、なぜ「手打ち」ではなく、「大阪締め」と呼ばれるようになったのでしょうか?

 

【大阪締め研究家 大塚清明さん】

「手打ちそのものが、大阪から江戸に広がっていって、手締めというものができて、

 それが江戸から大阪に逆輸入されて、大阪が江戸に対する対抗心から大阪締めと言い出したと」

 

武家文化の江戸で「手打ち」というと「手討ちにする」という不吉な言葉を連想させるため、

「手締め」と言い換えたものが逆輸入され、「大阪締め」と呼ばれるようになったといいます。

 

一番気になる、大阪締めのあのフレーズについては…

 

【大阪締め研究家 大塚清明さん】

「そこが全然資料がなくてわかってないですね。」

 

【堀田アナウンサー】

「研究されてる先生もわからない?」

 

【大阪締め研究家 大塚清明さん】

「ない。本当に大阪締めについての資料、色々探しましたが、

 こんなに少なくて乏しいものかというのが実感なんですね。」

はっきりしたルーツはわからなかったものの、

大昔からある一つの習慣が、人から人へと伝わり、今や貴重な文化となっている、ということは間違いなさそうです。

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