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2017年6月2日(金)

走れ!ギモン調査部 明石焼のルーツは?

夏本番を前に、今、旬を迎えているタコ。

明石市は、マダコの漁獲量日本一を誇り、名物の明石焼が去年の「B1グランプリスペシャル」で優勝するなど、
全国から多くの観光客を集めています。

今、注目を集める明石焼のルーツを探るべく、早速明石へ向かいました。 

作っている風景はどこかたこ焼きに似ていますが、明石焼にはさまざまな特徴が・・・


【いづも店主】

Q.お箸なんですね?

「菜箸。うちは。(たこ焼きの串)あれじゃ鍋が傷いきますもん。」

Q.これお皿?
「ああやって出している。」

Q.それがひっくり返したら、お皿に?

「そうですね。台になって下駄になっている。」

 

最大の特徴は、ふわふわの生地をあたたか〜い出汁につけて食べること。

【堀田アナウンサー】
「ふわふわ!これつかめないですね。」

調査していると“明石ならでは”のお店も発見!

【堀田アナウンサー】

「やっぱり本場ですね。これ衝撃。パフェの並びに明石焼。」

 

こちらの喫茶店では、コーヒーと一緒に味わえる明石焼セットが人気メニューになっています。

市内にある明石焼で一番古いというお店へいってみると・・・

 

【きむらや店主】

Q.玉子焼って書いていますね?

「平成入ってから明石焼き言い始めた。明石のもんやから明石焼って言いだしただけの話。

玉子焼が方言で、明石焼が標準語と思って頂ければ。」

Q.えらい偏っているんですね?

「明石焼は柔らかいので、一切手に触れずに板に載せるので、銅板に重ねて乗せる。
持ち手。元は下駄みたいに2本あったんですけど、あげる時にここに当たるし、
片づける時も面倒くさいから1本でいいと。よく見た目がいいとか食べやすいとか言ってくれるけど、
うちのじいちゃんが外しただけ。」

 

そして、大阪を代表する“あの食べ物”にも明石焼の影響が!

 

【きむらや店主】
「大阪のたこ焼きは、もともとラジオ焼きが元。

明石の人が大阪にラジオ焼き食べに行った時に、『明石ではタコ入れとんで』聞いてから
大阪がタコ入れ始めたのでこっちが先。」

 

たこ焼きよりも古いという明石焼。

どのように生まれたのでしょうか?

 

【きむらや店主】

「城下町でいろんな民芸品とかお菓子文化が広がったんですけど、明石玉っていうのがあったんです。」

明石焼の原点となったと言われているのが「明石玉」です。

「明石玉」は、江戸時代後期、江戸屋岩吉というべっ甲職人が着物の中で割れて固まった玉子の白身から
ヒントを得て作った模造珊瑚で、髪飾りや帯留めなどに使われていました。

その明石玉を作る際に余った、大量の黄身を使って作られたのが明石焼。

まさに関西人特有の“もったいない精神”から、誕生したんです。

玉子焼と呼ばれるのも、大量の玉子を使うことが理由だそうです。

今でもなお、明石焼が始まった当初の味を引き継ぐお店があると聞き、向かいました。

【よこ井 店主】

Q.何年くらいやっているのですか?

「昭和27年創業なの。昔の向井さんっていう人のレシピがウチに伝わって仏壇の引き出しから出てきた」

Q.向井さんっていうのは?

「明石焼の屋台で美味しい味の店があったっていうのが向井さんっていうお店。」

Q.明石焼を始めた人?
「らしいのよね・・・」

 

こちらの「よこ井」さんは、明石焼を始めたとされる“向井さん”からレシピを受け継ぎ、
65年間、営業を続けています。

 

【よこ井 店主】

Q.これびっくり!お出汁が冷たいのね。
「冷やすためのおつゆだもの。」

「注文聞いてから焼くじゃない。アツアツをパクッと食べて口の中をやけどしたらしい。

これをなんとか早く食べる方法ないかと冷やすためにおつゆがついた。」

Q.おつゆ始めたのも向井さんが?

「出したみたいやね。」

 

明石焼のスタイルを確立したという向井さん、一体どんな人だったのでしょうか?

 

【よこ井 店主】
「私は向井さんのことはほとんど知らない。

ヤスフクさんやったら向井さんのおじさんのこと知っていると思う。」

 

明石で唯一、明石焼専用の銅鍋を作る「ヤスフク明石焼工房」さん。

創業100年以上の老舗です。

 

【ヤスフク明石焼工房 店主】

「向井清太郎さんが元祖やと言われているんやけど、この並びのところでね、屋台出していた。汚い屋台。

この鍋をおっちゃん作ってって言ってたのを小さい時分に覚えている。」

 

少しずつ分かってきた明石焼の元祖・向井清太郎さん。

さらなる情報を求め、戦後に屋台をしていたという場所で聞き込みです。

 

【みいさん店主】

Q.このへんで向井清太郎さんが?

「元祖やね。その人が一番最初。小さいおばあさんとおじいさん2人でしていた。

店終わったら家帰るのに、よくバケツをさげて帰っていった」

そして、こちらのお店で、向井清太郎さんにつながる大きな手がかりが!

 

【安尾商店 店主】

Q.向井清太郎さんってご存知?

「知ってるで!おじいさんの息子の子どもがおってやわ。」

Q.お孫さんですか?

「お孫さんです。秋定強。」

 

明石焼の元祖・向井清太郎さんのお孫さんが明石にいることが判明。

そしてついに・・・

【無量光寺の住職】

「秋定強さんはうちの檀家さん。向井清太郎さんのお孫さんになるね。」


ようやく会えました!こちらが秋定強さん68歳。

 

 

Q.向井清太郎さんのお孫さん?

【秋定強さん】
「まぁそういうことやね。」

【堀田アナウンサー】
「会えた!向井さんもこういう感じの方なんですかね。」

向井さんが戦後に屋台をしていた場所を教えてもらいました。

 

【秋定強さん】

「ここ、角。昔ここに家が建っとったんや。」

Q.ご夫婦でやっていた?

「そうそう、スヱさんっていう。清太郎さんやろ、奥さんがスヱさん。2人で。

聞いてみたろかな。ここは間違いないわ。」

Q.お知り合いなんですか?

「俺全然知らんで。昔ね、ここに向井清太郎さんっていう玉子焼屋・・・

ここやね。ここにあった。清太郎さんの息子の子供やねん。」

 

家の中へお邪魔し、当時のことを詳しく伺いました。

 

Q戦前はここでやってはった?

【安留悦郎さん】
「ウチの家があって、そこの納屋みたいなんが空いていたから、
そこを『玉子焼を焼くから貸してくれ』と言われて貸していた。
俺のとこはただで持ってきてくれた借り賃として。」

【秋定強さん】

「むっちゃくちゃ寡黙やったな。」

Q.お店に良く遊びに来ていた?

「ここでな、フラフープしたん覚えているわ。流行っていたんや。」


Q.向井さんの話があまりにも話が残っていない・・・

【安留悦郎さん】
「残るような有名人ちゃうもんな。町の商人やもん。」

 

町の商人・向井清太郎さんがルーツだという明石焼。

日本一になった庶民の味はこれからも受け継がれていきます。

 

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