グミもひな人形も江戸時代の職人がはじまり 関西人ならみんな知ってる「あの少年」はいま人形店の専務【大東駿介の発見!てくてく学 関西テレビ「newsランナー」】 2025年03月08日
俳優の大東駿介さんが、関西の街を歩きながら魅力を学ぶ「発見!てくてく学」。
今回、大東さんが訪れているのは大阪市中央区「松屋町」。
南北およそ1キロにわたる「松屋町筋商店街」には人形店をはじめ、おもちゃや駄菓子、和紙などさまざまな問屋や専門店が100店舗以上も並んでいます。
■松屋町が人形の街になったきっかけは「瓦職人」
松屋町は全国でも有数の節句人形販売の激戦区で、高品質な人形を求めるお客さんが各地から訪れます。
テレビCMでおなじみの「増村人形店」は1941年創業。松屋町だけでも3店舗を構える、大阪を代表する人形店です。専務の増村智章さんは、関西ではちょっとした有名人。CMで「僕が3代目社長やで」と言っていたのが、当時9歳だった増村智章さんなのです。
遡ることおよそ400年。「大坂夏の陣」で焼け野原になった大阪で、家を建て直すために大量の瓦が必要になり、徳川家御用達の瓦職人が瓦を作るようになりました。
【増村智章さん】「鬼瓦など作っている瓦職人はすごく器用で、瓦の土を使って人形を作り始めた」
松屋町が人形の街になったきっかけは、手先の器用な職人たちが休憩中に作った「素焼きの人形」から広まっていったのだそうです。
■人形の街は、お菓子の街でもあった
松屋町は人形だけでなくお菓子の街としても有名です。
多くの種類の駄菓子を取り扱う藤田商店の店主・安田晃さんによると、松屋町筋のすぐそばを流れる東横堀川に砂糖を運ぶ船がやってきて、それを材料にあめを作ったといいます。江戸後期には、あめ屋が増え、そこから松屋町がお菓子の街として発展したそうです。
1949年に松屋町で創業した「UHA味覚糖」は、あめはもちろん、スナック菓子やガムなど、幅広いお菓子を製造・販売しています。本社2階にはそんなUHA味覚糖の人気商品が揃うカフェも併設されています。
近年ブームになっているグミですが、UHA味覚糖はいち早く1985年に製造を開始しました。当時の2代目社長がヨーロッパでグミに出会って感動し、日本に製造方法を輸入したのです。
唯一無二のアイデアが詰まったグミを開発し続けて、ヒット連発。その結果、創業時から売り上げを支えていたあめを抑えてグミ部門が売り上げトップになっているのだそうです。
■現代社会で戦う者たちの携帯食「忍者めし」誕生秘話
そんなUHA味覚糖のグミの中でも、いま最も人気の商品が「忍者めし」。2008年に誕生した、ちょっと硬めのハードグミです。UHA味覚糖マーケティング担当の西田優子さんによると、ハードな触感でたくさんかむので、小腹がすいたときに満腹感を得られるのだそうです。昔の忍者の携帯食の役割を現代社会で果たせるように「忍者めし」と名付けられました。
UHA味覚糖では50人ほどの開発担当者が年間1000以上のアイデアを出し、その中から400ほどの新作を1日に1種類以上のペースで発売しています。初代社長の「楽しくて面白いものを作ろう」という思いがベースにあるのだそうです。
うまくいかなかったアイデアもあるそうで…。
【西田優子さん】「ワインのおつまみになるグミということで、イカのマリネ味のものを出したのですが…なかなか難しかった」
【大東駿介さん】「僕はすぐ販売中止になるものを好きになるタイプ。敗者復活戦みたいなのやってほしいよね」
▲大東さんの“発見”の全ては、動画でじっくりお楽しみください。
(関西テレビ「newsランナー 大東駿介の発見!てくてく学」 2025年2月27日 木曜日放送)