昭和の大スターゆかりの地で兵動さん「感動」 兵庫・明石の台所『魚の棚商店街』で聞き込み たどり着いた「美しい場所」を造ったのは歴史上の超有名人【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2024年08月23日
【兵動さん】「今回は明石です。私、知りませんでした。こちら『(淡路)ジェノバライン』」
兵動さんの後ろにあるのは「淡路ジェノバライン」という、明石と岩屋(淡路島)を結ぶ高速船の明石港乗り場です。片道約13分で淡路島へ行くことができます。
【兵動さん】「高速船で、明石から10何分くらいで(行ける)。もう見えているんですよ、淡路島が。皆さんジェノバラインで渡って往復みたいな。てっきり明石海峡大橋でしか渡るところはないのかなと思っていたんですけど。明石駅から500~600メートル進んだところにこういった乗り場があるという」
■歴史上の“ある人物”と関連する場所
これは1960年(昭和35年)頃に、兵庫県明石市内で撮影された写真です。どこの風景か分かりますか?
実はこの写真、ある歴史上の人物に関連のある場所なんです。
【兵動さん】「京都とかやったら分かるんですよ。戦いがあったとか、お墓があったとか。明石でどなたがいたんやろうな」
それでは聞き込み開始です。通りかかった人に早速声をかけようとすると…。
【港の職員】「いつも見てますよ」
【兵動さん】「ありがとうございます。ここは漁港なんですか?」
【港の職員】「そうです。明石の港」
【兵動さん】「ちょっと覗いたりできます?」
【港の職員】「どうぞ、どうぞ。船出すまでは大丈夫やから」
【兵動さん】「船を出すというのは…」
【港の職員】「明石港から岩屋港まで、淡路の」
港を見せてもらうと、淡路ジェノバラインの船が停泊していました。
【兵動さん】「これに乗って行けるの?」
【港の職員】「そうです」
【兵動さん】「(写真を見せて)一瞬だけいいですか。これね、1960年くらい、昭和35年頃の写真なんですけど」
【港の職員】「私生まれてましたね」
【兵動さん】「生まれてました?歴史的な人物にかかわるような場所らしいんですけど」
【港の職員】「やっぱり明石城の殿様ちゃいます?ちょっと待って」
誰かに聞きに行ってくれるのか、突然走りだして行きました。
【兵動さん】「申し訳ない!」
すると、近くにいた別の職員の方が…。
【港の職員】「明石城は松平何とかやな」
【兵動さん】「松平何とかさんが有名?あ、帰ってこられた」
先ほどの方が戻ってきました。
【港の職員】「松平忠国、明石藩の5代目藩主」
【兵動さん】「その方が明石では有名な方。分かりました。すみません、忙しいところ」
【港の職員】「魚の棚(うおんたな)に行って下さい。そこ、真っすぐ上に上がっていただいたら」
【兵動さん】「昔行ったな、『魚の棚商店街』。おいしいもんいっぱい売っているとこ、明石の。そっち行ってみよ」
近くの「魚の棚商店街」で聞き込みを続けることに。
■兵動さんは「カヌレ顔かマフィン顔」どっち?
【兵動さん】「魚の棚商店街。明石来たらまずここやもんね、やっぱり」
魚の棚商店街のすぐそばでお店を見つけました。
【兵動さん】「こんにちは。カヌレ(のお店)?」
【N°123(ナンバーひゃくにじゅうさん) 店主 尾上由紀さん】「カヌレとマフィン」
【兵動さん】「カヌレとマフィンか」
お店にお邪魔することにしました。
【兵動さん】「お邪魔します。いつからですか?」
【N°123 店主 尾上由紀さん】「もう12~13年ですね」
【兵動さん】「そんなに長いの!?最近やと思ってた。マフィンから始まったの?」
【N°123 店主 尾上由紀さん】「そうです。あちらのアメリカン(マフィン)」
【兵動さん】「このマフィンから始まって、今はカヌレやったりとか」
【N°123 店主 尾上由紀さん】「今新しくおからのマフィンも始めました」
【兵動さん】「おからのマフィン?」
【N°123 店主 尾上由紀さん】「あっちのアメリカンマフィンはバターたっぷりですごくリッチに作っています。こっちは2/3くらいおからで作っていまして、油も大豆油でちょっとこだわっていて。だから結構、食べても罪悪感が少ない」
【兵動さん】「(ショーケースを見て)こんなんないよね。『さわやか青梅(のマフィン)』」
「ちょっと食べさせてもらおうかな。うわぁ、こっちのカヌレも迷うけどな。カヌレ好きな人はめっちゃ好きやもんね。僕の顔見て、どっちがいいと思います?カヌレ顔なのか、マフィン顔なのか」
【N°123 店主 尾上由紀さん】「おから行きましょうか」
【兵動さん】「おから顔!おから顔が出てきました」
出していただいたのは、青梅のマフィン400円。
【N°123 店主 尾上由紀さん】「上にかかっている白いのが梅のエキスと砂糖でアイシングにしてある」
【兵動さん】「おいしい!何これ。おからが入っているって聞いているからやけど、甘さが優しい。青梅の酸味がふわっと広がって、おいしい」
ここで写真について聞いてみると。
【兵動さん】「歴史的に名前がある方の、いわれがあるというか」
【N°123 店主 尾上由紀さん】「これ本松寺(ほんしょうじ)ちゃうん?」
【兵動さん】「本松寺?どの辺にあります?」
【N°123 店主 尾上由紀さん】「もうちょっと上の方やけど、違うんかな」
【兵動さん】「なんで本松寺って分かったん?」
【N°123 店主 尾上由紀さん】「(写真をさし)これ」
【兵動さん】「(めがねを外し)もう文字が見えへんねん」
目を細めて写真を確認します。
【兵動さん】「ここに『本松寺』って書いているって。本、松、寺…『本松寺』。これね、本松寺やったら、歴史的な有名な人って誰がおる?」
【N°123 店主 尾上由紀さん】「誰やろ…。でもこの辺って、柿本人麻呂(かきのもと の ひとまろ)さん?」
【兵動さん】「柿本人麻呂さん。何した人?」
【N°123 店主 尾上由紀さん】「あの、頭いい人」
【兵動さん】「ざっくりした説明!」
■「魚の棚商店街」で有力な手がかりが!
写真は「本松寺」で間違いなさそうですが、この寺にまつわる歴史上の人物とは一体、誰なんでしょうか?魚の棚商店街で聞き込みを続けます。
商店街の中の鮮魚店には、明石の名産品であるタコが並んでいました。よく見ると動いています。
【兵動さん】「うわー!これ、捕れたて?すごい、タコや。今タコってめちゃくちゃ高いって聞いたんですけど」
【街の人】「少ないですからね。(漁獲量が)1/10になっているんですよ。それを思ったら、もっと、本当やったら高くならないとあかんねんけど、そこそこで止まってるんやけどね。もうさっと湯がくくらいで十分やと思います」
【兵動さん】「だってまだ動いているもんね。家に持って帰ってさっと湯がいて、切るだけ」
【街の人】「そう、湯がきたて、風呂上がりのタコみたいな」
【兵動さん】「風呂上がりのタコが食べられる!」
さらに歩いて行くと、知っているお店がありました。こんがりと焼かれたウナギを販売しています。
【兵動さん】「前に寄らせていただいた。こんにちは。(写真を見せて)これ、どこか分かります?」
【黒谷商店 店員】「本松寺というお寺かもしれへんね」
【兵動さん】「ここ(写真)に本松寺って書いてるって言われたんですよ。言われたんやけど、次に出てきたのがね、柿本人麻呂さんという方が出てきた」
【黒谷商店 店員】「人丸神社ね」
【兵動さん】「ここ(本松寺)にまつわる歴史的人物は柿本人麻呂さんではないんですか?」
【黒谷商店 店員】「ではないですね。歴史上の人物?」
柿本人麻呂を主祭神とするのは、人丸神社(柿本神社)というところだそうです。
【兵動さん】「歴史的にも名前が通っている方らしいんですけど、何かいわれのある方っていらっしゃいます?」
【黒谷商店 店員】「本松寺の庭を造ったのが宮本武蔵とは聞いたことありますけど。宮本武蔵はね、明石市の町割りをしてきたといわれている」
【兵動さん】「宮本武蔵が?区画みたいな」
【黒谷商店 店員】「で、ここ(本松寺)の庭も宮本武蔵が造ったんじゃないかという話は聞いている」
【兵動さん】「それが本松寺?えー!」
兵動さん、早速「本松寺」へ行って確かめてみることに。
■本松寺とゆかりのあるもう1人の有名人に驚き
【兵動さん】「お!すごいな、ここ。立派な建物、あれ『(明石市立)天文科学館』かな?あそこも素晴らしいとこやけど。あ、あそこにもお寺があるね。この辺りか、場所的に言ったら」
歩いて行くと、本松寺を見つけました。
【兵動さん】「こちらが本松寺。あ、書いてあるな。『宮本武蔵 作庭』。ちょっと詳しいことを中で聞こう」
本松寺の住職に取材内容をお伝えして、早速、宮本武蔵が造ったと伝えられている庭を見せてもらうことに。
【本松寺 住職 釋 孝修(しゃく・こうしゅう)さん】「ここが武蔵の(庭の)入り口の門になっています」
門から奥へ進むと…。
【兵動さん】「おー!」
【本松寺 住職 釋 孝修さん】「こちらが宮本武蔵の庭といわれているところです」
【兵動さん】「きれいやなぁ」
【本松寺 住職 釋 孝修さん】「特徴は、石組みがメイン。で、池は枯れ池で水はない。(Q.元からない?)ない。枯れ池で、枯れ池山水という造りなんで」
「枯池式枯山水庭園」という、石組みの美しい庭です。
【本松寺 住職 釋 孝修さん】「高い山と低い山があって、その石の間を大滝、小滝と(呼んでいる)」
石と石の間を水が流れるさまを思わせる造りです。
【本松寺 住職 釋 孝修さん】「それから、自然石橋という橋」
【本松寺 住職 釋 孝修さん】「一番おもしろいのが、亀さんです。亀出島っていいまして」
【兵動さん】「ほんまや!あそこが顔ですね」
「なぜここのお庭を宮本武蔵さんが造ることになったのかって聞いてます?」
【本松寺 住職 釋 孝修さん】「話によると、今の明石公園のところに明石城を造る時に、町割り、町の都市計画をする時に、姫路城に客分としておられた宮本武蔵を(呼んだ)」
【兵動さん】「ほなちょっと来てもらおうといって」
【本松寺 住職 釋 孝修さん】「明石を攻められた時に守ってもらうような都市計画をしないといけないということで、宮本武蔵を呼んだ。その時に宮本武蔵が庭を造っていったという話。他のお寺でも、この下に雲晴寺さんがあるんですが、そこの庭も宮本武蔵が造ったと。それから明石駅の西南に円珠院というお寺があって、そこの庭も造ったんです。みんな似たような形をしている」
【兵動さん】「こういう石をモチーフにしたり」
【本松寺 住職 釋 孝修さん】「ちょっと池の深さが違ったりしていますけど、みんな同じような形(の庭)」
【兵動さん】「有名な方も来たりするんですか?その話を聞いて」
【本松寺 住職 釋 孝修さん】「宮本武蔵が好きな方が結構来たり、庭の研究家が来たりします。最近ね、大仁田厚さんが来たんです。プロレスラーの。ジャイアント馬場さんのお墓がうちにあるんです」
【兵動さん】「え!?ジャイアント馬場さんのお墓って、こちらにあるんですか」
■兵動さんが幼少期に試合を見ていたジャイアント馬場さんのお墓へ
なんとここにジャイアント馬場の墓があるというので、住職に案内してもらいました。
【兵動さん】「うわー、すごい、これ感動する。プロレスファンの方とか俺ら世代でプロレス見てた人。マジですか。うわ、すごい。32文(のサイズの靴が)ありますやん。1つが16文。『16文キック』といって脚を上げて蹴りはるねん。ずっと見てましたもん」
お墓の前には、必殺技「16文キック」をイメージさせるリングシューズの石像がありました。
【兵動さん】「日本でも馬場さんのお墓はここなんですね」
【本松寺 住職 釋 孝修さん】「ジャイアント馬場さんの奥さんは出身が明石なんです。馬場元子さん。(ジャイアント)馬場さんが亡くなったのは1999年、平成11年の1月31日。元子さんが『(自分が)亡くなったら一緒に(墓に)入りたい』といって、お骨をずっと東京で持ってはった。元子さんは平成30年にお亡くなりになって、その四十九日の後にお2人一緒にここへ納骨した」
【兵動さん】「元子さんもお入りになられてて、今ご夫婦で(入っている)」
【本松寺 住職 釋 孝修さん】「夫婦愛ですよね」
【兵動さん】「これって、ファンの人がここで写真を撮るのはOKなんですか?」
【本松寺 住職 釋 孝修さん】「OKです。あんまり表立ってやるのはあれですけど、横向きからこれ(ジャイアント馬場の似顔絵が彫られた碑とリングシューズの石像)を撮ってくれはったら」
【兵動さん】「行儀悪くない程度にですよね、モラルってものがありますから」
子供時代に楽しませてもらった感謝を込めて、お墓の前で手を合わせた兵動さん。
それでは、写真の撮影場所へ。
【兵動さん】「(写真を指さし)あ、この辺がちょっと変わりましたね」
【本松寺 住職 釋 孝修さん】「やっぱりね、昔は釣鐘堂やったんです。戦争に供出して、鐘がないままお堂が残っていたんです」
【兵動さん】「この当時は鐘がない状態でこれだけ残ってた。今は建て替えて」
【本松寺 住職 釋 孝修さん】「今は納骨堂に変わって」
いよいよ撮影です。
【兵動さん】「はい、チーズ」
【兵動さん】「今回はもうびっくりすることばっかりでした。宮本武蔵さんが設計されたというお庭、いまだにあります。そしてジャイアント馬場さんのお墓もここにあります。すごかったですね、有名な方がいっぱい出てきて。今回は本当にいろいろ勉強になりました。どうもありがとうございました」
(関西テレビ「newsランナー」 2024年8月16日放送)