新駅開業で注目の大阪・箕面 『初恋の…』誰もが知る商品の開発者ゆかりの地 キャッチコピーの誕生秘話に「落語みたい」【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2024年08月02日
【兵動さん】「今回は箕面船場(みのおせんば)阪大前駅からスタートです。前にここに寄らせていただいた時はこの駅なかったんです。この1つ向こうの箕面萱野(みのおかやの)駅まで(北大阪急行線が)延伸されたという。活気のある元気な街からスタートです」
北大阪急行線が千里中央駅から北へ延伸し、二つの新駅が今年3月に開業しました。今回のスタート地点である箕面船場阪大前駅はそのうちの一つで、今注目のエリアです。
■写っているのは「あれ」を発明した人
これは1972年(昭和47年)に箕面市内で撮影された写真です。どこの風景か分かりますか?
実は、日本人なら誰もが知る「あれ」を発明した人に関する写真なんです。
【兵動さん】「“あれ”を発明した人。ということは箕面から何かが出たということ?今もあるんでしょうか」
それでは聞き込み開始。道行く人に声をかけてみました。
【兵動さん】「ちょっとだけ見て。これ昔の写真でね…」
【街の人】「なんか書いてますね。分からない、田舎やから」
【兵動さん】「今日は何しに来られたんですか?」
【街の人】「三山ひろしさんのコンサート」
【兵動さん】「ええね、劇場できたから。豊かになるね。ありがとうございました。楽しんできて」
箕面市立文化芸能劇場は、北大阪急行の延伸事業に際して誕生した劇場です。この方はそこで行われるコンサートを見るために訪れたそう。
続いて、サイクリングウェアを着た2人組に話しかけてみます。
【兵動さん】「お話、無理ですか?大丈夫?(ここへ)上がってくる時にお見かけしたと思うねん。自転車に2人で乗ってなかった?」
【街の人】「タンデム自転車です」
2人が前後に並んで乗るタンデム自転車に乗っているところを、声をかける前に見かけていた兵動さん。
【街の人】「(左の人が)視覚障害で」
【兵動さん】「じゃあ先頭は」
【街の人】「私(右の人)です。一緒に漕いで」
【兵動さん】「どういうご関係なんですか?」
【街の人】「ヘルパーと障害の利用者さんなんですけど、週1で自転車に一緒に乗っている」
【兵動さん】「それはお互いの趣味が合ったから?」
【街の人】「そうですね」
【兵動さん】「素晴らしいですね」
「昔の写真持って(歩いて)同じところから写真を撮りたいんです。これがね、なんか石碑みたいなものがあって、その前に写真があります。日本人なら誰でも知っている“あれ”を発明した人らしいんです。箕面から発祥みたいな…」
【街の人】「ミスタードーナツ?1号店(は箕面市)」
【兵動さん】「1号店ありますもんね。すみません、休憩しているところ」
さらに聞き込みを続けます。
【兵動さん】「おいくつ?」
【街の人】「今20です」
【兵動さん】「20歳か。これね、日本人なら絶対知っている“あれ”を発明した方の写真らしい。お住まいは箕面?」
【街の人】「門真に住んでます」
【兵動さん】「門真か、そうか。じゃあこれは全然(分からない)。学校は阪大?」
【街の人】「そうです。将来、学芸員になりたくて。(Q.何の学芸員?)今ペルシャ語を勉強していて、イランの言葉を勉強していて、イスラム関係の美術とかを伝える人になりたいなって思って、勉強しています」
この方は大阪大学の学生でしたが、地元ではないので写真については分からないとのこと。
その後も聞き込みを続けますが、ヒントは得られないまま…。
【兵動さん】「大体さ、箕面イコール『(西川)きよし』でしょ?…呼び捨てしたらあかん。前に来た時、箕面船場は繊維の街。で、こっちはオフィス街、学校だったりするんで、新御堂を挟んで向こう、住んではる方も多いと思うので、あっちちょっと行ってみようか」
兵動さん、場所を変える作戦に出ました。
■ついに“あれ”の答えが!「初恋の味」とは?
【兵動さん】「さぁ、船場西3丁目の方に来ました。地元やお店の方にお聞きしたいんですけど」
こちらで聞き込みを続けます。
【兵動さん】「昔の写真と同じところから写真を撮りたいんやけど。(写真を見せて)これね、日本人なら誰でも知っているものを開発した人らしいんです。箕面からスタートなんですけど、箕面で何か発明されたとか聞いたことある?」
【街の人】「聞いたことないです。(Q.箕面といえば?)ミスタードーナツ1号店があるくらいしか知らない」
【兵動さん】「やっぱりミスタードーナツか。俺は箕面といえば西川きよし師匠なんですよ」
「この辺で昔のことがよく分かるようなところって知ってる?」
【街の人】「歴史資料館みたいなところがあったはずです」
【兵動さん】「あれ?ほんまや。(標識に)書いてあるわ」
早速、教えてもらった箕面市立郷土資料館へ訪れると、真新しい館内にさまざまな展示物が設置されていました。
【兵動さん】「めっちゃきれいですね」
【箕面市立郷土資料館 学芸員 馬場淳士さん】「今年の4月29日に箕面駅の方からこの船場に新しく移ってきまして。リニューアルして、できたてホヤホヤです」
【兵動さん】「ここは箕面のものが全て詰まっているんですか?」
【箕面市立郷土資料館 学芸員 馬場淳士さん】「そうですね」
【兵動さん】「あ、これ(取材で)行かせてもらいましたよ。富くじ。箕面の瀧安寺さん」
【箕面市立郷土資料館 学芸員 馬場淳士さん】「ご存じですか。宝くじの発祥の地が箕面だと」
過去に今昔さんぽで訪ねた宝くじ発祥のお寺にあった「富くじ箱」が展示されていました。“富くじ”とは、現在の宝くじの起源となったものです。
さらに兵動さん、気になるものを発見!
【兵動さん】「これ、カルピスって箕面生まれなんですか?」
【箕面市立郷土資料館 学芸員 馬場淳士さん】「カルピスを作った人が箕面の人なんです」
見つけた展示には「カルピス生みの親は箕面の人」の文字と、開発者の写真もありました。
【兵動さん】「この方がカルピスを作った方?お名前は何というんですか?」
【箕面市立郷土資料館 学芸員 馬場淳士さん】「三島海雲さんといいます」
【兵動さん】「言われたら読めたで。(写真の石碑に)初め何書いているか全く分からなかった、この字。三島海雲さんと言われた瞬間、三島の字がはっきり見えた」
【箕面市立郷土資料館 学芸員 馬場淳士さん】「三島海雲さんは、箕面生まれなんですが、1878年に箕面の教学寺というお寺で生まれた方なんです」
【兵動さん】「1つだけ疑問なんですけど、箕面生まれやのに、すごく厚着ちゃいます?」
【箕面市立郷土資料館 学芸員 馬場淳士さん】「24歳くらいの時に北京に行かれたんです」
箕面生まれの三島海雲は、1902年(明治35年)に中国大陸に渡り、教師を務めたり、雑貨商を営んだりしていました。そこで、ある物との出会いがあったのです。
【箕面市立郷土資料館 学芸員 馬場淳士さん】「モンゴルと中国を何度か行き来している時に、長旅で体がかなりきつかったらしいんです」
【箕面市立郷土資料館 学芸員 馬場淳士さん】「初めて『酸乳』というものに出会うんです。家畜の乳ですね。それを乳酸菌で発酵させたものを、初めて口にしたんです。(飲んだ後に)体の調子がすごく整ったと。それが彼の頭の中にずっと残っていて。37歳の時に帰ってきて、乳酸菌飲料を作れないかということで、いろいろ考えられて、初めてカルピスというものを日本で発売したと。大正8年(1919年)7月7日に発売された」
【兵動さん】「カルピスってそんな時代からあるんですか!?すごいな」
【兵動さん】「懐かしいなぁ。子どもの頃、これや」
兵動さんが幼少期に飲んでいた、かつてのカルピスのボトルも展示されていました。レトロな青いラベルが印象的です。
【箕面市立郷土資料館 学芸員 馬場淳士さん】「日本で初めての乳酸菌飲料です。ここにも出ているように、『カルピスの一杯に初恋の味がある』という、非常にいいコピーだと思うんですが、『疲労の後の一杯』、『浴後の一杯』、『散歩の後の一杯』とか(のコピーがあった)。『滋強飲料』とも書いてありますよね」
【兵動さん】「体が疲れた時、どんな時でも飲んでくれと。ただその味は『初恋の味』。はぁ~」
「ということは!やっとやで、今日、マジで。やっとやで」
ようやくたどり着いた答えに安堵の表情を見せる兵動さん。
【箕面市立郷土資料館 学芸員 馬場淳士さん】「教学寺の入り口に三島海雲さんの生まれてから亡くなるまでのことが、ここの『頌徳碑』に書かれているんです」
カルピスの生みの親、三島海雲が生まれ育った教学寺は、西国街道のすぐそばだと教えてもらい、行ってみることに。
■「カルピス」の商品名とキャッチコピーの誕生秘話
【兵動さん】「さぁ、西国街道の南にちょっと入りました。ここですね、教学寺さん」
お寺に入ってみると…。
【兵動さん】「あ、ありますね。これに間違いないですね」
写真に写っていた石碑がありました。
お寺の方に声をかけます。
【兵動さん】「見せてもらっていいですか?やっぱりカルピスなんですね」
お寺のお堂の中を見せてもらうと、一角にカルピスのボトルが並んでいました。
【兵動さん】「カルピスを開発なさった三島さんがお生まれになったお寺ということですよね」
【教学寺 住職 塚田博教さん】「そうです」
【兵動さん】「カルピスって名前はどこから来たんですか?」
【教学寺 住職 塚田博教さん】「カルピスの“カル”は、カルシウムの“カル”は使うって決めておられたんですよ。仏教で、一番おいしい味、“醍醐味”って言葉がありますよね。醍醐味というのが、インドの言葉では『サルピル』というんです。それでサルピルの“ピル”を使おうと思われたんですよね。『カルピル』で最初は売り出すつもりだったんです。ところが周りの評判がとにかく悪かったそうです」
【教学寺 住職 塚田博教さん】「『それなら専門家の意見を聞いてくる』といって、現在の相愛大学に有名な作曲家の山田耕筰先生がおられたので、『先生、これをカルピルで発売しようと思ってるんです』と言ったら『いまいちですね』と言われた。それで何かいいのはないかと思った時に、醍醐味の次に“熟酥味(じゅくそみ)”という味があるんですね。それをインドのサンスクリット語で『サルピスマンダ』というんです。『サル“ピス”…カルピス、これはどうだ』と思い、山田先生のもとに再び行ったら『それはいいな』と」
【兵動さん】「カルピルとカルピス?社員さんからしたら『1文字変えたんですか?』という感じにもなるけど」
【教学寺 住職 塚田博教さん】「関西弁でいうと『シュッとした(スタイリッシュな)』名前になったんちゃうかと」
ネーミングの由来を聞かせてもらったところで、カルピスを出していただきました。
【兵動さん】「ちょうど飲みたかった。ずっとカルピスの話をしていたから。(一口飲んで)うま!これよく言うやん、さっきも言ってはったけど『初恋の味』って」
【教学寺 住職 塚田博教さん】「実はあれも、この近く、隣の村の牧落というところがあるんですけど。そこに『安養寺(あんにょうじ)』さんというお寺があるんです。そこに三島海雲さんの後輩の方が住んでおられて、『先輩、カルピスおいしいですね。絶対売れますよ。でも今のままでは売れませんよ』と」
【教学寺 住職 塚田博教さん】「なぜかと聞くと『宣伝文句が堅い』という。『滋養強壮とか、いいことを書いているじゃないか』というと『それが堅い。僕が考えてきました。“初恋の味”、カルピス。どうですか』と言ったら、海雲さんは『そんな破廉恥な名前をつけられるわけがない』と怒った。『接吻』と言うだけでも恥じらったような時代に“初恋の味”。でも『これ、絶対売れますから使ってください』と言われて採用したところ、どんな味だろう?と、次から次へと売れたそうです」
三島海雲の後輩にあたる驪城卓爾(こまきたくじ)が、当時としては思い切ったコピーを考案し、それが功を奏したということです。
【兵動さん】「なんか落語聞いたみたいな、素晴らしい話やったな」
【教学寺 住職 塚田博教さん】「後日談があります。その後輩の方、先に亡くなったんです。その時に、『後輩からもらった宣伝文句のおかげでカルピスが売れたから』と、その奥さまとお子さまに生涯、年金のようなものを贈り続けられたんですよ。『今のカルピスがあるのはご主人のおかげです』と。義理堅い方だったんです」
【兵動さん】「ええ話や」
教学寺には今も、三島海雲が生涯貫いた理念の直筆の書が飾られています。
【兵動さん】「はい、チーズ」
【兵動さん】「箕面に、カルピスを発明した三島さんが生まれたお寺があったという。皆さん、今カルピス飲みたくなってるでしょ?めちゃくちゃおいしいです。今日はいいお話をたくさんありがとうございました」
(関西テレビ「newsランナー」 2024年7月26日放送)