ふんどし姿のマッチョ学生が並ぶ「日本初の学校プール」 ノーベル賞作家・川端康成もプール作りに参加していた 【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2024年05月03日
【兵動さん】「阪急茨木市駅にやって来ました。通勤の便もよく、住みよい場所です」
■写真には“ふんどし姿”の男性たちと“いかつい”顧問?
【兵動さん】「今日の写真、いつやねん、なんやねん、どこやねん?」
1920年(大正9年)に茨木市内で撮影された写真です。どこの風景なのでしょうか?
【兵動さん】「(真ん中に優勝旗のようなものを持った男性がいるので)なんかで優勝したんですかね。水泳かな。当時“ふんどし”で泳いでいたんですね。あと大正9年の顧問の先生、めっちゃ“いかつい”ね。たぶん泳ぐようなクラブでしょう。プールっぽくなくて、池で泳いでいたのかな」
それでは聞き込み開始です。
【街の人】「(Q茨木の人?)大阪市内。茨木で友達にネイルしてもらって。(写真を見て)水泳ですかね。『水泳部』って書いてます」
【兵動さん】「『水泳部』って書いてあるわ。おねえさん一発や。俺なんやろ言うてたのに。水泳は得意なほう?」
【街の人】「得意。小学校の時に海で1キロ泳げました。(Q写真と通じるものがある?)ふんどしは分からない…」
【兵動さん】「(別の女性に写真を見せて)水泳部って書いてあるじゃないかというんですけど、学校ってあります?」
【街の人】「有名な茨木高校もあります。一番いい学校ですよ、茨木高校いうたらね、川端康成さんも出てる」
■「茨中の写真」「川端康成ちゃんもプール作っとったんや」
さらに情報を集めるため、阪急本通商店街に移動します。
【兵動さん】「立派な商店街やな。ここは歴史ありそうや、薬屋さんか。すいません、関西テレビの『newsランナー』で回っている、兵動という者ですけど。ここはすごい歴史ありそうですね。何年やっているんですか?」
【藤田屋薬局 店主 藤田宏さん】「エビデンスがあるのは107年前ほど」
【兵動さん】「エビデンスって横文字出てきた。昔の写真を持って来てるんですけど、これ大正9年で…」
【藤田屋薬局 店主 藤田宏さん】「茨中の写真でしょ。茨木中学いうてね。昔は(旧制)中学だったでしょ。僕は茨高(茨木高校)やからね」
【兵動さん】「さっき聞いてきたんですけど、茨高いうたら中学のトップクラスの子が入る学校やと」
【藤田屋薬局 店主 藤田宏さん】「Yes I am!うちの親父は茨木中学の17回生。茨木川から水を引っ張って、このプールを作ったんや。川端康成ちゃんも同じようにプールを作っとったんや」
【兵動さん】「『川端康成ちゃん』って聞こえたけど、近所の子みたい」
【藤田屋薬局 店主 藤田宏さん】「そう『やっさん』や。川端康成さん(17歳頃)の日記に、藤田屋薬局で薬を買いに来たと書いてる」
ノーベル文学賞作家の川端康成は、大阪市北区天神橋生まれ。幼い頃に両親が亡くなったことから、祖父母のいる現在の茨木市に移り住み、旧制茨木中学に入学しました。今回の写真は、川端康成が通っていた現在の茨木高校なのだと言います。
【兵動さん】「このあと茨木高校で話を伺うには?」
【藤田屋薬局 店主 藤田宏さん】「そこの筋(茨木心斉橋商店街)をまっすぐ行ったら茨高になりますから」
【兵動さん】「分かりました」
■いよいよ茨木高校で真相に迫ります
茨木心斉橋商店街から徒歩10分のところにある大阪府立茨木高校へ向かいました。
2025年に創立130周年を迎える伝統校の校訓は、「勤倹力行(きんけんりょっこう)」。「生活を質素にして、日々努力して自分を磨くこと」を意味します。また「質実剛健」の校風から、およそ50キロの道のりを夜を徹して歩き続ける伝統行事「妙見夜行登山」が、大正14年から続けられています。
そんな茨木高校の校長に話を聞くことができました。
【兵動さん】「大正9年の写真で、茨高の水泳部の写真ちゃうかと」
【茨木高校 高江洲良昌校長】「詳しい歴史については水泳部の顧問が説明できると思います。昔は海や川沿いの学校が水泳をやる。ところが茨木にはそういう場所がない。そこで当時いた水泳の先生が、『掘って(プールを)作ったらええやんか』ということで始まったと聞いています。そのプールで、ここが『近代水泳発祥の地』と呼ばれています」
今回の写真は、1920年(大正9年)に撮影された「茨木高校」の風景だということが分かりました。そしてここが「日本近代水泳発祥の地」だということで、記念碑へ案内してもらいました。
さらに水泳部顧問の丸山先生に話を聞いてみることになりました。
【茨木高校 水泳部顧問 丸山博史教諭】「(これは昔の茨木中学水泳部の写真?)間違いありません。当時の在校生で、体育の授業などを使って、水泳場(プール)を作る作業をした。その中には川端康成さんもいたと聞いています。それが(日本の)学校で初めてのプールだったことから、『近代水泳発祥の地』と言われていると聞いています」
この「日本初の学校プール」が完成したのは1916年(大正5年)。今回の写真は、伊豆半島で行われた全国競泳大会で茨木中学(現・茨木高校)が優勝を果たし、学校へ戻りプールの前で記念写真を撮ったものだったのです。
その後も学校プールは進化し続け、1929年(昭和4年)には飛び込み台や最大水深5メートルのプールも完成しました。現在は全天候型の50m×25mプールの大きなプールとなっています。
【兵動さん】「でかっ。めちゃくちゃ立派」
【大阪府立茨木高校 水泳部顧問 丸山博史教諭】「手前は水球です」
【兵動さん】「写真に写っている子たちの後輩は…」
【茨木高校 水泳部顧問 丸山博史教諭】「競泳はこちら(プールの奥のほう)」
【兵動さん】「今、ふんどしで泳いでいる人おらんよね?この写真みたいな感じだったって知っていた?」
【水泳部の生徒】「昔は川から水を引いてプールをやっていると日本史の先生が言っていて、こんな感じだったのは知っています」
【兵動さん】「では先生、同じ所から写真を撮りたいのですけれど」
【茨木高校 水泳部顧問 丸山博史教諭】「校舎側からになります」
写真の場所は現在のプールとは違うところでした。
【兵動さん】「はいチーズ」
【兵動さん】「日本初の学校プールができた、そして近代水泳発祥の地になったということでした。これからもバリバリ、楽しい生徒さんを送り出してください。楽しみにしています」
(関西テレビ「newsランナー」 2024年4月26日放送)