“藤井八冠”の勝負グルメも!将棋の町として注目・高槻 ある『発掘現場』から出てきたものは…【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2024年01月12日
【兵動さん】「今回はJR高槻駅前からスタートですね。大阪でも大きいですからね、高槻市はね。そこからスタートです」
■“将棋”の町として知られる高槻市
大阪と京都の中間に位置し、2大都市のベッドタウンとして発展してきた高槻市。2023年、将棋の「王将戦」「名人戦」の舞台となり、2024年の秋には大阪市にある将棋会館が高槻市に移転予定など、“将棋の町”としても注目を集めています。
そんな高槻市で今回、兵動さんに探してもらう場所はこちらです。
これは1982年(昭和57年)に高槻市で撮影された写真です。どこの風景か分かりますか?
【兵動さん】「発掘現場ですよね。すごいね、住宅街のど真ん中に急に出てきたみたいな感じ」
それでは聞き込み開始です。
【兵動さん】「こんにちは。(写真を見せて)これ、何かの発掘現場じゃないかと思ってね」
【街の人】「安満(あま)遺跡は向こうにある」
【兵動さん】「安満遺跡は前に来たね。大きい公園の中のとこでしょ」
【街の人】「(安満遺跡は写真とは)全然広さが違う」
安満遺跡は高槻駅の東側に位置し、東西1.5キロメートル、南北0.6キロメートルの広さを持つ弥生時代の集落跡です。ここに兵動さんは3年前に訪れています。この遺跡と比べ、写真の場所は明らかに規模が小さいことが分かります。
【兵動さん】「他にこういう発掘…」
他にも心当たりがないか尋ねようとしますが…。
【街の人】「あるねん、あるねん。この辺(喉)まで出てるねんけど。思い出せない」
では、他の人にも聞いてみます。
【兵動さん】「これ(写真の場所)分かります?」
街の人に聞いていると、そばを通りかかった人たちも「どこを探してるの?」と、次々に声をかけてきてくれました。一緒に写真を見て、口々に知っている情報を教えてくれる皆さん。
【街の人】「(写真に)森みたいなのがあるやん、木が。神社か、古墳か」「じゃあ向こうの方じゃない?城跡があって」「(お城があった?)“高槻城”や」「ここからだいぶ南へ行かないといけない」
「城跡」との情報を得ました。城跡があるという南へ向かいつつ、聞き込みを続けます。
■藤井八冠が食べた“勝負スイーツ”のお味は?
歩いていると、和菓子屋さんを発見しました。店先のショーウインドウに大きく書かれた「高槻城」の文字に反応した兵動さん。
【兵動さん】「これは高槻城…。和菓子?『王将 藤井聡太』やって、すごいな。“仁深(じんふか)”って読むのかな」
ショーウインドウには、「仁」「深」と筆で書かれた扇子が飾られていました。扇子には、「王将 藤井聡太」の文字も。お店に入って聞いてみます。
【兵動さん】「扇子ありますやん、あれ何て書いてますの?“仁深(じんふか)”って書いてるのかと思って」
【銘菓の里 井づつ 店員】「誰が見ても“仁深(じんふか)”ですね。深仁(ふかじん)かな?」
すると、別の店員さんが…。
【銘菓の里 井づつ 店員】「藤井聡太さんが“深”を書いて、羽生善治さんが“仁”を書いた」
【兵動さん】「お母さん、適当に『誰が見ても“じんふか”ですわ』って、よく言いましたね。値打ち、めっちゃありますやん」
【銘菓の里 井づつ 店員】「高槻の山水館ってところで対局されて、そこの女将さんにもらったの」
2023年1月に高槻市で行われた2人の対局「王将戦」。この時、藤井聡太八冠が勝負スイーツとして「銘菓の里 井づつ」の和菓子を食べたので、記念にこの扇子をもらったのだそうです。
その勝負スイーツを試食させていただくことに。
【銘菓の里 井づつ 店員】「(中は)粒あんと栗あんになります」
【兵動さん】「うん、おいしい。口どけもいいし。これを藤井聡太さんが食べた、勝負スイーツ。同じもの食べられてうれしいな」
そんな勝負スイーツやグルメに関して、奥さんからぜひ見てほしいと、あるものが渡されました。
【兵動さん】「『第81期名人戦 高槻対局 勝負ランチ&スイーツ』やって」
高槻市と観光協会が協力して作成したパンフレットでした。棋士に推薦した、さまざまなグルメとスイーツを一般向けに紹介したものです。
【兵動さん】「いろんなのがあるねんなぁ」
高槻市も協力して、将棋を通して街を盛り上げているんです。
さて、そろそろ本題へ。写真の場所を聞いてみると…。
【銘菓の里 井づつ 店員】「お城跡ですよね。今はモダンな文化会館みたいな、芸術文化劇場というのになっています。すごくいいですよ」
【兵動さん】「高槻城って、こんなことを言ったら怒られるかもしれないけど、有名なんですか?高槻では」
【銘菓の里 井づつ 店員】「そこを発掘した時に将棋の駒が出てきたみたいですね」
【兵動さん】「だからそれも手伝って、高槻は将棋(の町)。そういうことか。次はどこに行ったらいいですかね。やっぱり高槻城跡?」
【銘菓の里 井づつ 店員】「すぐその隣が資料館」
目印は城跡に作られたという芸術文化劇場。そちらに早速向かいます。
■続いて“勝負グルメ”も発見!
【兵動さん】「『高槻うどんギョーザの会』って、さっき見たこれ(パンフレット)や」
通りかかったお店の前にある「高槻うどんギョーザの会」と書かれたのぼりを見つけました。先ほど頂いたパンフレットで勝負グルメとして推されていたこのご当地グルメが気になる兵動さん、ちょっと寄り道です。
【兵動さん】「下でね、『高槻うどんギョーザ』(と書かれたのぼりを見た)。粉もん?」
【彩り中華 まるなか笑店 店員】「粉もんというよりは、ハンバーグに近い…これは一回見てもらう方がね」
【兵動さん】「でも今作るの無理よね?」
【彩り中華 まるなか笑店 店員】「たまたまなんですけど、今ちょうど仕込みをしてまして。こんなことあるんですね」
こちらのお店で毎日提供している「うどんギョーザ」を試食させていただくことに。
【兵動さん】「なるほどね、例えるならハンバーグ。カリっと食べた時はちょっとお好み焼きっぽいのかなと思うねんけど、途中、途中にうどんの食感が出てくる。褒め言葉ですよ、ザ・B級グルメの上。うまい!」
餃子の皮の代わりに刻んだうどんを餡に練り込んで焼いたもので、昭和50年代、高槻に住む主婦が考案したのだそうです。
【彩り中華 まるなか笑店 店員】「藤井聡太さんが名人戦の時にうどんギョーザを召し上がって、そこから『藤井聡太さんが食べたうどんギョーザください』と言って訪ねて来られる方とか」
藤井八冠が食べた勝負グルメとして、最近は地元以外の人からも注目されているそうです。
勝負スイーツと勝負グルメを立て続けに味わったところで、芸術文化劇場に向かいます。歩いていくと街の人が言っていた神社があり、その向こうに目的地がありました。
【兵動さん】「ここか。『高槻城公園芸術文化劇場』。うわ、すごいな、これが劇場?なんか、お城やな。現代(風の)お城」
芸術文化劇場は洗練されたモダンなデザインの建物でした。ちなみに、こちらは2023年に行われた第81期名人戦の会場となっています。
そして兵動さんが向かうのは、劇場のすぐそばにある「高槻市立しろあと歴史館」。
【兵動さん】「ここやね、しろあと歴史館。いよいよ核心に迫ってきました」
■高槻城の歴史が明らかに
お城の歴史を知るために兵動さんがたどり着いた「しろあと歴史館」で、館長に話を聞いてみます。
【しろあと歴史館 館長 千田康治さん】「これが常設展示室の入り口なんですが、江戸時代の高槻城の天守閣の石垣を模した模型です」
【兵動さん】「これは何ですか?下」
模型の足元はガラス張りになっていて、中に木材などが見えます。
【しろあと歴史館 館長 千田康治さん】「当時の最新の土木技術で、地盤沈下対策を模型で表しています」
ポイントは石の下に組まれた木。地面にかかる力を均一化するための工法で、土台が安定するそうです。
館内には、高槻城と城下町を再現したジオラマも。
【兵動さん】「こんな大きいとこやったんですか。これすごいね。いつ建ったんですか?高槻城は」
【しろあと歴史館 館長 千田康治さん】「高槻城はもともと戦国時代に大規模な城になりましたが、明治4年に廃藩置県(はいはんちけん)というのがありまして、廃城ということでお城が使われなくなった後、ちょうど京都~大阪間に鉄道を通す時に鉄道のレールを敷くための基礎の部分に、石垣の石を使いたいということで、城を解体して石垣の石を持って行ってしまわれたんですね」
【兵動さん】「残しといてほしかったなぁ。ほんまはね」
■城跡から見つかった“あれ”も展示
館内の展示の中には高槻の今につながる、“あれ”もありました。
【兵動さん】「これですか。なんでこの城跡から出てきたんですかね」
展示されていたのは、江戸時代の将棋の駒です。
【しろあと歴史館 館長 千田康治さん】「江戸時代の武士の教養として、戦術、兵の動かし方とかそういったものに通じる部分があって将棋が奨励されたのではないかと考えられています」
【兵動さん】「なるほどね。なんかちょっと多い?」
展示されている駒の数が多いことに気づいた兵動さん。
【しろあと歴史館 館長 千田康治さん】「はい。2種類出てまして、左の方が現在使われている将棋の駒と同じタイプのものです。こちら(右)のちょっと小ぶりな方が“中将棋(ちゅうしょうぎ)”といいまして、盤面が大きいです。12×12(マス)ありまして、駒の数も多いんですね。戦国時代くらいはまだ中将棋が結構されていて、江戸時代もされていたようですね」
小さな駒は中将棋と呼ばれる古典将棋で用いられていたもので、21種92枚の駒を使用していたのです。
【兵動さん】「あんなん無理やわ、俺」
そして、そろそろ本題。写真について聞いてみると…。
【しろあと歴史館 館長 千田康治さん】「この近くの発掘調査の時の現場の写真ですね」
【兵動さん】「今これは何になってますか?」
【しろあと歴史館 館長 千田康治さん】「高槻城公園の芸術文化劇場の北館という(場所)」
【兵動さん】「北館のどっちから、どう撮ったというのは分かります?」
【しろあと歴史館 館長 千田康治さん】「この模型でいいますと、ここに現場の南側にあたる神社がありますので、(模型を指しながら)この辺りの部分になりますね」
【兵動さん】「そうか、神社はこの当時からあったんや。なるほど。今ちょっと面白かったのが、今の模型じゃなくてその当時の模型やから、場所が全然分からん」
ということで、館長に写真の場所まで案内してもらいます。
【兵動さん】「何か取り壊されてますね」
【しろあと歴史館 館長 千田康治さん】「(昔の)市民会館で、今新しいホール(芸術文化劇場)が建っておりますけど、その前に使われていたのがこの(現在取り壊されている)市民会館になります。ちょうど今、工事で壊されかけているところから撮った写真ではないかと」
【兵動さん】「なんか高槻の会館の今昔も見たな。今、立派ないいところができたけど、昔ずっとみんなを楽しませていたところがこうやって解体されていくと」
それでは、いよいよ撮影です。
【兵動さん】「はい、チーズ。高槻って見るところいっぱい、人情もあるし、おいしいものもたくさんある。最高です。しろあと歴史館も本当に楽しいですよ。ぜひ来てください。楽しい回でした。ありがとうございました」
(関西テレビ「newsランナー」2024年1月5日放送)