みんな慌てて乗り降りする“路面電車” 国道2号線を走っていた国内最長26キロ「阪神国道線」 尼崎の商店街でホルモン食べながら探索【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2023年08月04日
【兵動さん】
「今回、阪神電車の出屋敷駅前からスタートです。尼崎市ですね。出屋敷の駅前に来たの初めてちゃうかな」
これは路面電車のようですが、いったいどこの風景なのでしょうか?
それでは今日も、兵動さんの聞き込み開始です。
■尼崎の皆さんは親切 すぐに有力情報「ニコク走とった」
【兵動さん】
「奥さんちょっとお話し無理ですか?『newsランナー』でして」
【街の人】
「兵動さん。どこ探してんの?(路面電車なら)ニコク(国道2号線)行かなアカン。あそこ走っとったから、電車」
【兵動さん】
「尼(崎)の方、2号線のことニコクっていうんですよね」
【街の人】
「こっちはヨンサン(国道43号線)やけど、こっちニコク」
「(路面電車は)野田(大阪市)まで行っとったやん。速かった。昔は車も少なかったからね。そんで甲子園まで行っとったからね、阪神見に甲子園球場行くのもこれ。駅がなくてこういうとこ(道路上に)止まっとった。段差があんまりなかって、止まったら乗っとった」
【兵動さん】
「すいません、勉強になりました」
■商店街ではいろんな人に会いました 勝新?、豚肉専門店、雑穀屋さん
兵動さん、以前この辺りは取材で訪れたようで、およそ6年前に「今昔さんぽ」の取材で訪れたこの場所は、3つの商店街の入り口が並び、阪神工業地帯で働く労働者たちの家族でにぎわう、活気あふれる場所だったのです。
まずは新三和サンロード商店街の入り口へ
【兵動さん】
「懐かしいね。サンロードのほう、前行ったような気がするんやけど」
【街の人】
「もしかして兵動さん?」
【兵動さん】
「今ちょっと回らしてもろうてて。親子でやられてるんですか?」
【街の人】
「兄弟、義理の兄弟です」
【兵動さん】
「そうですか。奥の方、勝新太郎さんみたい。見つけました尼崎の勝新太郎さん。すいません」
続いて立ち寄った豚肉専門店・栄屋では
【兵動さん】
「僕、寄せてもらいましたよね。5、6年前に」
【お店の人】
「兵動さん、写真ありますよ」
【兵動さん】
「ほんまや。2017年に来させてもらったんや。懐かしいな。久しぶりにホルモン1パック買わしてもらおう」
沖縄の食文化のひとつ、豚のホルモン焼がこの店の名物。ホルモン焼は100グラム200円です。
【兵動さん】
「甘辛な味付け。いろんな部位が入っているから、食感が違う。家でこれつまみながら一杯飲んで、最高ですね。ここで飲みたいわ」
兵動さん、路面電車について聞いてみて下さいね。
【お店の人】
「(路面電車)あったな。そういえば来た当時あったな。2号線やわ。あったあった。(乗り降りは)止まらんうちに、そっと乗ってた」
続いて、三和本通商店街へ。雑穀問屋・米安で聞き込みを続けます。
【兵動さん】
「お米屋さんですか?」
【米安 浅野嘉一社長】
「雑穀屋です。これは北海道、国産です。外国のもあります」
【兵動さん】
「こういうの対面販売しているお店ないですよね?」
【米安 浅野嘉一社長】
「量り売りしている。ないですね」
【兵動さん】
「ゴーフルの缶に輪ゴムを入れている」
【米安 浅野嘉一社長】
「昭和ですね。(路面電車には)乗ってました。『阪国電車』って、そこの国道2号線のところで。知り合いのおばちゃんとこ行くのに、甲子園の方まで。ちょっと西行ってもうたら、蓬川(よもがわ)って川があって、越えたところに蓬川公園があるんです。そこにこの車両が置いてあるんですよ。手掛かりがあるか分からないですけど」
■公園の展示車両の中で、自治会長が一気に真相に迫る話を
近くの蓬川公園に路面電車の車両があると教えてもらったので行ってみることにしました。
【兵動さん】
「かわいらしい、良い公園ですね。あっ、あるある、これか電車。(展示プレートを見て)『この阪神電車』なんや。『…郷土の歴史の一環として保存、展示するものです』と」
阪神国道線は、国道2号線を走る路面電車として、野田から東神戸まで運行していました。その距離は路面電車では国内最長の26キロ。上甲子園から浜甲子園への支線もあり、通勤・通学、買い物からレジャーまでさまざまな用途で、バスのような手軽さで親しまれていました。しかし、自動車の普及で利用者が減り、道路の渋滞もあって、1975年(昭和50年)に全線廃止となったのです。
【兵動さん】
「(展示されている電車の)中に入れそうな感じがせんでもないよね。(貼り紙を見て)『囲碁・将棋』?この中で囲碁とか将棋をやってるのかな。電話番号書いてあるな」
「囲碁・将棋」クラブの担当者に連絡を取ってみると、地元自治会の会長さんと一緒に来ていただけました。
【兵動さん】
「すいません、わざわざありがとうございます。開けてもろうていいんですか。お邪魔します」
中へ入らせてもらうと…
【兵動さん】
「変わり過ぎや。めちゃくちゃ面白いよ中。こないなりました。ここだけ見たら、電車感がないか」
【自治会長 永浜博志さん】
「(ここで)将棋をしとるんですわ。服部さんが委員でね」
中はすっかり集会室に様変わりしていますが、ところどころに電車の面影も残っていました。
【兵動さん】
「みなさん幼いころから阪神国道線は?」
【囲碁将棋担当 服部治郎さん】
「何回か乗ったことはあります」
【自治会長 永浜博志さん】
「私はものすごい乗りました。『金魚鉢』いう愛称。庶民の足でね、車掌もおって、安かった。昭和45年の万博のころで、50円か60円やったと思いますわ」
【兵動さん】
「駅はあったんですか?飛び乗ったんちゃうかって噂もあったんですけど」
【自治会長 永浜博志さん】
「ホームはなかったんですよ。(電車に)パタンと出る踏み台があって、そこに乗って入るわけですよ。そんときは乗用車もちゃんと止まってくれてました。(電車に乗り降りするため、道路を横断する)乗降客が優先いうルールを守ってました。
(電車の営業が)終了する時は名残惜しんで、(電車に乗るため大勢の人が)ワーッと来た。昭和49年3月かなんか。上甲子園から神戸までは終了したんです」
阪神国道線が廃止になる1年前の昭和49年、西側の路線が先に廃止になることが決まり、名残を惜しむ乗客が大勢詰めかけました。
【兵動さん】
「なくなるとなったら寂しかったですか?」
【自治会長 永浜博志さん】
「別に思わんかった」
■ラストは西宮へ!路面電車が走っていた場所を突き止める
兵動さんは、永浜さんに教えてもらった阪神西宮駅の近くへ向かってみます。
近くにある、戦前から営む宮忠神具店の中嶌博さんに聞いてみると、やはりこの前を路面電車が走っていたということでした。
【兵動さん】
「さあいきましょう。ハイ、チーズ。『阪神国道線』という電車がここをずっと走っていたと。本当に皆さんの生活を支える電車やったと思います。今日も勉強になりました。」
(関西テレビ「newsランナー」2023年7月28日放送)