人工衛星も支える技術力 モノづくりの街・東大阪 “朝ラー”や“銭湯”など労働者の街ならではの文化が根付く 【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2023年09月20日
【兵動さん】
「今回はJR高井田中央駅前からスタートでございます。東大阪ですね。いうたら日本を代表する町工場の集まったところでございます」
町工場の密度は全国No.1を誇る東大阪。その技術力の高さは、人工衛星「まいど1号」に東大阪で作られた部品が多く使われたことでも有名です。
【兵動さん】
「さあ今日の写真ですね。うわー、これすごいな。『ALWAYS三丁目の夕日』感がすごい」
これは1957年(昭和32年)に東大阪市で撮影された写真です。どこの風景か分かりますか?
【兵動さん】
「この煙みたいな、黒いのががー上がってるのが、やっぱり工場の煙なんかな。煙突が結構出てますからね。あと3人のお子様。いい顔、全員笑ろうてるよ。ほんで後ろの人、『奥さん、新聞2カ月だけでいいんで』言うてるんかな。ほんまは何してるんか分からんけど。どこにでもある風景やろな、これが問題や」
【兵動さん】
「あーなんかな。ヒントで言うたら、(写真の右側)『ハム』?。ハム作ってんのかな?。とりあえず聞き込みしたいと思います」
【兵動さん】
「こんにちは」
【街の人】
「(兵動さんに)似てるってよく言われます」
【兵動さん】
「僕に似てるって?ほんまや兄弟。高井田兄弟です。いや、兵動兄弟や。高井田はこの場所やわ。お兄さんは地元?」
【街の人】
「地元です」
【兵動さん】
「古い写真持ってね、おんなじとこから写真撮るコーナーしてますねん。昭和32年の写真なんですけど、分からんよな~。昔から工場っていっぱいあったん?」
【街の人】
「いっぱいありますね。でもだいぶマンションとかになっていますけど」
【兵動さん】
「減ってきたということ?この辺で、工場が集まってるとこいうたらどっち側になるんですか?」
【街の人】
「あっち側(駅の南側)ですね」
■東大阪でも特に工場が多く集まる高井田中央駅南側のエリアへ
教えてもらった駅の南側へ移動します。東大阪の中でも特に工場が多く集まるエリアです。
【兵動さん】
「ずらーっと工場があるわ、この通りには。どっかの工場でお話聞かせてもらわな、分からへんな」
「(目の前にフォークリフトがバックしてきて)なんか出てきた。わーすごい。関西テレビの『newsランナー』っていう番組で回らせてもろてる兵動ですけど、ちょっとお話聞けそうな方いらっしゃいます?すいません。ここは何作ってはるんですか?」
【河島製作所営業部長 帖地大輔さん】
「ここはプラスティックの製造メーカーです」
お邪魔した河島製作所は大手メーカから発注を受け、様々なプラスティックの小物を生産している町工場です。
【帖地さん】
「ここは24時間の3交代制でやってるんですね。高井田は労働者の町なので、24時間やっている工場も多い。高井田ラーメンといってご当地ラーメンがありまして、朝早くからやってるラーメン屋さんもある」
【兵動さん】
「ラーメン屋さんが朝から開いてんの?」
これは東大阪の特徴。徹夜明けの工員のために“朝ラー”を提供するのは当たり前。味付けも塩分を少し多くして濃い目の味に仕上げているんです。
【兵動さん】
「さっき聞き込みしとったら、こんだけいっぱい工場あんのに『最近跡地にマンションできてますよ』とか」
【帖地さん】
「昔は(工場が)1万以上あったと思うけど、今は6000とかそれぐらいになってると思います」
【兵動さん】
「もっとあったんや。やっぱり生き残り大変ですわな?」
【帖地さん】
「はい。私たちも最初は下請けとか孫請けの仕事ばっかりしていたけど、自社商品をやっていって、もっと世の中にアピールできる製造を目指しています」
生き残りをかけて、河島製作所ではスマホが登場するとすぐさまスマホケースの製造を開始しました。最近ではトレーディングカードの世界的ブームに乗って、専用ケースがヒットしているそうです。
そんな会社を率いる敏腕社長にもご挨拶します。
【河島製作所社長 河島直也さん】
「すいません、パシャってやらして(兵動さんの写真撮らせて)いただいて」
【兵動さん】
「社長、突っ込んでいいですか。『今?(写真撮るか?)』。おもろい社長。パンチ効いてますね」
【帖地さん】
「(社長は)義理の親父なんですけど、個性的すぎて、ちょっとコントロール不能。実は、(社長は)誰かに似てるってよく言われるんですよ」
【河島さん】
「河島、河島…」
【兵動さん】
「河島英五さん?」
【河島さん】
「兄貴なんですわ。今ちょっと声が出ないんです。ホンマやったらここで一曲歌うんですけど」
【兵動さん】
「いやいや、歌ってもらわんでいいです。河島英五(ご本人)さんやったら歌ってほしいけど」
社長は歌手の河島英五さんの実の弟なんです。
「一曲歌う」というのも冗談ではなく…
【兵動さん】
「河島“直也”のCD。お兄さんの歌を社長が歌ってる?」
【河島さん】
「カバーしてる」
【帖地さん】
「あたかも自分の歌のように歌っている」
【兵動さん】
「河島英五さんはもともとここの家から…」
【河島さん】
「(出身は)東大阪市花園。(工場は)僕が始めた。(創業から)37年。何度か引っ越して、ここの工場は5軒目なんですよ。3つ目の工場の時、(兄の河島英五さんが)来て歌ってくれました。タダで」
【兵動さん】
「タダで!払おう思たらどえらいお金やからね。いやいやお兄さんやから。祝儀がてら歌ってくれて、粋な方やね」
それでは本題の写真について聞きます。
【兵動さん】
「これ昭和32年です」
【河島さん】
「(私は)1歳。分からないですね」
【兵動さん】
「この当時のこと、ごっつ分かるような方ってお知り合いでいません?」
【河島さん】
「いてます。溶接屋さんで、写真が趣味っていう人がおる。有名な人。『川勝さん』。いろんなこと知ってはります」
【兵動さん】
「じゃ、ちょっとその人紹介してもらって、行かせてもうてもいいですかね」
【河島さん】
「ちょっとすいません。携帯貸してください」(と言って社長が兵動さんのスマホに作りたてのケースを取り付ける)
【兵動さん】
「ええ!これ(ケースに兵動さんの写真とコーナー名が印刷されている)、どういうこと?今さっき来たばっかりよ」
【河島さん】
「さっき(10分前)撮りましたやん」
【兵動さん】
「こんなんできますのん。これめちゃくちゃうれしい。けど、これで電話してるのマネージャーとか後輩に見られたら、『こいつ自分のことどんだけ好きやねん』てなれへんかな?」
■東大阪の風景を撮り続ける地元の有名人
そして東大阪の有名人という川勝さんの元へ。一体、どんな方なのでしょう?
【兵動さん】
「すいません。先ほどちょっと、河島さんとこ行かせてもらって、昔のことお聞きするなら川勝さんちゃうかいうて、よろしいですか?めちゃくちゃええ空気感」
【川勝溶行所 川勝親さん】
「100年以上前の建物。僕で3代目やから」
【兵動さん】
「3代目。ここの溶接?」
【川勝さん】
「高井田にある工場の機械部品の修理の溶接ばっかりやってる。サラを作るわけじゃなくて、修理専門の溶接屋なんで。この辺りはみんな知ってる人ばっかり」
【兵動さん】
「ほー。いやなんかね、カメラをすごくやってらっしゃる…」
【川勝さん】
「あー。町工場のおっちゃんとか、この地区の働いている人の姿を長年ずーっと撮ってるんですよ」
モノづくりの街、東大阪。町の生き字引、川勝さんが撮り続けているという写真を見せてもらいました。
【兵動さん】
「渋いなー。これはでも、なんかすごいいい写真ですね」
【川勝さん】
「僕も現場の人間やから、現場に入ることができるから、こうやって記録が残せるんよな」
【兵動さん】
「こんな親父の感じ、かっこええよ。なんで撮り始めたんですか、写真は?」
【川勝さん】
「最初はある工場の方が『廃業するから。子供が継げへんし、わしの働いとった姿を孫に見せたい。写真残してくれ』いうて言われてから始めたんです。ほんであちこち聞くとやっぱり自分の働いている姿を残したい。だけどカメラマンが来て撮ってもらうのは困るけど、お前やったら知ってるから、かまへんでっていう形で撮り始めてる」
【兵動さん】
「ええ顔してはるもんな。職人さんのね。いやこれはちょっと感動するわ」
【川勝さん】
「(おじさんの写真を見せて)このおっちゃん、F1のマシン作ってる。60年代~70年代に作ってはったけど、今これ(小型のレーシングカー)を動かすようにチューンナップしてはるんですね」
【兵動さん】
「チューンナップしてんの?だから技術がすごいんすよ。東大阪すげーな」
さらに町工場だけでなく、それに関わる文化も撮影しているそうで…
【川勝さん】
「(仕事が)終わったら汚いからみんな銭湯入ってから帰るんですよ。だから銭湯もいっぱいあったんだけども、今は少なくて」
【川勝さん】
「そんで立ち飲み行って。作業着のまんま集まって、みんなは仕事がちゃうけど、仕事の話とか語り合って帰る」
【兵動さん】
「おもろいな。ええ顔してるな。『明日もやるで~』いう顔してはるわ」
【川勝さん】
「こういった面白いおっちゃんらがだんだんおれへんようになってきて。そういったことを記録に残していかないと。(モノづくりの文化を)継承しようと思って、僕は『モノづくり体験塾』というのを、もう15年。今年もやってるから16年目に入ってます」
川勝さんは、東大阪にある多くの町工場と協力して次の世代にモノづくりの魅力を伝える活動も行っているんです。
■「ハム」だと思った文字は、「公泉インキ」の「公」の字だと判明
【兵動さん】
「昔のことを残して、新しい方にもいろいろなことを教えていくという。すばらしいことやられてますわ。というわけで、ちょっとこれ見てもらお。昭和32年の写真ですねん。なんかどっか見たことあるなみたいなことってあります?」
【川勝さん】
「昔のこの辺の街並み。ウチもこんな感じやったんですけど。たぶん『公』というのは『公泉インキ』くらいしかない。この辺やったら」
【兵動さん】
「『公』ですか?『ハム』や思てました。公園の公か。これは公泉インキさん」
ということで公泉インキさんの場所を教えてもらい尋ねてみました。
【兵動さん】
「昭和32年の写真でして、ここね」
【公泉インキ製造 社長】
「ウチの会社ですわ。ちょうど裏側になってます」
【兵動さん】
「この煙ね。これやっぱり工場の煙ですか?」
【社長】
「ここに、お風呂屋さんあったから、お風呂屋さんの煙かなと思います」
【社長】
「恥ずかしいけど、これ(写真に写る男の子)私ですねん。10歳ぐらいの時かな。(隣の女性二人は)姉と妹ですね」
【兵動さん】
「まさか会えるとは。めちゃくちゃ幸せな空気感が伝わって来て、めちゃくちゃええ写真やなって、思ってたんですけど。めちゃくちゃ笑ってますもんね」
【社長】
「なんかおもろいことやってた…」
それではいよいよ写真撮影です。
【社長】
「この辺やろね」
【兵動さん】
「これめっちゃいいわ。はい、チーズ」
【兵動さん】
「東大阪の町工場のすばらしい技術をもったみなさんが、これからもどんどんもっと元気出して頑張っていただきたいなと。そして、60年ぶりに撮らせていただいた写真、最高でした」
(関西テレビ「newsランナー」2023年5月19日放送)