大阪駅すぐ“カンパイが似合う街”「新梅田食道街」 “食堂”ではなく“食道”なのだ 旧国鉄の失業対策で戦後まもなく開業 現在約100店舗が元気に営業 【兵動大樹の今昔さんぽ 関西テレビ「newsランナー」】 2023年09月06日
【兵動さん】
「今回は梅田でございますね。阪急・大阪梅田駅、阪急三番街。この辺、関西の方は一度は歩いたことがあるんじゃないですかね。奥に行ったら茶屋町がありますし、向こうに行けばHEPの観覧車があるという、梅田のど真ん中でございます」
【兵動さん】
「では今回の写真を見てみます。えー、これそうか」
これは1986年(昭和61年)に大阪市内で撮影された写真です。どこの風景か分かりますか?
【兵動さん】
「昭和61年いうたら最近やもんね。おれらの感覚でいうたらやで。これ梅田?せやけどなんかガードができそうな感じ。ほんで歩いている人も昭和61年感がすごいですね。まあこんな感じでしたわ。じゃ、フラッと探しますか」
■古くから梅田にある酒屋さんで有力情報
兵動さん、梅田周辺に詳しそうな「リカーショップ ビンゴヤ」で話を聞くことにしました。
【兵動さん】
「『ビンゴヤ』さん。昔からあるの、若い時から見ていた。うわ、こういう感じか。初めて入るわ。お仕事中すいません。関西テレビの『newsランナー』っていう番組でちょっと回らせてもらってる兵動いうんですけど、ビンゴヤさんの社長さん?」
【リカーショップビンゴヤ 渡辺剛社長】
「はい」
【兵動さん】
「社長ですか!昔の話をちょっと聞きたいなと思って。これね、昭和61年の写真です」
【渡辺さん】
「あ、僕生まれてませんわ」
【兵動さん】
「嘘やん。ちょっと待って!突っ込んでええんかどうか分からへんかったがな。おいくつですのん」
【渡辺さん】
「大台に乗る前なんで」
【兵動さん】
「大台乗る前いうたら、50…」
【渡辺さん】
「ビール出したげて。今年8月で70歳になります」
【兵動さん】
「全然見えへん。めっちゃ若い!さっき『生まれてへん』ってよう言いましたね」
【兵動さん】
「これ(写真)、場所的にどこか分かります?」
【渡辺さん】
「間違いなく当てられます。ここから少し行った『新梅田食道街』の駐車場の横のところです。ぼく、酒屋なんで、トラック止めて納品しましたんでね。高架下です、JRの」
【兵動さん】
「高架下のダーってお店が入っているところ辺ですか?」
【渡辺さん】
「この『ベル』さん、まだあると思いますよ」
■写真は「新梅田食道街」だとのこと
教えてもらった「新梅田食道街」は、JR大阪駅と阪急梅田駅の間のガード下にあるエリアです。
【兵動さん】
「さ、教えていただきました『新梅田食道街』にやってまいりました。(JR側から)阪急側に渡ってすぐここ。『大阪で一番カンパイが似合う街』というね(キャッチコピーが看板にあります)」
【兵動さん】
「あらためて見たら、新梅田食道街の食道は“道”なんやね。食堂の“堂”ではなかってんね。ちょっとほんなら行ってみますか」
「おー、すごいね、このたこ焼き屋さん、人気やし」
「ここでお酒飲んでたら道分からんようになる時あるよね。どこ歩いてるか分からへんようになる」
飲み屋街のイメージがある新梅田食道街ですが、他にもベーカリーやスイーツ店、和洋中さまざまな飲食店が約100店舗、軒を連ねているんです。
■新梅田食道街開業時からあるという老舗「北京」で情報取集
「長いことやってるのは『北京』さん」という情報があり、「世界の酒 北京」で話を聞かせてもらうことにしました。
【兵動さん】
「『支度中』って書いてる。(扉をノックして)失礼します。すいません。関西テレビの『newsランナー』いう番組で、よしてもらってる兵動いうんですけど。ちょっと入れてもろていいですか?ここは立ち飲み屋さんになるんですか」
【世界の酒 北京 斉木澄子さん】
「そうです」
【兵動さん】
「これ、せやけど名前『北京』さんですよね。ぼく完璧にジャーって中華鍋ふったりとか…」
【斉木さん】
「みなさんね、そうおっしゃるんですけど、先代(義父)が国鉄に勤めてまして、一時期、北京の方で仕事をしていたらしくて、その時に北京がすごく気に入ったんだそうです。それで帰ってきてお店をするにあたり屋号を北京にしたそうです」
【兵動さん】
「引退なされて、ここでお店始めたんや」
【斉木さん】
「引退というか、だいたいこの新梅田食道街自体が国鉄の失業対策でできたらしいんですね」
戦後、旧国鉄時代に解雇された職員たちを救済する目的で、昭和25年に新梅田食道街はわずか18店舗で開業しました。その中の1つが「北京」なんです。
【兵動さん】
「ぼくね、さっき入ってくる時に、あれってなったんが、食道のどうって“道”なんですね。昔からなんですか?」
【斉木さん】
「最初の時から、先代(斉木信孝さん)が名付け親みたいなんですけど。一般的に食堂のどうはお堂の“堂”ですよね。ですけど『ここは色んなものを食べさせて、飲ませるお店が狭い通路を挟んでたくさんある、だから“道”なのだ』って」
【兵動さん】
「バカボンみたいな、『道なのだ』ってね。こちらのお店の先代というか、初代の方が付けた名前なんですね。すごいな」
【兵動さん】
「あの、創業当時からの食べ物ってありますの?続いてるもん」
【斉木さん】
「うちは『エッグ』っていうのが名物になってまして」
エッグとは卵を土鍋で熱し、味付けは塩だけという70年以上続くシンプルな逸品です。
【兵動さん】
「すごいなこれ、これ混ぜるんですか?」
【斉木さん】
「はい、底の方から白身と黄身を潰すような感じでかき混ぜていただいたら」
【兵動さん】
「めっちゃうまい。熱―いのでやってくれるから、自分好みの柔らかさにもなるし、ほんでだんだん固まってゆくねんけど、なんちゅったらええんやろ。色気あるな、料理に。ハイボール飲みたいわ~ほんまに。(と言いながらハイボールを出していただいて)むっちゃおいしい(ガッツポーズ)」
ちゃっかりハイボールを飲んでから、写真について聞きました。
【兵動さん】
「この場所分かります?」
【斉木さん】
「はい、ここの通路をまっすぐ出られたところです。ベルさんてここに書いてありますしね。こちら(左側)はスエヒロさんかな?ベルさんも、スエヒロさんも(今も営業している)」
【兵動さん】
「元気にやられてんねや」
■オープンしたばかりのホルモン屋さんで兵動さん知り合いに遭遇
教えてもらった写真の撮影場所に向かっていると…
【兵動さん】
「花出てるやん。『ホルモンこてつ』いうて、新しくオープンするお店もあんねん」
新梅田食道街に新しくオープンしたお店。せっかくなので話を聞いてみることにしました。
【兵動さん】
「ここの場所が良くって(オープンしたの)?」
【ホルモンこてつ 助永順義さん】
「そうですね。食道街でホルモン屋がなかったんで、ないことやりたいなというオーナーの意向がありまして」
【兵動さん】
「オーナー、どっかでおれ会うてるよね?」
【ホルモンこてつオーナー 長瀬雄一郎さん】
「お会いしたことあります。お父さんが同じく漫才師なんですよ。名前は長瀬です」
【兵動さん】
「ああ、分かった。『な、な、な、長瀬ちゃんです!』っていうことですよね。ザ・ぼんちのおさむ師匠の息子さんでございます。ここってどうなんですか、お客さんの層は?」
【長瀬さん】
「お客さんの層は、ぼくらはこの新梅田食道街という館自体に集客をしたいので、若い人向けのお店を積極的に作り出してるというか。2階も実はあって」
【兵動さん】
「ここ探検しているだけでべろんべろんなって帰れる」
【長瀬さん】
「そうなんですよ。一つで完結して楽しんで。年齢層もさまざま。できへん経験もここはできる場所なんで、新梅田食道街は」
■老舗ビフテキ「スエヒロ」で写真の場所を特定
店を出ると、写真に写るスエヒロを発見。2代目店主の辻さんによると、昭和26年に父親がこの店をオープンしたのだそうです。
【兵動さん】
「だんだんと思い出したけども、この前を通ってね、遊びに行ったり、なんやしてましたわ。スエヒロさん入ろう思うたらね、ある種、特別感ありましたもんね、昔」
【ビフテキ・欧風料理スエヒロ 辻弘さん(84)】
「昔はねちょっと入りにくいと。スエヒロはステーキの店で高いと。洋食屋さんも少なかったし、ステーキの店もなかった」
【兵動さん】
「これ昭和61年の写真ですわ。これスエヒロさんここで間違いないですね」
【辻さん】
「間違いないです。この場所で」
スエヒロの外に出てあらためて眺めてみると、
【兵動さん】
「あるわ、ベルさんも。見えるかな、(写真と同じ)このマーク。ベルさんね」
【兵動さん】
「じゃあ、いきましょう。はいチーズ」
「何回も来てることは来てます。ただ、なぜこういうところができたのかとか、今もバリバリみなさんがやられてるとか、2階あるとか、ほんまに楽しいことしかない場所というのが、あらためて再認識いたしました。というわけで、みなさんもどうでしょうか」
(関西テレビ「newsランナー」2023年5月12日放送)