■30年前に落語の世界に
落語家・林家竹丸さん(60)が、芸歴30年という節目を迎えました。
紫の和装に身を包み、寄席の舞台に立つ姿は、長年落語の世界で生きてきた人そのものです。
しかし、竹丸さんにはもう一つの顔がありました。
元NHK記者で、阪神・淡路大震災の取材者です。
この日、ちょうど30年前に落語の世界に入った同期と共に寄席に臨んだ竹丸さん。
節目の年を迎え、思い返すのは落語家になろうと決意した、ある出来事です。
■「落語家になりたい」と師匠に相談…「断られた」弟子入り
竹丸さんは、もともとNHKで記者をしていました。
しかし、忘れられなかったのが、神戸大学に通っていたころ打ち込んでいた落語でした。
思い切って「落語家になりたい」と、のちの師匠・林家染丸さんに相談をしに行ったのは、1995年1月のことです。
師匠となる染丸さんは、安定した職を捨てることを止めました。
弟子入りを断られた竹丸さん。 しかし、その3日後に、すべてが変わる出来事が起きたのです。
■阪神淡路大震災がきっかけで落語家の道に
地震発生の5時46分。竹丸さんは宝塚市の実家で被災しました。
記者として、取材に駆けつけた神戸・三宮。 そこで目にしたのは、変わり果てた街の姿でした。
そして、竹丸さんの心に深く刻まれたのは、若者たちの命が失われたという事実でした。
半年後、竹丸さんはNHKを辞め、落語家の道に進む決意を固めました。
【落語家・林家竹丸さん】「なんとか助かった命であれば自分が一番挑んでみたいと思う事は挑んでみるべきではないかと」
■30年間、語らなかった震災の記憶
それから30年間、竹丸さんは落語家として走り続けてきました。 しかし、記者として被災地で見た惨状を、あえて誰にも話すことはありませんでした。
身近な人を亡くしたわけでも、けがをしたわけでもなく、語るべきではないとすら思っていたのです。
その心境が変わったのは、ある出会いがきっかけでした。
【落語家・林家竹丸さん】「広島から来た中学生に、落語も聞いてもらうんですけど、震災のことを語る機会があって心境が変わったような気がします」
あれだけ口を閉ざしていた震災について、いざ語り始めると、思いがけず竹丸さんの中に使命感が芽生えました。
次は自分が語る番。そう思うようになりました。
■大学の講義で初めて学生に語った震災
竹丸さんは、京都芸術大学で伝統芸能について講師を務めています。 そこでも初めて、学生に震災のことを話しました。
【記者】「震災の話をいままで聞いたことはありました?」
【学生】「全く聞いたことなかったです。先生が語り継ぐみたいな話をしてくださるんですけど、落語もずっと語っていくものじゃないですか。物語というか、聞いて話すことって大事やなって」
■初めて訪れた追悼式典で…語ることを決意した31年目
今年の1月17日、竹丸さんは初めて追悼式典を訪れました。
竹丸さんは目を閉じ、静かに手を合わせました。
その目には、涙が光っていました。
【落語家・林家竹丸さん】「私のようにそれほど大きな被害を受けなかったものまで含めれば、もう本当に膨大な人の人生に影響を与えた災害でもありますし。 いままで震災を忘れてしまいたい、逃げたい気持ちもずっとあったけども、やっぱりそれでは駄目だなという気がしています。 自分のできることはしなくてはいけない。次の世代に災害に備えてもらうために」
震災との自分なりの向き合い方。語ることを決意した31年目です。
(関西テレビ「newsランナー」2026年1月20日放送)