「かけつける 友の住まいは 崩れ落ち 生き埋めの友 我は無力」夜間定時制高校生が紡いだ震災短歌 31文字に込められた31年前の記憶 短歌で生徒に寄り添い続けた79歳の元教師が捧げる「最後の仕事」 2026年01月19日
「震災で 止まった時間 今日からは 変えて見せるぞ 名に恥じぬよう」
神戸市内の夜間定時制高校で、作業着のまま机に向かい、懸命に言葉を紡ぐ生徒たち。
言葉を綴ることが決して得意ではなかった彼らが、なぜ震災の経験を短歌にしたのか。
阪神・淡路大震災から31年を迎える今、31文字に込められた記憶と、生徒たちに寄り添い続けた一人の教師の物語を追いました。
■ピアスに茶髪の生徒たち…「こんな学校では教えられへんわ」
南悟さん(79)は、33年間兵庫県の高校で国語教師として勤め、現在は大学や専門学校で非常勤講師をしています。
授業に取り入れてきたのが短歌。日常の風景や恋心、様々な題材を5・7・5・7・7の31文字で表現します。
大学生の頃に読んだ『万葉集』がきっかけで短歌に魅せられた南さん。
教員の道へ進み、全日制の高校で5年間教えた後、1979年に神戸工業高校の夜間定時制に赴任しました。
しかし、当初は夜間定時制の生徒たちに偏見を抱いていたといいます。
【南悟さん】「定時制神戸工業高校には、僕自身、偏見があった。最初は嫌やった。こんな学校では教えられへんわって」
生徒たちに「学ぶ気がない」と思っていた南さんですが、その考えは誤りだったとすぐに気がつきました。
■多くは複雑な家庭環境を抱え日々生活に追われていた
当時、夜間高校には神戸の工場や市場などで働く生徒が多くいました。
生徒たちは複雑な家庭環境などを抱え、日々生活に追われていたのです。
「懸命に生きる自分のことを言葉にしてほしい」と思い、南さんは生徒たちに短歌を教えました。
36年前、久保木くんという生徒が詠んだ短歌があります。
「工場の 昼なお暗き かたすみで 毎日むかう フライス盤」
いつも教室で騒ぎ、授業を全く聞かなかった彼が詠んだのは、薄暗い工場の中で黙々と部品を作る様子を綴った歌でした。
【南悟さん】「やったぁー!と思いました。それまで定時制の子は仕事のこと言わんといてって言うんですわ。なんでやと言ったら、『俺ら本当は、学生服を着て昼間の学校に行きたかった』と」
短歌を通して、南さんは生徒たちの本当の姿を知り始めました。
その矢先、阪神・淡路大震災が起きたのです。
■1995年1月17日 言葉を失った生徒たち
1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生しました。
西宮市にあった南さんの家は半壊しましたが、家族は無事でした。
しかし、学校へ行くと、生徒の多くが家族や友人を亡くしていました。
その後、再開した学校には、職を失い、震災の復旧工事の現場で働く生徒も大勢いましたが、誰も地震のことは口にしませんでした。
南さんは、そんな生徒たちを見て「震災の経験を短歌にすること」を提案したのです。
しかし、生徒たちからは胸ぐらをつかまれて「ええ加減にせえよ」との言葉を浴びせられるほどの厳しい反発にあいます。
■1年後に届いた短歌「我は無力」
震災から1年が過ぎた頃、ある男子生徒から短歌を受け取りました。
「かけつける 友の住まいは 崩れ落ち 生き埋めの友 我は無力」
その生徒が体験したのは、あまりにも辛い出来事でした。
【南悟さん】「『(友人の)お母さんが焼けた家の前で膝を抱えて泣き叫んでいた。(お母さんに)この家どうしたんやって聞くと、この子(友人)がここに埋まってんねん。がれきをかき分けると、埋まっていた友人の腕が見えた』と。
そんなつらい経験をしているんですよ。1年後に初めて語ってくれたんです」
1年の沈黙を経て、生徒は震災の記憶と向き合い、31文字に込めました。
■友人の死と葛藤「人の死を安易に話題にしてはいけないのでは」
南さんの教え子の、森本亜沙美さん(38)。震災当時は小学2年生でした。
【森本亜沙美さん】「とりあえず親に言われるまま逃げたという感じだったと思いますね」
避難したのは人で埋め尽くされた小学校。
混乱の中、森本さんはいつも遊んでいた2歳年上の友達の安否が気になっていました。
【森本亜沙美さん】「親からめぐみちゃんの家族は生き埋めになって、火が回ってきて、亡くなったらしいと後で聞きました」
めぐみちゃんが亡くなってから10年経っても、森本さんは誰にも震災当時の辛い気持ちを言うことができませんでした。
森本さんは神戸工業高校へ進み、そこで南さんに自分の気持ちを短歌にすることを勧められたのです。
【森本亜沙美さん】「私は自分の体験を書いたとは思います。ただ、めぐみちゃんのことは多分深くは触れなかったと思います。人の死を安易に書いてはいけないというか、話題にしてはいけないんじゃないかっていう」
葛藤の末、森本さんは短歌を完成させました。
「震災で 隣家の家族 がれき下 埋もれた声と 焼け野原」
【森本亜沙美さん】「誰かにこういうことがあってんっていう話ができたのは、良かったというか、心とか頭の隅っこにあったものを出せたのかなとは思います」
■教え子たちとの再会
南さんは定年退職した後も、大学などで短歌の授業を続けてきました。
しかし、2年前に脳出血で倒れ、半身麻痺になり、今までのように教壇に立つことが難しくなってきました。
教え子たちとは、今も定期的に連絡をとり合っています。
【森本亜沙美さん】「先生といえば短歌っていうイメージがやっぱりありますね。私はどんな生徒でしたか?」
【南悟さん】「なかなか難しい子でした。震災で辛いことは知ってるのに、なかなか短歌に残してくれないから、いつになったら本当の辛い気持ちを詠んでくれるんやろうと」
■未来へ繋ぐ31文字「神様から与えられた僕の仕事」
生徒たちが必死に紡いだ31文字。南さんにとって震災の記憶を語る、かけがえのないものです。
【南悟さん】「やっぱり夜間定時制高校生の値打ちをまだまだ紹介したいな。僕にできることはそれだなと思って、これは神様から与えられた僕の最後の仕事だと思っています」
震災から31年に寄せて、南さんが詠んだ短歌です。
「夜学生 詠み残せし 震災歌 未来を生きる 希望となれり」
阪神・淡路大震災から31年。懸命に言葉を紡いだ生徒たちの短歌は、今も震災の記憶を未来へと繋いでいます。
(関西テレビ「newsランナー」2026年1月13日放送)