日本で育まれてきた伝統の酒造り。麹菌の働きを巧みに利用した「日本酒」。
去年、ユネスコの無形文化遺産にも登録され、海外でも品評会が盛んに開かれるなど、世界中が注目しています。
今、そんな「伝統」を狙う動きが…。
【酒蔵で40年働く 丸山和則さん】「全然関係ない輸出関係の会社とか、中には中国系の人からの話もありました」
廃業危機に陥った、小さな酒蔵への「買収」話。
そこに立ちあがったのが、大手酒造メーカーのOBたち。
【夢酒蔵 大邊社長】【廃業寸前の酒蔵を買った“救世主”】「酒蔵経営は日本酒の事を知らないと難しい 日本の伝統文化の一つ なくなるのは寂しい いい酒を作らないと売れない」
伝統の味を守れ! 平均年齢65歳以上“おじいさんベンチャー企業“の挑戦を追いました。
■“唯一無二“の酒蔵が廃業の危機
滋賀県高島市、琵琶湖のほとりにある小さな酒蔵。1877年(明治10年)創業の吉田酒造です。
年に1度の蔵開き、新酒のお披露目には、根強いファンが訪れ、出来栄えを楽しみます。
時代に迎合せず、漁師町ならではの“濃い味わい”が特徴。“唯一無二“の酒蔵として知られてきました。
【蔵開きに参加した人】「地酒風というか、昔ながらの味がいい」
しかし、コロナ禍で資金繰りが悪化したことなどもあり、3年前には廃業の危機にありました。
「潰れるなら売ってほしい」
吉田酒造には、M&A、買収の話が数多く持ち込まれました。
【吉田酒造4代目 吉田肇さん(64)】「醸造機械の会社とか、中国の方とか。日本酒ブームやからもうかる。おすし、はやってるから、日本酒は対だから。ビジネスやからね」
■「自分でやってみよう」 京都の大手酒造メーカー元取締役が立ち上がる
得体の知れない会社も多い中、酒蔵の再建を託して頼ったのが…。
大邊誠さん(62)。京都の大手酒造メーカー・月桂冠の元取締役です。
【月桂冠OB(元取締役) 大邊誠さん(62)】「前の大手酒蔵(月桂冠)にいた時に、『吉田酒造を買いませんか』という話がきた。(M&A)担当だったのでお断りした。月桂冠にしたら、こんな小さな酒蔵を持っても意味ない。ただ、この酒蔵断って、誰かが買うのかな、なくなるのはもったいないなと。私も60歳で節目だった。自分でやってみようと思ったのが始まり」
大邊さんは定年を待たずに月桂冠を退職。株式会社「夢酒蔵」を起業し、吉田酒造を買収したのです。
■様々な経験持つ平均年齢65歳越えの“おじいさんベンチャー”
「夢酒蔵」の仲間は、すでに定年を迎えた月桂冠OBの先輩たち。
流暢な英語で接客するのは…。
【元月桂冠USA副社長 松本広司さん(63)】「月桂冠USAに6年。副社長で営業担当をやっていた」
【子ども】「何食べた?朝ごはん」
【さらさちゃん】「カレーライスやで」
着ぐるみで愛嬌を振りまくのは、月桂冠では営業一筋の取締役・嶋川賢一さん(68)でした。
他にも杜氏を50年務めあげた上野義夫さん(73)、鈴木英夫さん(69)という職人たちも。
様々な経験を持つ人材が、平均年齢65歳越えの“おじいさんベンチャー”にはそろっています。
■『お酒の仕事がしたい』 役職関係なく皆で酒を造る
「夢酒蔵」は、「吉田酒造の伝統を守るために再建する」。かつての役職は関係なく、皆で酒を作ります。
使う米や水、酵母はこれまで通り、看板の「竹生嶋」のブランドを守ります。
【夢酒蔵 大邊誠社長】「チームワークが酒の味に出ます。みんなでいい酒、造ろうと思っているのが、いい酒になる。ことし非常に良くなっているので、期待してます」
大邊さんを突き動かしているもの。それは、取締役まで出世しても、心残りがあったサラリーマン生活にありました。
【夢酒蔵 大邊誠社長】「日本酒が好きで酒蔵に入社したが、途中から、お酒に関わる仕事ではなく、経理、人事、不動産取引、M&Aとか、本業以外の仕事をずっとやっていた。60歳手前で、『お酒の仕事がしたい』というのがまずあって。サラリー(給料)だけじゃなくて、やりたいことやる。私これ以上、年取ったらできない。最後の最後にワガママ言ってる」
■社長が“髪の毛伸ばして”営業 売り上げは右肩上がり
造る以外にも、酒蔵再建に欠かせないのが営業。知名度はまだまだ!自ら売り込んでいきます。
【夢酒蔵 大邊誠社長】「お酒の提案を、『新しい商品どうですか』ってお願いする」
「夢酒蔵」を始めてからは、髪を伸ばしています。
【夢酒蔵 大邊誠社長】「目立つように!名前覚えてもらわないといけない。これにしていると覚えてもらえる」
【夢酒蔵 大邊誠社長】「この冬作った、純米酒の生貯蔵酒です」
【西口酒店 西口泰司さん】「こっちうまい」
【夢酒蔵 大邊誠社長】「吟醸ですもん」
吉田酒造に関わるようになって3年。徐々に新たな取引先も増え、売り上げは年々、伸びています。
■京都府綾部市の酒蔵 狙われる酒蔵が持つ「免許」
大邊さんが去年から再建を手掛け始めたのが、1920年創業の若宮酒造。京都府綾部市で唯一の酒蔵です。
若宮酒造は去年3月、杜氏兼社長の木内康雄さんが不慮の事故で亡くなり、酒造りができなくなっていました。
「綾部」の一文字をとった、「綾小町」で親しまれてきた若宮酒造。
突然、大黒柱を失い、廃業するしかない状況になると、ここでも、次から次へと買収が持ちかけられました。
【若宮酒造で40年働く 丸山和則元専務(76)】「全然関係ない、輸出関係の会社とか、ウイスキー作っている会社も、中には中国系の人からの話もありました。どうされるか分からないので、そういう会社が来られたら」
廃業の危機にある酒蔵を買収しようとする動きが活発なわけ、それは、日本酒作りの免許を新たに取得するのが困難なため、酒蔵が持つ「免許」が狙いとも言えるのです。
【夢酒蔵 大邊誠社長】「転売も当然考えて買われる方もおられると思う。酒造の免許はそれなりに価値がある。私らは、買うのが目的じゃない。残ってもらいたい酒蔵を我々が選んで継承。銘柄を残したいのが、私たちの意図」
その熱い思いが伝わりました。
【若宮酒造で40年働く 丸山和則元専務(76)】「夢酒蔵を選んだのは、大邊社長の人柄。こちらの話じっくり聞いていただいて。(亡くなった)前社長のお父さんと話をされて、意見を聞いたりしていただいて」
■杜氏歴50年の経験頼りに初めての酒造り
去年11月にM&Aが成立し、夢酒蔵が若宮酒造の伝統を引き継ぐ、初めての酒造りです。
日々変わる、蔵の気温。
中心となる上野さんが、月桂冠での杜氏歴50年の経験を頼りに、先代の味に近づくよう発酵をコントロールしていきます。
【夢酒蔵 上野義夫 杜氏(73)】「勘ですよ。見た感じで分かってきます」
【夢酒蔵 上野義夫 杜氏(73)】「去年とどう変わるかはね、ただおいしいお酒を造りたい。負けないように、先代には恥じぬように」
亡くなった木内社長の妻、昌子さんは…。
【故・木内康雄社長の妻 木内昌子さん】「何よりもうれしいです。若宮酒造と綾小町の名前が残るということで、亡くなった主人も喜んでいると思います」
【夢酒蔵 大邊誠社長】「社長がやっておられた蔵で、同じコメ、水、酵母使って、思いはこの蔵に残ってますからね」
■地域の誇り “地方の小さな酒蔵”を続ける意味
5月、新生・若宮酒造の蔵開き。
廃業の危機を乗り越え、ことしの新酒が並べられました。
【蔵開きに参加した人】「かんぱ~い!」
【蔵開きに参加した人】「おいしい!」
【蔵開きに参加した人】「うん!からい!おいしい」
【夢酒蔵 大邊誠社長】「蔵のご案内は、杜氏の上野と鈴木がさせていただきます」
地域密着、“地方の小さな酒蔵”がこれからも続くことの意味。
【綾部市民】「誇りに思いますし、うれしい。 おいしいお酒が飲めるのは」
【綾部市民】「やっぱりここの酒はうまい!綾小町や」
【夢酒蔵 大邊誠社長】「地元に愛される蔵、目指してます。よろしくお願いします」
その酒蔵でしか出せない味を造り続ける。 当たり前のことが難しくなった時代に、“いい酒“を未来に残す「夢」は、はじまったばかりです。
(関西テレビ「newsランナー」2025年6月10日放送)