乗客106人と運転士が亡くなったJR福知山線脱線事故からまもなく20年。 およそ5カ月生死の境をさまよい、一命をとりとめた女性。
母親と二人三脚、記憶の障害と闘いながら見つけた希望とは。
■「なんで車椅子なのか、障害者なのか、分からない」 事故で当たり前の日常が一変
30歳の春。当たり前の日常が一変。
「99%助からない」…余命宣告を受けて20年。伝えたいことがあります。
鈴木順子さん(50)。兵庫県西宮市で母親のもも子さん(77)と2人で暮らしています。
【鈴木順子さん】「トイレの前の貼り紙」
【張り紙】「ジュンコは電車の事故で体が不自由になりました 40サイ」
トイレの扉には張り紙がしてありました。
【鈴木順子さん】「電車が事故をするという事実が、私には受け入れられないんですよ。線路の上を走ってるのに。これを見ないと、記憶をとどめられないので、自分が何で今、車椅子に乗っているか、障害者なのか、分からない状態です」
■事故の後遺症で“大切なこと”を忘れてしまう
事故の後遺症で高次脳機能障害を負い、大切な記憶がなくなることがあります。
【鈴木順子さん】「『父親の方に似てる』って言われることはよくありますけれど、『母に似てる』って言われたことはそれほどないですね」
【順子さんの母・もも子さん】「お父さんも(5年前に)亡くなったしね」
はっと口に手をあてる順子さん。
【順子さんの母・もも子さん】「あんな顔するんですよ。『お父さん亡くなった』って言ったら、『あっ いない。そういえば』っていうので。一番忘れてはあかんことではあるけど」
【鈴木順子さん】「見当たれへん。見かけへん」
■大破した車両から救出された 余命宣告から奇跡の生還
20年前の4月25日、快速列車が猛スピードでカーブに突入し、曲がり切れずに脱線。乗客106人と運転士が亡くなりました。
順子さんが乗っていたのは2両目。くの字に曲がって大破し、犠牲者が最も多かった車両です。
5時間半後、救出されたときは意識不明。口の中にはガラスの破片が詰まっていました。そして、脳にも大きな損傷がありました。
【順子さんの母・もも子さん】「意識も、その時なかったから、(医師から)『これだけ脳が腫れていたら、何日かです』って」
余命宣告を受けながらも、5カ月後、奇跡的に意識を取り戻しました。
■自由に動かせない体 壮絶なリハビリを乗り越え 初めて記した「ありがとう」
しかし、思うように動かないからだ。リハビリは壮絶なものでした。
事故から11カ月後、退院。震える手でペンを握り、初めて記した言葉があります。
「ありがとう」
【順子さんの母・もも子さん】「『ありがとう』があの子の口癖ですね。何でそんなに言うのって言ったら、『言うといたら罪ないやん、簡単やん』っていう言い方をするんですけどね」
順子さんが食器を洗うため、キッチンに立ちました。
【鈴木順子さん】「もたれとくから」
【順子さんの母・もも子さん】「もたれとくの?私に」
【鈴木順子さん】「(お母さんに)言うてへん、シンクに」
ももこさんが体を支えようとしますが…。
【鈴木順子さん】「そんなんしてくれんでも大丈夫やで」
【順子さんの母・もも子さん】「じゃあ私(車椅子に)座っとこうかな」
傷は癒えても、もう体は自由に動かせません。
【鈴木順子さん】「ちょっと私の車椅子から退いてください」
【順子さんの母・もも子さん】「私がずっと乗っときたいわ」
【鈴木順子さん】「乗っときたいけど、一応持ち主は私です」
【順子さんの母・もも子さん】「あなたの自家用車、はい、ご苦労様でした」
食事を準備するもも子さんに話しかけます。
【鈴木順子さん】「そろそろ春が来ますね」
【順子さんの母・もも子さん】「そうですよ。何する春が来たら?順ちゃんに春が来るんでしょ?」
【鈴木順子さん】「来るのかしら?」
【順子さんの母・もも子さん】「あんたの春が来るんやで」
■才能を形に残したい 陶芸に思いを込める
【順子さんの母・もも子さん】「かばんの中を開いたら、こういうのが出てきたんで、これはすごいなあと思って」
幼いころから好きだった絵。
会社を辞めて、イラストレーターとして活躍する夢に向け、学びに行くために乗ったのが、あの電車でした。
【順子さんの母・もも子さん】「結構、色んな所で(芸術の才能は)認められていたなとは思って、それがなくなることが、私はすごくショックだった。あの才能はどこへいくんかなと思って」
事故でついえた娘の夢。それでも、芸術で思いを形に残したい。
模索を続けた母。見つけたのが陶芸でした。
麻痺が残る体で土と向き合う日々。思いを込めて作品を作り上げていきました。
(Q.ハートに込めた思いはあるんですか?)
【鈴木順子さん】「優しい女になりたい(笑)。優しくないですから、私。かなり優しくない、全然優しくないので。もうちょっと温かい人間になるべきやなぁって感じてるんです」
【順子さんの母・もも子さん】「母親がきつかったので(笑)」
(Q.2人とも優しいと思いますが)
【順子さんの母・もも子さん】「私がですか?今だけですよ。もうみんな分かってます(笑)」
■母と娘の新たな夢
陶芸作家として作品展を開く…2人にできた新たな夢。
事故から20年、節目の4月に実現することになりました。
無心でつくり上げる器。最後に名前を刻みます。
【鈴木順子さん】「私が衰えて、記憶がなくなったとしても、名前を書いていれば確実です」
■命をつないだ人たちへ「ありがとう」 作品展を開催
初めての作品展。時間はかかったけれど、この日のためにおよそ150の作品を仕上げました。
作品展のタイトルは「Resilience~しなやかな回復~」。
母・もも子さんが考えました。 消え入りそうだった命。かすかな光を手繰り寄せ、しなやかに回復した順子さんへの思いが込められています。
【鈴木順子さん】「作った記憶はなくなっているけれど、物があるということは、作ったんですね。一応作品にはなっていますけど、ごみにならなくて良かったです」
【当時の看護師】「きれい、きれい。これね、よう頑張ってるわ」
【鈴木順子さん】「ありがとうございます」
【当時の看護師】「背中曲がったし、歳とりましたよ。あれから20年ですもんね」
【鈴木順子さん】「ほんとに考えられない」
【当時の看護師】「私もしんどいわ、まぁ頑張ってね。良かった良かった。きょう来さしてもらってありがとうね」
【鈴木順子さん】「ありがとうございます」
順子さんの命をつないだ人たちも次々と訪れました。
思い入れのあるハートは、時計になりました。
支えてくれた人たちへ。20年間ありがとう。
【鈴木順子さん】「産んでくれて、ありがとうございます」
【順子さんの母・もも子さん】「生きてくれてありがとうございます」
【順子さん】「ありがとうございます」
【順子さんの母・もも子さん】「生きていてよかったな、私ももうちょっと頑張る。頑張って、順ちゃんのお世話をさせていただくわ。生きがいですわ。幸せやな」
あの日、電車に乗らなければあったはずの未来。でも、時間は巻き戻せないから。
希望を手放さなかった母と娘。辿り着いた場所がありました。
(関西テレビ「newsランナー」2025年4月22日放送)