アスベスト工場で働いて健康被害を受けた元労働者の遺族が損害賠償を求めて国を訴えたものの、1審の大阪地裁が「不法な行為があってから20年経つと賠償が求められなくなる」という「除斥期間」が過ぎていることを理由に、遺族の請求を退けた裁判で、2審の大阪高裁は逆転して国に賠償を命じました。
■「泉南アスベスト訴訟」きっかけに救済制度ができる
建設現場や建物の防火材や断熱材として使用されてきたアスベストは、中皮腫や肺がんなど肺に重い病気を引き起こすことがわかり、現在では使用が禁止されています。
日本では国の規制が遅れ、病気になった人たちが裁判に訴え、大阪府泉南地域のアスベスト工場で健康被害を受けた人に対し、2014年、最高裁判所が国の責任を認めました。
この最高裁判決のあと、一定の条件を満たしたアスベスト工場の元労働者や遺族が裁判を起こした場合、和解手続きを経て、国が賠償金を支払うという救済制度ができています。
■「不法な行為があってから20年」経つと損害賠償求められない「除斥期間」
なお法律では、損害賠償を求めることができるのは、「不法な行為があったと知ってから20年以内」という「除斥期間」が定められていて、このアスベストの救済制度でも、「提訴の時期が損害賠償請求権の期間内」、つまり「除斥期間の20年が過ぎていないこと」という条件が含まれています。
国などはこの救済制度で「除斥期間」の算出が「いつから始まるか」について、「公的にアスベストによる健康被害であると認定された日から」とする解釈に基づいて対応してきました。
■アスベストによる「じん肺」で賠償請求も”賠償求められる期間が過ぎた”と国側争う
訴えなどによると、石綿セメント管の製造作業をしていた原告の男性は、アスベストの粉じんを吸ったことによって、肺の組織が固くなって呼吸困難などを引き起こす「じん肺」と2000年5月30日に労働局から認定されました。 男性はこの救済制度に基づき賠償を求めようと、2020年5月8日、国に対しておよそ600万円の損害賠償を求める裁判を起こしていました。
提訴後、原告は死亡したことから、遺族2人が裁判を引き継いでいました。
しかし、国は裁判の中で「除斥期間」が始まるのは、「健康診断で症状が分かった日から」という解釈を示し、裁判が起こされたのは、「症状がわかった日から20年が経過しており、原告の権利は消滅している」として和解に応じませんでした。
裁判はそのまま争われ、おととし12月の判決で、1審の大阪地裁(達野ゆき裁判長)は、「健康診断の日にじん肺が発症していたと認められる」として、国が主張した除斥期間の適用を認め、遺族たちの請求を退けていました。
遺族側の弁護士は、この「除斥期間」の解釈の変更について、国が別のアスベストによる健康被害をめぐる裁判で、「損害賠償の利息に当たる遅延損害金はいつを起点に計算すべきか」と争われた結果、国が主張した「労災認定された日」ではなく、それ以前の「肺がんと診断された日」までさかのぼって認めた判決を受けたものだと指摘。 「国が取り扱いをこそっと変えたことが一番の問題。
国の姑息なやり方が許せない」とコメントしていました。
■国が主張の根拠とした判決はと事案異なると高裁が指摘 原告の逆転勝訴を言い渡す
そして遺族たちは、1審の判決を不服として控訴し、17日、大阪高等裁判所で2審の判決を迎えていました。
大阪高裁は判決で、「除斥期間」がいつから始まるか、について、「死亡した原告の男性が『じん肺』と労働局から認定されたときからとするのが相当」であると判断。 国側の「診断された日から始まる」とした主張については、根拠となった別の裁判の判決は、肺がんについて争われたもので、「診断方法や進行についての医学的知見がある程度確立している肺がんと、病状の進行等が現在の医学では確定できないじん肺とは異なる」などとして、事案が違うというべきと指摘しました。
そして国に対し、逆転して遺族への賠償を命じました。 原告側の弁護団は判決について次のようにコメントしています。
「除斥期間について、国が都合よく手続きを変える。手続きを私たち、被害者や原告団・弁護団に何ら告知することなく、秘密裏に、官報にも載せず、何もせずに変えて、急に(除斥期間に関する新たな解釈を)出したということが非常に問題点だと考えています。それが正常に戻ったということで、この判決には大きな意義がある」