17日で30年となる阪神・淡路大震災。
追悼行事の準備が進む中、天皇皇后両陛下が神戸入りされました。
30年前にも被災地に入られていた両陛下、当時を知る人がそのエピソードを語りました。
神戸市の東遊園地では阪神・淡路大震災が発生した1月17日の午前5時46分に合わせ毎年、追悼の集いが開かれています。
会場では集いで灯される竹灯籠を準備。
およそ2500本の竹灯籠を並べる作業が進んでいます。
公募の中から選定された今年の言葉は「よりそう」。
およそ4000枚の紙灯篭で作り出されます。
【参加したボランティア】「小学校の教師を目指していて、防災について学ぼうと思っていて、こういう活動を通して未来の子どもたちに防災の大切さを伝えていけたらなと思ってこの活動に参加しました」
【参加したボランティア】「出来るだけ風化させないように来年、再来年と出来る限り参加していきたい」
■被災者ひとりひとりに言葉をかけられた当時皇太子夫妻の両陛下
震災の日を前に16日午前には、天皇皇后両陛下が神戸に到着され、沿道では大勢の市民が出迎えました。
【震災を経験した人】「やっぱり私たちに寄り添って下さってるんだなという感じがあある」
【震災を経験した人】「目の前で見られて温かい気持ちにさせていただきました」
などと話しました。 1995年2月、当時皇太子ご夫妻だった両陛下は、地震発生直後の被災地を訪れていました。
当時、兵庫県側の事務方の責任者で、のちに兵庫県の初代・防災監や副知事も務めた斎藤富雄さんはこのご訪問が「異例づくめ」だったと振り返ります。
【元兵庫県副知事 斎藤富雄さん】「避難所ではおひとりおひとり丁寧にお言葉をおかけになる。時間がないからと言って飛ばして退出されることはなかったんですね。したがって、私どもが予定している滞在時間をはるかに超えて滞在されるという事態が起きましたので、次の会場へご案内するのに焦った記憶もございますね」
■子どもの差し出したノートに「がんばってください」と綴られた陛下
当時、避難所となった体育館を訪れた両陛下は、家を失った市民たちが寝泊まりする冷たい床に座って、1人1人に寄り添うように励まされました。
避難所の子どもが1冊のノートを差し出すと、陛下はこんなメッセージを書き残されました。
【天皇陛下の手書きのメッセージ】「がんばってください」
斎藤さんによると、移動の際は被災していない地域で調達したバスで同行の職員らと共に移動されたり、食事も被災者と同じコンビニ弁当のような簡素なものをお召し上がりになったりするなど、被災地への負担を極力なくすよう配慮されたといいます。
【斎藤富雄さん(元兵庫県副知事)】「被災者の人たちの安心感というか、被災者は一人ではないと、皆さんが共有していただいていると感じたひとつでもありますね」
両陛下はその後も、震災1年、5年、15年と、たびたび追悼式典に出席されました。
■30年の被災地の歩みと教訓を視察された両陛下
そして16日再び神戸に入られた両陛下は、「兵庫県立兵庫津(ひょうごのつ)ミュージアム」で震災の経験や教訓を伝える展示を視察し、地元の関係者と交流されました。
両陛下は、17日午前中から阪神・淡路大震災から30年の追悼式典に出席し、被災地支援に取り組む高校生と交流される予定です。
「newsランナー」にコメンテーターとして出演した俳優・大東俊介さんは、当時8歳で 大阪府堺市で地震を経験した時の記憶を「朝、地震で目覚めてテレビをつけた時の映像が衝撃的で、ものすごく怖かった。家の周りの大人たち、お店やご飯屋さんをやってるおじちゃん、おばちゃんが週末になると『被災地に炊き出しにいくねん』と言ってる、その人たちの姿をみて震災を記憶しています」と振り返りました。
地震が発生した時刻の午前5時46分には、神戸市の東遊園地など、被災地各地で追悼の行事が行われます。
(関西テレビ「newsランナー」2025年1月16日)