■後に続く人たちのことを考えたら
去年、乳がんの一つである「浸潤性小葉がん」にかかったことを公表した、モデル・タレントの梅宮アンナさん。 その発覚の経緯や、闘病生活の苦悩を番組で何度も共演してきたハイヒール・リンゴさんが話を聞きました。
■がんになって一変した生活
【ハイヒール・リンゴさん】「朝、何時に起きるとか大体決まってる?」
【梅宮アンナさん】「朝だいたい3時半。早寝早起きなんですよ。ガンになって一変するんですよ。いろんなことが。次の日がどうなるかわからない状態。この病気は疲れるって言われてます。仕事もしているんで、変わらずできることはやって、忙しくしています。頭も体も。ベッドで昼までゆっくり寝ていようと思うと、体が痛くなってくる」
■右と左で「おっぱいのサイズが違う…」
今でこそ明るく話しているアンナさんですが、病気が発覚したきっかけは、信じられないほどの体の変化だったそうで…
【梅宮アンナさん】「5月に自分の体を鏡で見たら、あれ?っていうぐらい右と左のおっぱいのサイズが違ってたんですよ。昨日の自分の胸と違う」
【ハイヒール・リンゴさん】「24時間以内にってこと?」
【梅宮アンナさん】「徐々にじゃないんですよね。明らかに、昨日見た自分のおっぱいと違うんですよ。だから私の更年期障害ってこういうことなんだって感じだったんですね。 娘がアメリカにいるので、『おっぱいのサイズが違うの』って言ったら、娘が『は?ママ写真撮ってよ』って言われて、撮って送ったら、『これは明らかに異常だから、すぐ病院に行った方がいい』って娘に言われ、病院に行きました」
■診断が出るまでに1カ月要した
検診では、エコー、マンモグラフィを受けたアンナさん。
マンモグラフィは5、6回受け、それでも分からなかったため、細胞診をしたという。
【梅宮アンナさん】「何が起きたんだろうと思って、結局それでもちゃんとしたことがわからなかったんですね。(細胞診では)通常2カ所取るところを、多めに先生が『4カ所取りましょう』って言って、4カ所を取った結果、『乳がんです』と言われたのが、だいたい7月ぐらいなんですね。(結果が判明するまでに)1カ月くらいかかりました」
乳がんが発覚し、ステージ0から4まである中の3Aという診断に。
■「抗がん剤半年もかかるんですか?手術が先じゃないんですか?」
がんを宣告された当時の心境は…
【ハイヒール・リンゴさん】「性格はポジティブ派?ネガティブ派?」
【梅宮アンナさん】「両方持ってます。最悪な事態をいつも想定してるのは、確実に持ってる。違いましたよって言われた時に倍喜べるから」
【ハイヒール・リンゴさん】「ポジティブやな」
【梅宮アンナさん】「そっか」
【ハイヒール・リンゴさん】「治療が始まるときに怖さは?」
【梅宮アンナさん】「内容を聞いたときにちょっとビビったというか。ステージ3Aだったので。先生に『フルコースで、抗がん剤で2種類の抗がん剤をやります。まず抗がん剤、半年です』って言われた時に、一番ショックだった。 抗がん剤半年もかかるんですか?手術が先じゃないんですか?と(先生に)言ったら、『梅宮さんはがんが大きすぎて取れない』って言われて。『半年間、がんを叩いて、弱らせてから手術』って言われた時にもう一刻も早く取ってほしいって思ったんですよね」
■梅宮アンナさんが取り組んだ治療は健康保険適用の「標準治療」
そして、まずアンナさんが取り組んだのが、抗がん剤治療。
待っていたのは想像を絶するほどの過酷な日々でした。
【ハイヒール・リンゴさん】「治療としては?」
【梅宮アンナさん】「私は標準治療をしています。わかりやすく言うと、保険治療ですよね」
【ハイヒール・リンゴさん】「標準治療って聞くと、松竹梅でいうと、竹のイメージなのよ。そういうイメージじゃないのよね」
■「ハードコース」だったという治療
【梅宮アンナさん】「私がやったのはハードコースだったんです。使う薬が正直毒なんですよね」
【ハイヒール・リンゴさん】「毒を持って毒を制するという意味の毒ね」
【梅宮アンナさん】「『抗がん剤投与中に動かないでください』って言われて。動いたらどうなるんですか?って言ったら、動いたら血管から漏れて皮膚移植になりますって言われて。それぐらいきついもの。 抗がん剤→抗がん剤→手術→放射線→ホルモン治療となってくるんですけど」
【ハイヒール・リンゴさん】「フルコースやな」
【梅宮アンナさん】「フルコースなんです。私は。それが標準治療です。うちの父も50年前に肺がんで、同じ病院なんですね。それも縁があるかなと思って」
【ハイヒール・リンゴさん】「ポジティブ!」
■抗がん剤で髪の毛がなくなることが受け入れられず…
さらに、抗がん剤治療は身体的な過酷さだけでなく、精神的にも…
【梅宮アンナさん】「抗がん剤で髪の毛がなくなるって聞いてすごい嫌で。『抗がん剤をやりたくないという気持ちもある。治療しなかったらぶっちゃけ死ぬの?私』と先生に聞いたんですよ。先生は冷静に、『それは分かりません。でも治そうという気持ちが(病気を)治していく』って言われて。それで分かったと思って。 唯一、髪の毛がなくなることを泣いてた時間は長かったですね。ショックでショックで。先生、私の抗がん剤は絶対髪の毛なくなるの?って言ったら、『なくなります』って言うから。でも世界にたった一人なくならない人がいるかもしれないじゃないですか?って食いついて」
【ハイヒール・リンゴさん】「食いつきすぎ」
■追求したのは「髪の毛がなくなってても(以前と見た目が)変わらない感じ」
【梅宮アンナさん】「髪の毛がなくなると覚悟して、その日からウィッグ探しが始まって」
【ハイヒール・リンゴさん】「ほんまに行動的よね」
【梅宮アンナさん】「乳がんは耐えられる人にしかならないかもと思っちゃったんですよ」
【ハイヒール・リンゴさん】「ポジティブですよ。髪の毛は色染めている?」
【梅宮アンナさん】「私は(髪の毛の色は)もともと真っ黒なんですね。明るい色が好きで、ずっとブリーチをして、生きてきたんですけど。ウィッグで激しい色はないんですよ。ブロンドのようなものは日本で見つけるのは難しい。私が追求したかったのは、髪の毛がなくなってても(以前と見た目が)変わらない感じ。ちゃんとしたウィッグは、地肌もリアルさが出ているんですね」
【ハイヒール・リンゴさん】「私、実はウィッグを作っているところなんです。自分の髪の毛で。歳を重ねた時用のウィッグ。黒のウィッグにしようと思ったら2回やらなきゃいけなくて、あと3年かかる。生きてるかなーって」
■あの時が一番人生で、私は死ぬかもと思った…
乳がんが発覚後、半年の抗がん剤治療を経て、ようやく手術を行うことになったアンナさんでしたが、まだまだ試練が待ち受けていました。
【梅宮アンナさん】「前半の抗がん剤が終わって、全部クリアした時に肺炎になっちゃったんで。あの時が一番人生で、私は死ぬかもと思った。呼吸ができなくて。(酸素)マスクとかされて。結構な貧血状態だったんで。抗がん剤やっ て。輸血までやって。死ぬのかなぁって思って」
【ハイヒール・リンゴさん】「いっぱい管を付けられて、怖くなかったですか?」
【梅宮アンナさん】「怖さはなかったんですけど。緊急入院して2週間入院して、その時に手術の日を言われて。(抗がん剤治療を)前半頑張ったんで」
■右胸の摘出手術後、乳房再建を選ばなかった理由
抗がん剤治療を経て、右胸の摘出を行うことになったアンナさんでしたが…
【梅宮アンナさん】「正直なところ、女性の象徴である胸。胸取りたくないとか、胸を温存するって言って喜んだりとか、いろんな方がいると思うんだけど、私さっさと切ってくださいみたいな感じで、いらなかったんです。好きじゃないんです。自分のおっぱい。好きですか?自分のおっぱい?」
【ハイヒール・リンゴさん】「好きか嫌いかで言うと、好きかな」
【梅宮アンナさん】「すごーい」
【ハイヒール・リンゴさん】「乳房再建もしてないんですか?」
【梅宮アンナさん】「再建も望んでなくて、例えば 結婚前に言われてたら多分違ってたかなと思うんですね。若いうちはやっぱり子供を産んでとか、結婚というものがあるかもしれないけども、私のために胸を残すかって言ったらもう別にいらないよねって思って」
【ハイヒール・リンゴさん】「男前~!」
■がんを公表した理由
芸能界では、がんになったことを公表しない方もいる中、アンナさんは自らSNSで発信し続けています。
どうして闘病生活をさらけ出すのか、その理由を教えてくれました。
【梅宮アンナさん】「もう私としては、今まで30年このお仕事この世界にいて。思い返すと同じ仕事をやっていてビューティーとかファッションとか聞かれることがすごい 飽きてて。 私(仕事)辞めようかなってここ数年思ってたんですね。
父が亡くなった時にもね。 (乳がんを)受け入れるのにちょっと10日ぐらいかかったんですよね。最初ピンと来なくて。ちょっとずつ悲しんだり、泣いたり、どうしようとかって。
次に先生に会った時に『私やっぱりちゃんと公表しようと思います』と伝えた。
なぜならば、もう今までのお仕事はいいんです。それよりも新しいこのがんの世界に入って自分の経験したこと、この後に続く人たちのことを考えたら。
私は『梅宮アンナがステージ3Aなんだって。リンパにも転移してるんだって。』ってみんなが聞いたときに、『私、ステージ2・1だもん』っていう人が希望を持ってたらいいなと思った。
『とれたてっ!』に出演させていただいてるのも、私がこの病気にならなかったら、なかったことだし」
【ハイヒール・リンゴさん】「ポジティブですよ」
■山登りを再開したい。富士山は「一合目から登る」
まだまだこれからも抗がん剤など治療は続きますが、今後の夢を伺いました。
【梅宮アンナさん】「山登りが趣味なんですね。2010年から2017年までトレイルランをやってるんですよ」
【ハイヒール・リンゴさん】「走れメロスみたいなことでしょ?」
【梅宮アンナさん】「砂漠とかにも行ってるんですよ。一週間250キロを自給自足で行く大会とか」
【ハイヒール・リンゴさん】「今はまだ無理?」
【梅宮アンナさん】「腕の長さが違いますもん。リンパ節を切ってるんで、一本の線を切っちゃってるから、これをつなげているから、どうしてもつられますよね。リハビリをしたりジムに行ったりして伸びていく。」
【ハイヒール・リンゴさん】「それが人間の体のすごさですね」
【梅宮アンナさん】「走るっていうか山登りかな。もう走るのはきついんで。登った人にしか見えない風景があって山っていうのは」
【ハイヒール・リンゴさん】「富士山登ったことある?」
【梅宮アンナさん】「はい、あります。私は1合目から登っています。すごいんですよー私」
【ハイヒール・リンゴさん】「8合目まで水を運ぶトラックであげてくれへんかなー。死ぬまでに一回富士山行ってみたいと思ってるんやけど行けてない」
【梅宮アンナさん】「1合目から行ったほうがいいと思います」
【ハイヒール・リンゴさん】「行きません」
【梅宮アンナさん】「なんで1合目からかっていうと、気圧に体が慣れるから。5合目からだと泣く泣く8合目から下山している人多いですよ」
【ハイヒール・リンゴさん】「1合目から行きます」
■60代以降でも乳がん患者は増加。閉経は関係ない
【関西テレビ・加藤さゆり報道デスク】「乳がんになられる方は、女性ホルモンが10代のうちからどんどん蓄積されていって、それがあふれるのがちょうど40代ぐらいなんですよ。40代からぐっと(罹患率)が上がってきますし、梅宮さんも50代で乳がんになられたということですけれども、実は60代以降の方も乳がんになる方が増えていて、年齢は関係ないんです。閉経も関係ないんですね」
【ハイヒール・リンゴさん】「歳を重ねても検査に行くべきですよね。(歳を重ねると)乳腺が柔らかくなって、検査しやすくなっている。梅宮さんは検査をされていたんです。ただ彼女の場合は分かりにくい場所にできていて、(検査では)うつらなかったそうです」
インタビューの最後まで「ポジティブ」な姿を見せてくれた梅宮アンナさん。
SNSなどを通じて発信される梅宮さんの情報を通じて、恐れるだけでなく、この病気への知識と理解を深めたい。
(関西テレビ「旬感LIVE とれたてっ!2025年1月6日放送)