兵庫県明石市が主催する花火大会で、11人が死亡した歩道橋事故からまもなく23年です。
我が子を失った父親が、事故を知らない世代の職員たちに願いを語りました。
兵庫県明石市にある歩道橋。
19日朝、ここで明石市の職員に研修を行った男性がいます。
【下村誠治さん】「ここが現場になります。うちの子はこの前で亡くなったんですけど。ここから3mぐらいこの間で横で11人の方が亡くなってしまった」
下村誠治さん(66)23年前、2歳だった次男・智仁ちゃんが、この場所で悲惨な事故に巻き込まれ、命を失いました。
■立っているだけで肋骨が折れるほどの過密状態に
2001年7月21日、明石市が主催した花火大会の会場に繋がる歩道橋で転倒事故が発生し、11人が死亡、247人が重軽傷を負いました。
事故原因は、警察や明石市のずさんな警備で発生した異常な混雑でした。
下村さんは、警備員に誘導された歩道橋を智仁ちゃんと一緒にゆっくり進んでいたものの、いつのまにか立っているだけで肋骨が折れるほどの過密状態に。
そして人々が崩れるように転倒する「群衆雪崩」が発生し、下村さんは重傷を負い、智仁ちゃんは命を失いました。
■新入職員の多くは事故後に生まれた
そして、事故後、裁判などで真相解明を訴えてきた下村さんには、「誹謗中傷」の言葉が投げつけられてきました。
それでも、遺族の先頭に立って安全を訴えてきた23年。
話を聞く、ことし明石市に入庁した職員の多くは、事故後に生まれました。
【下村誠治さん】「朝、元気だった子が、自分の手の中で、僕の手の中で硬直していったんです。亡くなった家族が一番しんどい思いをした。助けられなかった僕らはずっと自責の念を持っています」
消えない当時の記憶と胸の内。 そして、願いを伝えます。
■安心・安全の碑があるので、礎としてずっと心の中に置いて活動してほしい
【下村誠治さん】「私があと何年こういう活動ができるかわかりません。後には、明石市の方に(引き継いでいただいて)、事故自体は風化しても構いませんので、安心・安全の碑があるので、礎としてずっと心の中に置いて活動してほしい」
研修は、あの日たどり着けなかった海岸で、黙とうをして終わりました。
【明石市の職員】「実際にご遺族の話を聞いて、現場がパニック状態であったり、苦しい思いをたくさんされている方がいたことをすごく実感しました。今後にも伝えていけることが風化させないことかなと感じている」
【下村誠治さん】「年齢がうちの子供たちと一緒くらいなので、感慨深いものがあります。正直(当時の記憶は)触れたくない、自分の中では。現場だからこそ体感できる部分もあるのでそれはなんとか伝えたいなと思って話をしました」
21日、歩道橋では事故が起きたとされる午後9時前に、祈りが捧げられます。