大量集客で満足度ダウン 日本の観光地はすでに「待ったなし」状態に 観光客狙いの割高料金と「文化財を守るための値上げ」は別物 姫路城などの「二重価格」問題で議論が混乱 2024年07月12日
「外国人観光客の入場料4倍にしてはどうか-」。
姫路城の入場料に関する姫路市長の発言に、賛否の声が上がった。
確かに海外旅行先で、地元の人との価格差を感じたことはあるが、国内ではあまり聞いたことがない。円安で海外からの観光客が各地であふれかえり、オーバーツーリズムが深刻だ。この状況、どうすれば解決できるのか。
マーケティングの視点から観光ビジネスや地域づくりを研究している、立教大学観光学部の東徹教授に話を聞いた。
■そもそも議論が混乱している
姫路城は国宝であり世界遺産です。
「貴重な文化財を守り、後世に伝える」ということと、「円安で割安感が強まっている外国人観光客向けに“二重価格”を導入する」ということとは、まったく別の問題です。
姫路城の入場料は、貴重な文化財を、将来にわたって保存し利用していくためにはどうすればいいのか、という視点から議論すべきであって、例えば旅館が「日本酒を注文した外国人観光客にはお猪口代まで込みの価格を設定する」のとは本質的に違います。
「姫路城を守りましょう」という議論が、二重価格や外国人料金の話に置き換えられてしまっている。「文化財の保存・活用の問題」と、「二重価格や外国人料金の問題」は別に議論するべきことです。
■「30ドルが相場だ」という話ではない
文化財の保存にはお金がかかります。姫路城の場合、400年以上前の建物を美しく保つわけですから、毎年のメンテナンスに莫大な費用がかかり、一般公開をしているので人件費や清掃コストも必要です。それらを合わせると年間12億7000万円ぐらいの維持費がかかっているといわれています。
さらに、何十年かに1度、大修理が必要になります。修理に必要な材料の確保、技術の継承や人材の育成も必要になるでしょう。平成の大修理が24億円かかったといわれていますが、次は30億円以上かかるかもしれません。その費用を積み立てていかなければならないのです。
「国宝であり、世界遺産である姫路城を未来につないでいくには、これだけお金がかかります。だから皆さん、入場料をこれだけ下さい」ときちんと根拠を示し、理屈をたてて説明すればよいのではないでしょうか。
「世界各地の有名な文化遺産の料金が30ドルぐらいだから」という話ではないと思います。
外国人観光客だけ高い料金を設定するということではなく、入場料そのものを高く設定し、そのうえで「割引」制度を導入すればいい。地元の人や高齢者、学生といった、社会通念上、認められる範囲で割り引く形にすればいいと思います。
■二重価格ではなく「複数価格」
今、皆さん「二重価格」と言っていますが、この言葉にはどうも不公正なニュアンスがこもってしまいます。
同じ商品やサービスに複数の価格があるという意味では『複数価格』ということができます。私は恩師からそう習いました。世の中、さまざまなところで「複数価格」が存在します。宿泊施設では、季節や曜日によって料金が異なるのは、よく知られています。また、高齢者や子供、身障者の料金を割引くのは、さまざまな施設や交通機関で行われていることです。
お客さんによって料金を変えていることになりますが、皆さん、文句を言わないですよね。それが社会通念上認められる範囲ということです。
■「取れる時に取れる人から取ってしまえ」という考えでいいのか
外国人観光客の料金を高く設定しようとしている旅館や飲食店は、その理由として、「外国人観光客への対応は手間がかかるから」などと言っています。ですが、例えば、小さなお子さん連れや、ご高齢の方で配慮が必要だった場合に、一般より高い料金を設定するでしょうか。「手間がかかるから」という理屈付けは、あまり説得力があるようには思えません。
空前の円安で、外国人観光客の消費意欲は高くなっています。1杯何千円もする海鮮丼をよろこんで食べる観光客も少なくないようです。われわれ日本人から見たら、少々高いと感じられる料金を設定しても、「自国通貨で考えるとそんなに高くない」と感じているかもしれません。
しかし、この状況がこの先ずっと続くとは限りません。
今だからこそ「外国人観光客から高い料金を取ってもよい」という考えが出てくるのでしょうが、将来、円安が収まったらどうなるのでしょうか。今の外国人料金の議論は、結局「取れる時に取れるところから取ろう」というように感じられてしまいます。
姫路城の入場料の問題は、そうした議論とはまったく違う次元のものであるはずです。文化財の保存・活用を前提とした料金設定の問題は、円安も円高も関係ないのです。
■本気でオーバーツーリズムを防止するなら…
オーバーツーリズムは、地域が観光を受入れることができるキャパシティを超えることで、さまざまな悪影響が生じることです。
これを防ぐためには、利用を制限することも必要になります。観光は地域経済の活性化につながるという考えから、どうしても増やす議論になりがちです。
しかし、貴重な自然や文化財、住民の生活環境を守るためには、「適正規模」という考え方を持つべきです。
時には観光客を制限することも必要なのです。
料金を高くしたり、予約制によって利用量を抑えるのはそのための方法です。富士山でも入山料徴収や人数制限が始まりました。
料金を高くすると観光客が減るのではないかと心配する人もいます。料金の値上げには、必要な費用を賄うだけでなく、需要を抑えるという理由もあるのです。むしろ「高すぎるから行かない」という人が出てこないといけないのです。
姫路城もそうです。日本の宝を大事に利用しながら未来に伝えていくためには、利用の制限、需要の抑制をしなければならないこともあるのです。入場料の値上げだけでなく、予約制による入場者の制限も選択肢にいれておくべきでしょう。
■「大量集客によって観光客の満足度を落とすような事態」
今、京都では外国人観光客が溢れ、地元の人が市バスに乗れないなどといったことが起こっています。対策として「時期や場所の分散化」を呼びかけていますが、成果は出ているのでしょうか。
地域が観光を受入れられるキャパシティを超えてしまうと、自然や文化財、住民の生活環境などに悪影響が出てきますが、それだけでなく、観光客も十分に楽しめず、満足度が低下します。
この状態を放置すると、住民の観光への反発が激しくなるのはもちろん、観光客の足を京都から遠ざけてしまうことにもつながりかねません。
日本人観光客の中には「京都は好きで何度も行ったが、最近は行かなくなった」という人もいるようです。
外国人観光客でにぎわっているように見える京都。
しかしその反面、「日本人観光客が離れはじめている」とすれば、それは由々しき問題でしょう。
マーケティングの視点から見ると、「大量集客によって観光客の満足度を落とすような事態」を招いては、元も子もありません。
オーバーツーリズムを防ぎ、解消する取り組みは、はじまったばかりではありますが、既に「待ったなし」の状況にあるのかもしれません。
「住んでよし、訪れてよし」の地域をめざすためには、観光の「適正規模」を考えながら、「観光客を減らす」ことも辞さない覚悟で取り組む必要があります。
観光とは、「分かち合い」だと思います。地域の恵みや持ち味、そこで育まれ伝えられてきた知恵や技を、訪れた人に分かち合うことが観光なのではないでしょうか。
美しい自然や貴重な文化遺産を守ってきた人たちがいるからこそ、われわれは旅を楽しみ、地域を楽しむことができるのです。
訪れた人が敬意を払って観光をし、その敬意を感じるからこそ、受入れる地域の人は「ようこそ」と迎える。そうした、リスペクトとウェルカムのある関係こそが、観光の理想的な姿でしょう。
いかに経済的利益をもたらすとしても、観光が生活に勝ることは許されることではありません。
コロナ禍から脱し、前に進もうとしている今、われわれはどのような観光を目指そうとしているのか、どんな観光のあり方を理想として掲げ、その実現に向けてどのような取り組みをすべきなのか。
われわれはもしかすると、未来の観光の姿を決める大事な分岐点に立っているのかもしれません。