「デフリンピック」でメダル期待 聴覚障がい者バスケットボール「デフバスケ」 競技団体の対立でようやく和解成立 真の解決は今後に 2024年05月13日
「聴覚障がい者のオリンピック」とも呼ばれる国際競技大会「デフリンピック」が、来年(2025年)東京で開催されます。
中でも「デフバスケットボール」は、メダル獲得が期待されている種目の一つですが、2022年にあるトラブルが起きていました。
■「デフバスケ協会」前の理事長が提訴
2022年、日本デフバスケットボール協会の理事長に就任した佐知樹一郎氏の選任について、不正な手続きがあったとして、元理事長の篠原雅哉氏が2023年1月に裁判を起こしました。
その後、日本代表で主力メンバーだった5人の選手たちも同様の主張をして協会と対立し、日本代表としてプレーできない事態に陥っていました。
裁判の訴状などによると、2022年2月6日と18日に協会が開いた理事会で不正があったということです。当時、篠原氏は、新型コロナウイルスに感染していて、篠原氏に連絡がないまま、別の理事が「篠原氏が病気で理事の業務ができない」などとして理事会を招集。篠原氏が回復し復帰できるまで協会の定款に基づき理事長代行をおくと通知されました。
「代行理事長」を選任した理事会の後、もう1度理事会が開かれ、ここで篠原氏は理事長辞任に追い込まれました。
■「理事会は無効」と前の理事長
篠原氏側は、協会の定款には「理事会は理事長が招集する」と書かれているため、「召集の権限がない理事によって召集されたものは理事会としての条件を満たしていない」と訴えます。また「新型コロナの症状は軽く、業務ができないほどではなかったので、ウソの理由によって召集されたもので、これも理事会の条件を満たさない」と主張します。
また、「理事長代行」を「協会の定款に基づき選ぶ」と通知したことについても、実際には、定款に「理事長代行」の規定がないと述べて、理事会で決まったことは無効だと認めるよう、裁判所に求めていました。
■ 「瑕疵(かし)があっても重大ではない」と今の理事長
これに対し佐知氏は裁判で、篠原氏が理事長時代に、日本パラリンピック委員会の助成金申請を怠ったため2021年から助成金の受け取りができなくなったことなどを挙げ、「理事長としての職務内容に問題があった」と指摘し、「理事会招集の手続きに瑕疵(かし)があっても重大ではない」などと主張していました。
篠原氏は、「理事会招集の手続きなどに定款違反があったことは後で知った」と主張しています。しかし佐知氏は、「篠原氏が自ら理事長を辞めたわけだから、今さら理事会の無効などを主張されても困る」と述べ、主張が対立していました。
■背景にプレースタイルの違い
対立の背景には、デフバスケットボールの指導方法やプレースタイルについての考え方の違いがあります。
聴覚障がい者が行うデフバスケットボールは、一般のバスケットボールとルールの違いはほとんどありません。ただ、プレー中に声を使ったコミニューケーションができないため、選手たちが身ぶり手ぶりやアイコンタクトで意思を通じ合わせ、チームプレーを行うことが特徴です。この、コミュニケーションの方法について、いくつかの考え方があります。
聴覚障がい者の中には、生まれた時から耳が聞こえない人、病気や事故で聞こえなくなった人など、障がいの程度に違いがあり、手話を使う学校に通ったかどうかなど育った環境で、普段の会話の仕方に違いがあります。手話を使う人、口の形を読み取る「口話」を行う人など様々で、聴覚障がい者は手話を使うと一概には言えません。
■手話を使う選手と使わない選手
前の理事長の篠原氏は、「デフバスケットボールは、聴覚障がい者の競技であるものの、選手に『手話』は必須ではない」と話します。篠原氏は、「手話を使用する選手に合わせて、選手全員に手話を使うよう押し付けるべきではない」と主張。手話が使えない選手に、手話を覚えるための時間を割かせるよりは、バスケットボールの練習時間に集中させるべきだと考えています。
佐知氏の理事長選任に問題があったと、篠原氏と同様の主張をしていた5人の選手たちはこのプレースタイルです。アイコンタクトなどで充分に意思疎通できると考えています。5人が中心だったころの日本代表チームは、2018年に世界選手権で銀メダルを獲得しています。
一方、佐知氏は、「チーム全員が手話を使うべきだ」とする立場です。裁判で佐知氏は「デフバスケットボールは聴覚障がい者の競技だからこそ、日本代表の選手や監督、スタッフはみんな手話を使用しなければならない。聴覚障がいが軽い選手は、手話を使用する聴覚障がいが重い選手に合わせるべき。手話を使用する選手が取り残されてはいけない」と主張しています。
また、佐知氏が理事長を務めていた時期の協会は「サインバスケ」と呼ばれるプレースタイルを採用していました。簡単な手話のような「サイン」を決め、その「サイン」で互いにコミュニケーションしながらプレーするものです。この「サイン」は、手話より覚えるのが簡単で、障がいの程度が違う選手が一緒にプレーできるようにと編み出されました。いずれにしても、選手間のコミュニケーションにおいて、手話や「サイン」を重視するのが佐知氏の立場です。
■ようやく和解 夢のデフリンピックに向かえるか
プレースタイルの違いから訴訟にまで至った今回の対立。1年以上にわたって裁判は続きましたが、2024年3月、裁判所側から提示された和解案に沿って和解が成立しました。
和解の内容は、原告の篠原氏側推薦の3人、被告だった佐知氏が推薦する3人が理事に就任し、ここに中立の立場である3人の理事を加えた理事会を設置して、今後の運営を担当することとなっています。中立の理事3人は、日本バスケットボール協会、全日本ろうあ連盟、日本パラスポーツ協会からそれぞれ1人ずつの推薦を受けて選ぶことになっていて、現在この3つの団体に推薦を依頼しているということです。
今後、この理事会が日本代表の選出や大会運営なども担うことになりますが、プレースタイルの違いによってできた溝を埋めることができるのかは、中立の立場で参加する理事たちにかかっていると言えます。対立を解消し、選手たちが夢の舞台・デフリンピックを迎えることができるのか。今後の協会運営が注目されます。