「目が見えなくなってもいいから走る」 難病で3年前に全盲に… 57歳ランナーがパリ・パラリンピック出場かけて挑戦 伴走者は憧れの福士加代子選手 2024年05月12日
「パリパラリンピック」出場を目指した、視覚障害があるマラソンランナーの女性がいます。そんな彼女を支えた“伴走者”との絆。
目が見えなくなることよりも、走ることを選んだ彼女の思いに迫りました。
■人生を変えた「ブラインドマラソン」との出会い
視覚障害者が42.195㎞を走る「ブラインドマラソン」。
障害が重い選手は、ランナーの目の役割を担う“伴走者”と共にゴールを目指す競技です。
マラソン界のレジェンドたちから次々と声がかかるブラインドマラソンの選手がいます。
「リオパラリンピック」で5位に入賞した全盲のランナー、滋賀県出身の近藤寛子さん(57歳)。
近藤さんは34歳の時、視野が極端に狭くなる「網膜色素変性症」と診断されました。「いずれ失明する」と告げられたのです。
数年間ふさぎこみ、孤独を感じる日々が続きましたが、ブラインドマラソンとの出会いが彼女の人生を大きく変えました。
【近藤寛子さん】「マラソンって、孤独な競技とかいわれるけど、私たちは伴走者がいるっていうことで…。苦しみは半分、喜びは2倍っていうことで、本当に楽しく走れるんじゃないかなって」
今年2月、パリパラリンピック代表候補の強化合宿。
【福士加代子さん】「右にちょっと(地面に)割れ目があって、ちょっとだけ段差がある…。ここから公道に入って、今、横断歩道を渡ってます」
近藤さんの隣で足元の状況を説明しながら誘導していたのは、オリンピックに4大会連続で出場し、2年前に現役を引退した福士加代子さん(42歳)です。
【福士加代子さん】「右手出して」
走りながら近藤さんに水を渡します。
【近藤寛子さん】「ありがとう」
【福士加代子さん】「とにかく自分の足を動かしていきましょう。前ももとおなかの付け根を動かすようにして、しんどい時にそこが使えるように」
「パリで一緒に走りたい」。近藤さんが福士さんに伴走を依頼したのは、今年1月のことでした。
【近藤寛子さん】「ベテランの伴走者も、初めて走った時はめちゃめちゃ走りにくくて『この人、無理やな』って思う人ばっかりなんですよ。でも、福士さんは、初めて走っても『この人無理やな』って思うことはない。回数を重ねれば」
感情を素直に表現する走りを見せていた福士さん。近藤さんは目が見えていた頃から、その姿が憧れだったのです。
【近藤寛子さん】「目が見えない私たちっていうのは、声だけで印象を感じ取るので、やっぱり笑顔あふれる方っていうのは、自分自身をありのままに表現されているなぁというところにすごく魅力を感じたし、私自身もありのままの自分を表現しながら走ることができるんじゃないかなって」
【福士加代子さん】「挑戦している彼女の姿はすごく元気になりますし、その近くでいられるっていうのはありがたいなと思うので」
■何度も困難乗り越え…「見えなくなってもいいから走り続ける」
3人の子供を育ててきた近藤さんは、これまでに何度も困難が訪れましたが、そのたびに立ち上がってきました。
リオパラリンピックの2年前、一緒にリオに行こうと約束していた最愛の夫を病気で失ってしまいます。
走れなくなった時期もありました。それでも悲しみを乗り越え、約束の地で5位入賞を果たします。
その後、東京パラリンピックを目指す中で乳がんの手術を受け、卵巣も摘出しました。
それも乗り越え、自己ベストを更新し続けた近藤さん。
一方で2021年、目は完全に見えなくなり、最も障害の重い、全盲のクラスに振り分けられることになりました。
【近藤寛子さん】「過酷な全身運動は病気を進行させるということで、お医者さんからは『(マラソンを)やめた方が視力はずっと残せるよ』とは言われていたんですけど、私の中で走るということを取ることはできなくて、『もう目が見えなくなってもいいから走り続ける』って」
子どもたちは、母の強さをそばでずっと見てきました。
【近藤さんの長女】「普通のお母さんというか、普通のお母さんよりもすごい、むしろ」
【近藤寛子さん】「うれしいなあ」
【近藤さんの長女】「休むと逆にイライラしてあかんから、走らせた方がいい」
■最終選考へ 57歳の挑戦の行方は
最終選考レース1週間前。
57歳となった近藤さんにとって、パラリンピックへの挑戦は最後になるかもしれません。
スケジュールが合わず、代表の最終選考レースでは伴走できない福士さんも、ずっとサポートを続けてくれていました。
だからこそ、福士さんとパリで走りたい。近藤さんが自分自身に誓った約束でした。
パリパラリンピックの代表をかけた最終選考レース。代表権を獲得するには、「3時間15分30秒」を切ることが最低条件です。
近藤さんには、福士さんからかけられた、忘れられない言葉がありました。
【近藤寛子さん】「走りながら、『イメージの先は見えてるよ』って言ってくださったことがあって。どんな時もイメージをして、その先の自分のイメージを持つということは、すごく私の中で落ちるものがあって」
気温が20度を超える中、前半は順調に目標タイムのペースを刻む近藤さん。
20キロメートル地点で後半の伴走者に交代します。
30キロメートルを過ぎても、目標タイムを上回るペースを刻み続けます。
しかし、時間がたつにつれ、上昇していく気温。終盤、急激にペースが落ちてしまいます。
パリへの夢が遠ざかっていく。それでも…。
【近藤寛子さん】「(走ることをやめることは)もう人生が終わるっていうことと一緒かもしれません。いい走りだったと思えることが、いい人生だったって思えることにつながっていくのかなって」
「走ることは、生きること」。そのイメージの先を、最後まで見ていました。
代表候補選手の中で、2番目で帰ってきた近藤さん。しかし、目標のタイムを破ることはできず、パリへの夢は事実上閉ざされました。
【近藤寛子さん】「福ちゃんに、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです…。あぁ、悔しくて」
悔しさに表情をゆがめていました。
そんな代表選考レースから1週間後。
悔しい思いを大声で叫ぶ近藤さんの姿がありました。そして、隣でそれを笑顔で聞いている福士さん。
【近藤寛子さん】「パリ行きたかったぞ~!悔しかったぞ~!」
【福士加代子さん】「出ましたね」
【近藤寛子さん】「泣けてくる」
【福士加代子さん】「それでいいんですよ。それが一番クリーニングになる、メンタル的に。それで多分、『あぁ、これで終わったんだな』って…。まぁ、次もまた走るでしょ」
近藤寛子さん、57歳。
これからの人生も、“イメージの先”を見て走っていきます。
(関西テレビ「newsランナー」 2024年5月6日放送)