京都大学の村田淳准教授も、一昔前には考えられなかった学生の就職問題に頭を悩ませていました。
【村田准教授】「5年前10年前に京大を卒業していた人たちが、その当時就職は決まっていたんだけれども、3ヶ月位で仕事を追われ、いわゆる“社会的引きこもり”になっている。そういう子ほど母校の指導教員にもう一度相談することが苦手な場合が多いと思う」
【村田准教授】「なので、先生からすると『どこかで働いているはずなのに…』みたいなことが少なくないんじゃないかと思います。」
能力が高いほど、『普通はできるはずのことができない』というギャップに、苦しめられることになるのです。
「ミライジンラボ」の2階には一時期、大阪大学出身の藤原くんが居候していました。
小学4年生の時父親のパソコンを触り始め、プログラミングを独学。大阪大学大学院に進み情報システム工学を研究。日本ではあまり紹介されていなかったプログラムの解説本を出版します。
ただ人間関係に躓いたことで研究室を離れることに…。
凄まじい技術力故に『やれるはずだ』という思いと、度々訪れる気持ちの浮き沈みのギャップに悩んでいました。
そんな中、藤原くんは新たなビジネスモデルを思い描いて起業家コンペに応募。そこで小林さんと出会います。
ある日、小林さんは、藤原くんに尋ねました。
【小林さん】「技術書を出版する方が他にやれる人が少なくて、藤原くんの優れた能力は発揮されると思う。でもそれは普通に働いて得られる安定した収入を諦めることでもある。どっちを選びたい?」
【藤原くん】「…普通に働きたいです」
藤原くんが過去にうつの診断を受けたことを知った小林さんは、以前厚労省に提案し認定を受けた実証実験の枠の中でミライジンラボと連携する秘策を編み出します。
それは、企業がITスキルの高い障がい者を雇用し、すぐにミライジンラボに出向させるというもの。
職業能力開発という目的で特例として、企業に在籍したまま出向することが認められました。
まずミライジンラボで働けるコンディションを整え、その後、企業に必要なIT人材となることを目指します。
当時、藤原くんには『関東にいる彼女と暮らす』という夢がありました。そのためにはまず、お金を貯めることが必要です。
実証実験で求められる普通のIT業務は、必ずしも藤原くんがやりたかった仕事ではありませんでした。
それでも藤原くんは実証実験に参加し、普通に生きることを選択します。
就職先で特性を知ってもらうため、発達障害の診断を受け、以前は避けていた障がい者手帳も取得しました。
【藤原くん】「(障がい者手帳は)ずいぶん前から多分取れてたんだと思うんですけど、なんとなく取ろうと思わなくて。妙にプライドが高かったし、自分の中で達成しないといけないレベルが結構高かったんです。自分の中にブラック上司がいるというか。」
近年、京都大学や大阪大学を始め全国の大学で「発達障害」の学生が増え続けています。
発達障害についてはその特性を自覚して診断を受け手帳を取得すれば、支援を得られる体制も整いつつあります。
しかし本人が特性に否定的である場合、支援に辿り着けないまま、大学からも社会からも、遠ざかるケースも少なくはありません。藤原くんもその1人だったのかもしれません。
初出社の日。
仕事の優先順位づけが苦手なことなどを小林さんが藤原くんに代わり説明します。
小林さんのフォローにほっとした様子の藤原くん。
【藤原くん】「自分の特性を説明するのは難しいんですけど、小林さんは自分を説明する第三者になってくれました。だから自分を世界に開けるようになったんです。」
しかし、それから1年後。
新型コロナの収束が見えない中、勤務の多くをリモートワークでこなしていた藤原くんは、退職を決意します。
『ミライジンとして、大阪で能力を生かす方法を探る』のか、『彼女のいる関東で職を探す』のか…。
迷った末に関東行きを決めました。