『三菱ギャラン GTO』 泥だらけから奇跡の復活 紀伊半島大水害の犠牲になった父の形見 13 年の時を超え息子のもとへ 「ハンドル固っ!でも楽しい」 2024年05月02日
泥まみれの古い車。
13年前の紀伊半島大水害の犠牲者の1人である中平幸喜さんの愛車「ギャランGTO」です。
長らく修理不能と言われてきましたが、修復作業が完了しました。
4年かけて受け継いだのは、家族5人を失った息子です。
■災害で家族5人が犠牲に 「修理不可能」でも“残しておきたい”形見
「よく通りましたね。どこにあるんですか?」
車検証を受け取った、中平史都さん(35)。
視線の先にあるのは、父・幸喜さんの愛車の三菱「ギャランGTO」です。
【中平史都さん】「懐かしい~。久しぶりに見たっすね、この感じ。うわあ、すごいな」
【中平史都さん】父は間違いなく、よろこんでくれてますね。泣いてるんじゃないですかね、号泣してますよ。当時の泥まみれの姿を覚えていると、ここまできたのが…」
4月29日、13年の時を越えて、史都さんに受け継がれました。
【記者リポート】「和歌山県那智勝浦町です。いたるところで土砂崩れが発生しています」
2011年9月、紀伊半島を襲った台風12号。
和歌山県那智勝浦町では、中心部にある那智川が氾濫し、28人が死亡、1人が今も行方不明となっています。
史都さんの実家も土石流が襲いました。
東京で1人暮らしをしていた史都さんは助かりましたが、父・幸喜さん(当時45)、母・澄子さん(当時46)、妹の百音さん(当時13)と彩音さん(当時14)、弟の景都くん(当時7)の家族5人が犠牲となりました。
車が大好きで中古車販売店を経営していた父・幸喜さん。
父の店も水没し、愛車の「ギャランGTO」も土砂が入り込み、走行不能になりました。
「修理不可能」と言われたものの、史都さんにとって“残しておきたい”数少ない形見でした。
史都さんは、地元・和歌山に帰ることがつらい時期もありました。
【中平史都さん(2014年)】「ただただ不安だった。みんながいなくなったと思うと。生きていけるんかなと。この苦しみを乗り越えられる気がしなくて」
しかし、今は和歌山で暮らしています。
【中平史都さん】「当時ほど、落ち込むことはなくなったんですけど、時間が解決したのかなってのはありますし。会いたいって気持ちは変わってないですけど、当時は、もう今すぐ会いたいっていう、自分がどうなってもいいから、すぐにどうにかして会えないのかっていう。今は人生全うして、ちゃんと生き終えてから、みんなのもとへ会いに行きたい」
■亡き父の愛車「ギャランGTO」 父と過ごした2人きりの大切な時間
被災以来、そのままだったギャランGTOにも転機が訪れました。
“幸喜さんの愛車を復活させよう”と知人たちが協力。
古い車のため、困難を極めましたが、さまざまな部品を全国から取り寄せ、修理に取り掛かったのです。
お墓参りにきた史都さん。
【中平史都さん】「あしたは、ちゃんとGTOを迎えるんで、一緒に見守ってくださいっていうことを、お祈りさせてもらいました」
4年かかった修理が終わり、GTOは史都さんのもとに戻ってくることになったのです。
【中平史都さん】「まだちょっと実感わいてないですね。本当にあれが直ったんかっていう。動くようになったんかっていう。ドキドキするんですよ、変わってるでしょうね、癖っていうのが。楽しみです」
父とのドライブは6人家族の中、2人きりの貴重な時間でした。
免許を取ってからは、史都さんがハンドルをにぎることもありました。
【中平史都さん】「なかなか人に運転させないぞと、この車。それ聞いて、すごい特別なものなんだなって、再認識しました。乗っている時の父は、いつもより楽しそうだったかな。多分、父も考えてくれてたんでしょうね。僕が大きくなったら、譲るっていうのも。いろいろ考えながら、楽しい気分になってたんじゃないですかね」
■父親の魂が宿ったGTOは息子へ受け継がれ走り続ける
4月29日。
GTOの復活を祝うセレモニーには多くの人が集まりました。
【中平史都さん】「いろんな方々に見守られていて、父はすごい幸せやなと。そういう父親に僕もなりたいなと」
エンジンをかけると、GTOの帰還を実感した様子です。
【中平史都さん】「そのままですね。なんで、そのままなんだろ」
ゆっくりと走りだしたGTO。笑顔でハンドルを切ります。
【中平史都さん】「固てぇ!楽しいっす。めっちゃ楽しいっす」
(Q.運転している時お父さんとどんな会話した?)
【中平史都さん】「車のクラッチのことばっかりやった気する。だいぶエンストとかもしたと思うんですよ。ミッションも慣れてないですし。横におるから大丈夫や。何回止まってもええから乗ってみって」
【中平史都さん】「すごい大きい遺品っていうのは、身近で感じましたし、父親の魂が宿ったと言いますか、温かい気持ちになって。うれしいです本当に。こんな大きな遺品が返ってくるなんて思ってもいなかったので、本当周りの皆さんに感謝です」
13年の時を超えて、息子に受け継がれた父の形見。
家族を亡くした息子は父の思いを胸に前へと走り続けます。
(関西テレビ「newsランナー」2024年5月1日放送)