白浜“水難偽装”殺人事件 1審有罪の根拠を否定…それでも2審も有罪の理由とは 元裁判官は「殺害計画があったから有罪という結論先取りにはなっていないか」 1970年01月01日
1審判決は17ページ。ところが2審の判決文は72ページに。判決言い渡しも2時間半に及んだ…いわゆる「白浜水難偽装殺人」の裁判だ。
夫が、海でシュノーケリングをしていた妻を溺死事故に見せかけて殺害した罪に問われていた。大阪高裁での2審の審理は、時間をかけた慎重なものだった。1審の結論が覆されない場合、2審の審理は簡単に終わることも多い。しかし、今回の2審の審理は、やけに時間がかけられた。
2審で結論が覆されるのか?と、判決が注目されたが、言い渡されたのは懲役19年と、1審と同じ。1審を覆すわけでもないのに、2審で長い判決文がかかれた背景には、何があったのだろうか。
■シュノーケリング中に妻が溺れる 妻には複数の生命保険が
事件は2017年7月、和歌山県白浜町の海岸で起きた。シュノーケリングをしていた野田志帆さん(当時28歳)が、夫の野田孝史被告(35)がトイレに行っている間に溺れ、搬送先の病院で2日後に低酸素脳症で死亡。
野田被告の不倫が原因で、夫婦の間には事件の1カ月前から離婚話が浮上していた。加えて、志帆さんに複数の生命保険が掛けられていたことや、野田被告が事件前日にインターネットで「溺死に見せかける」などの検索をしていたことから疑惑の目が向けられる。
■一審判決は「砂」を根拠に有罪を言い渡す
検察は、救命医が「志帆さんの胃から相当量の砂が出てきた」と供述(解剖では砂は検出されていない)し、その量が約37グラムと推定されたことから、一緒にいた野田被告が「海底付近で押さえつけ溺れさせた」として殺人罪で起訴。
胃の中の砂はすぐに廃棄されて残っていなかったが、1審・和歌山地裁(武田正裁判長)は、再現実験からその量は32.5~36.5グラムであると認定。また、検察側の証人だった水難事故の専門家による「被害者は海底付近で押さえつけられた際、呼吸を我慢しきれずに、37グラムほどの砂を含む海水400ミリリットルを1回で飲み込んだ」とする証言を採用して殺害と判断し、懲役19年の判決を言い渡した。
■2審では「砂」の存在について改めて審理
弁護側は無罪を主張して控訴。2審の大阪高裁(齋藤正人裁判長)では、3人の法医学者による証人尋問が行われ「胃の中の砂の存在」などについて審理された。
そして迎えた3月4日の判決。大阪高裁は野田被告側の控訴を棄却し、1審の有罪判決を支持した。しかし、判決文に書かれた有罪の判断理由は1審とは異なるものだった。
1審判決では、被害者の胃から多量の砂が出てきたと救急医が証言としたことに判断のポイントがあった。水難事故の専門家が、被害者は水中で抑え込まれ、砂まじりの海水を飲んでしまったので胃に砂があったと説明し、殺害の根拠となった。しかし、この砂は捨てられてしまっていた。
高裁では、1審の「多量の砂」を根拠とする殺害認定について、「砂が廃棄されて存在しない中、目撃した砂の量を認定するのには無理がある」と、量について否定した。
さらに、水難事故の専門家が主張した多量の砂を含む海水を飲み込むメカニズムについても「医学的知見に反し採用し得ない」と退けた。そして、「事故や自殺の可能性も否定できず、胃内にのみ相当量の砂が入ったのは不自然というだけで、殺人事件と判断した1審判決は不合理」と判断したのだった。1審で有罪の決め手となった証拠を否定したのだった。
これでは、結論は覆りそうだ。しかしそれでも、高裁が「有罪」と判断したのはなぜなのか。72ページにも及ぶ判決文には、その判断理由となった間接事実が積み上げられていた。
■積み上げられた間接理由 「殺害計画と符合する溺死」
【野田被告と志帆さん、そして交際相手との関係と経緯】
野田被告は事件の約5カ月前に交際相手に婚約指輪を渡してプロポーズ。その後、相手の妊娠がわかると、被告の両親に交際相手と結婚したいと告げ、7月末までに離婚届を提出すると約束した。
一方で、妻の志帆さんに離婚を切り出すことはなく、事件の1カ月前に不倫と相手の妊娠を知られると野田被告は「一生をかけて償わせてほしい」と謝罪し、関係の修復を求めた。志帆さんは「相手の女性が中絶しなければ即離婚する」などと母親に話していたという。
【ウェブ検索と保険契約】
野田被告は、不倫相手と交際以降、被告人や志帆さんを被保険者とする生命保険を締結し、海水浴中の死亡事故や溺死事故に見せかけた殺人などに関するウェブの検索や閲覧を繰り返すようになる。そして事件前日にも「溺死に見せかける」と検索したり、「完全犯罪ってできるんですか?」というサイトを閲覧していた。
【殺害計画と符合する溺死】
大阪高裁は、こうした背景を根拠に被告人が近い将来、交際相手と結婚することを望んでいて、新生活を始めるためにまとまった資金を準備する必要があったとし、「溺死に見せかけて殺害し保険金を得るという計画を思い立った」と指摘。
そして、「溺死による死亡は、その計画に完全に符合するもので、2人きりとなった約20分間に計画とは無関係に自殺や事故が偶然実現される可能性はおおよそ考え難い」と、自殺や事故の可能性を排斥し、1審同様に「殺意をもって、海中で何らかの方法により被害者の体を押させつけて溺水させた」として野田被告による殺害を認定したのだった。
■冤罪・誤審の研究をする弁護士「検索履歴等を有罪の証拠に用いることは慎重であるべき」
元刑事裁判官で冤罪・誤判の研究も行っている西愛礼弁護士は、「1審は「胃の中の砂」など医学的証拠だけから有罪を認めたが、各種医学的証拠から分かることが限られているため、そこまでの推認を認めなかった控訴審の判断は妥当」と総合的に判断した点を評価する。そのうえで、控訴審は「検索履歴」等の被告人の言動も総合的に考慮して有罪を認定しているが、「検索履歴」等を有罪の証拠に用いることには慎重でなければならないと警鐘を鳴らす。
【西愛礼弁護士】「検索履歴を有罪の証拠に用いるかどうかについては、検索の意図について多様な解釈があり得ることや、偶然発生した事故や自然死が他殺と間違えられてしまう危険から、基本的に慎重でなければならないものと考えられている。例えば、世の中には日々様々な理由で『殺人』などと検索している人がいるかもしれないが、ある日偶然にその人の周りで亡くなった人がいる場合、それらの人全てが容疑者になってしまう危険がある。また、『殺害計画』というストーリーの認定自体が有罪という結論の先取り(予断)になってしまっていないかという問題もある」
2審では、事故や自殺の可能性を否定できないとしながらも、検索履歴等の間接事実を積み重ねて有罪認定となった。判断の分かれ目はどこにあったのだろうかー
【西愛礼弁護士】「結局、判示のうち『計画とは無関係に、自殺や事故といった他殺以外の態様によって偶然に実現されたという可能性はおよそ考え難い』という点が、最終的な有罪判決への分岐点であったように思われる。その理由となったのが検索履歴、保険契約締結など被告人の言動に関する間接事実だった」
西弁護士は、1審での有罪の立証が崩れたものの、2審では総合的に判断する中で、検索履歴や保険契約などの被告人の言動が「殺害計画」として認められ、最終的には有罪の決め手になったと分析する。検索履歴を証拠に用いることについての問題を指摘しながら、「1審のように医学的根拠だけで判断しなかった点は妥当」と話していて、西弁護士の口ぶりからも、この事件に関する判断の難しさが感じられた。
1審とは判断理由は異なるものの、2審でも懲役19年の判決は変わらなかった。野田被告は、取材に対し「それでも僕はやっていないと言いたい」と話し、3月7日、弁護人が最高裁に上告した。
関西テレビ司法担当記者 菊谷雅美