ロシアによるウクライナ侵攻で大阪に避難した女性が、専門学校を卒業しました。
日本での学校生活を終えていま、思うこととは…?
■『私は大丈夫です、無事で健康に卒業しました』
ユリヤ・チェピジコさん(26歳)は3月4日、2年間学んだ専門学校を卒業しました。
【ユリヤ・チェピジコさん】「素敵な卒業式を、無事終えられてうれしい」
(Q.家族には何て伝えたい?)
「お母さんと、お父さんに『私は大丈夫です、無事で健康に卒業しました』と伝えたいです。そして『これからも頑張ります』と」
■専門学校の支援プログラムに応募し、ウクライナから単身日本へ
もともと、ウクライナで日本語の教師をしていたユリヤさんは、全国の専門学校が立ち上げた支援プログラムに応募し、2022年に家族を残して1人で大阪に避難してきました。
プログラムを見つけてくれたのは、お母さんでした。
【ユリヤ・チェピジコさん】「(家族が)応援しています。『家族の分、みんなのために頑張ってください』と言われた。ウクライナに帰る気持ちがありましたから(荷物は)これだけ」
ユリヤさんは小さなスーツケース1つでやってきたのです。
■慣れない日本での生活でも心の中には家族の存在
避難してすぐに学校生活が始まりました。
ユリヤさんはITの勉強に取り組むかたわら、アルバイトで日本語を教えて生計を立て、物価高で食費も切り詰める日々でした。
【ユリヤ・チェピジコさん】「卵(の物価)が結構上がった。給料が変わらないから、買う量を減らした」
日本の生活に慣れることに加え、家族の心配も尽きなかった2年間。
【ユリヤ・チェピジコさん】「一番怖いのは家族を亡くすこと。電車でも(戦争のことを)思い出して悲しくなったりして、自分の意識しないときにも思い出す」
■学校生活最後の日…友達の存在が心の支えに
そんな学校生活も、3月2日が最終日でした。
日本でできた友達が心の支えだったと、振り返りました。
【ユリヤ・チェピジコさん】「(私たちって)仲いい?」
【友達】「一番いいじゃない?」
(Q:みんなで遊びに行ったりは?)
【ユリヤ・チェピジコさん】「しない」
【友達】「したよ!カラオケ行った」
【ユリヤ・チェピジコさん】「1回だけ!」「(卒業して会えなくなるのは)ちょっと寂しい」
(Q:友達はどんな存在?)
【友達】「言っちゃっていいですよ、正直に」
【ユリヤ・チェピジコさん】「いいやつ!」
■迎えた卒業式「受けた支援は心の中で永遠に」
そして迎えた、卒業式。
【ユリヤ・チェピジコさん】「(専門学校での学びは)挑戦と成長の日々でした。本日から新しい道を歩み始めます。しかし、受けた支援は心の中で、永遠に生き続けます」
卒業後は、大阪の会社に就職することを決めたユリヤさん。
■帰国を期待していた母が「帰らないでほしい」とも
社会人として歩みだす新たな生活に期待を寄せる一方、心配なのはやはり家族のことです。
【ユリヤ・チェピジコさん】「お母さんは2年間勉強して、帰国するのを期待していたので、(大阪で就職すると伝えたら)最初は怒りました。でも『ウクライナに帰らないでほしい』とも(母に)よく言われる。『(会えなくて)悲しくても、安全な所の方がいい』と。平和にならないと安心にはならない。早く戦争が終わってほしい。それが一番優先」
家族全員が安心して暮らせる、当たり前の日常を。
ユリヤさんは、大阪でその時を待ち続けています。
(関西テレビ「newsランナー」2024年3月4日放送)