京都アニメーションの第一スタジオに放火し、36人の命を奪った青葉真司被告の判決が1月25日、京都地裁で言い渡されます。
大切な家族を突然奪われた遺族が、判決を前に何を思うのか取材しました。
■「母親を失った息子についてどう思いますか?」
【妻を亡くした夫】「その場(法廷)に立つと感情が抑えきれない」
【娘を亡くした母】「私は苦しんで苦しんで死んでほしいって思ってる。ようけ人殺しといてな、なんで自分だけが生き延びなあかんの。おかしいやん」
青葉被告の判決を前に、それぞれの遺族の思いとは。
【寺脇(池田)晶子さんの夫】「息子は寂しさに耐え、文句も言わず、我慢して前向きに進んでいます。それを見ていると、親としては本当につらいです。青葉さん、私たちがあなたを許すことができると、あなたは思いますか?」
妻を亡くし、遺族として法廷に立った男性。声を震わせながら、青葉被告に何度も問いかけました。
2019年7月18日。京都アニメーションの第一スタジオが放火され、36人が死亡、32人が重軽傷を負いました。
ガソリンをまいて火をつけたとして、殺人などの罪に問われている青葉真司被告(45歳)。2023年9月から4カ月以上に渡って行われた裁判は、1月25日に判決を迎えます。
事件で犠牲となった寺脇(池田)晶子さん(当時44歳)は、人気アニメ作品「涼宮ハルヒの憂鬱」のキャラクターデザインを手がけるなど、京アニを代表するアニメーターでした。
晶子さんが亡くなってから、寺脇さんは息子と2人で暮らしています。事件直後、息子は布団の中で1人隠れて泣いている日もありました。
それから4年半。今では晶子さんの作業机で勉強するようになりました。
【寺脇(池田)晶子さんの夫】「普通の状態に戻るまで結果的にやっぱり4年かかってしまった。もっと早くデフォルト(普段)の状態に戻るだろうと思っていたけれど、そうはいかなかった」
そして、2023年9月から始まった裁判。青葉被告は、犯行について京アニの小説コンクールに落選し、「アイデアを盗まれたから」と起訴内容を認める一方、時には理解しがたい考えを法廷で語っていました。
【弁護人】「誰が小説を落選させたと思いますか?」
【青葉被告】「ナンバー2です」
【弁護人】「どうしてナンバー2は落選させたと思いますか?」
【青葉被告】「自分に発言力を持たせたくなかったのでは」
そんな青葉被告に対し、寺脇さんは“そばで見てきた息子のことを伝えたい”と裁判への参加を決め、直接問いかけました。
【寺脇(池田)晶子さんの夫】「事件前に放火殺人をする対象者に家族、特に、特に子供がいる事は知っていましたか?」
【青葉被告】「そこまで考えなかったのが、自分の考えであると思います」
この質問の後、寺脇さんは青葉被告の身勝手な言動に耐え切れず、法廷から退席しました。
【寺脇(池田)晶子さんの夫】「その場に立つと、感情が抑えきれない。(妻の)名前を出すと、その人との記憶が走馬灯みたいにして、思い出してしまう。(青葉被告の)話している内容が幼稚すぎて、聞いててしんどかった」
それでも、初公判から3カ月がたった2023年12月。寺脇さんは“自分の耳で聞いて2人に報告したい”と、再び青葉被告と向き合うことにしました。
【寺脇(池田)晶子さんの夫】「母親を失って寂しい思いをしている息子について、どう思いますか?」
【青葉被告】「自分もひとり親だったので、その辺については、やはり申し訳ない部分がございます」
【寺脇(池田)晶子さんの夫】「晶子に対して今、どう思いますか?」
【青葉被告】「申し訳ない気持ちです」
【寺脇(池田)晶子さんの夫】「青葉さん、あなたはこの事件を起こしたことを後悔していますか?」
【青葉被告】「しております」
青葉被告が初めて「謝罪」と「後悔」を口にした瞬間でした。そして、最後に寺脇さんはこう訴えかけました。
【寺脇(池田)晶子さんの夫】「下される判決は、12歳の息子が聞いて理解できるような内容であってほしいですし、ここに立ちたかったであろう晶子が受け入れられるような判決を、仏前に報告できるよう、強く、強く、本当に強く望んでいます」
■判決を見届ける前に亡くなった遺族も
事件から4年以上がたち、はじまった裁判。中には、判決を見届けることなくこの世を去った遺族もいます。
石田奈央美さん(当時49歳)。27年間、京都アニメーションで色彩設計の担当として作品に携わってきました。
奈央美さんは父と母と3人で暮らしていました。
【石田奈央美さんの母】「年月たってもやっぱり忘れられへんと思います。まさかこんな形で終わると思わへんかった。ほんまショックです。まだ死んだみたいに思わへん。時たま、帰ってくるかなと錯覚起こす時もあります」
【石田奈央美さんの父】「あいつ(奈央美さん)の位牌の前に立つと、どうしても“うぉー”ってなってくるんですよ。さっきまでそこで一緒にしゃべってたのに、それがパッとおらんようになってしまった」
4年の月日がたち、母は奈央美さんの部屋を片づけることにしました。
【石田奈央美さんの母】「こんなんやで、何にもあらへんで。これ(ぬいぐるみ)はお父さんがお土産で買ってきたんや。これ弟にも買ったけど弟はもうくちゃくちゃなってしまって、あの人(奈央美さん)は何でも物を大事にするから、まださら(新品)で置いてある」
思い出の品もほとんど処分しましたが、奈央美さんが携わった作品のDVDや、火災の中、スタジオ内から見つかった奈央美さんのノートは捨てずに大切に保管していました。
あまり仕事のことは話さなかったという奈央美さん。事件後、両親は奈央美さんが色彩設計を担当した作品を初めて見ました。
【石田奈央美さんの母】「すごいな。きれいやな。暗いところなんか、すごくきれい」
娘の仕事ぶりを知り、「なぜ事件に巻き込まれたのか知りたい」。そんな思いで1日でも早く裁判が開かれることを願っていました。
【石田奈央美さんの母】「青葉被告がどう言うかや、公判の時に。(Q.なぜやったのか?)どういう証言をするか、そこが一番問題やと思う。それしかないのちゃう?」
しかし、初公判の1カ月前、父は87歳でこの世を去りました。母は父の死を受け、裁判に参加しないことにしました。
【石田奈央美さんの母】「お父さんが生きてる時に『(裁判に)行こうな』って言うてたけど、そりゃあもう行けんようになってしまったから、どうしようもない。息子が(裁判に)行った時に『行かん方がいい』って言ってた。『思い出すから行かん方がいい』って。だからやめたんです」
裁判の内容をニュースで聞くようにしていた母。青葉被告が法廷で初めて謝罪しても、反省の意思は感じられなかったといいます。
【石田奈央美さんの母】「口先だけやと思うわ。ほんま自分の心から思ってへんわ、あの人。(Q.青葉被告は罪に向き合っていると思う?)そんなん思わない。そんなん思ってるか。自分の犯した罪、何も思ってへんわ、そんなん。ほんま憎たらしい。(奈央美さんは)それで死なないとあかん寿命やったんやって思うねん。助かった人は寿命があったから助かった。そう思ってる。そう思わなかったら、生きていけないわ」
娘の死と向き合い続けた母にとって、青葉被告の言葉は最後まで納得できるものではありませんでした。今、ただ望むのは「求刑通りの死刑判決を下してほしい」、その思いだけです。
【石田奈央美さんの母】「私は苦しんで、苦しんで死んでほしいって思ってる。ようけ人殺しといてな。なんで自分だけが生き延びなあかんの。おかしいやん。死刑になっても子供は帰ってこないけど、だけどそんだけ殺したら自分の命をあれ(死刑に)しないと、納得できひんよ、私ら」
36人の命を奪った京都アニメーション放火殺人事件。判決は1月25日に言い渡されます。
(関西テレビ「newsランナー」 2024年1月23日放送)