兵庫県西宮市に住む、津高智博さん(46)。震災で6歳下の弟・誠さん(当時12歳)を亡くしました。
【津高智博さん】「生意気やけども可愛いやつっていう感じでした。震災の前日、1月16日の夜も一緒に本を買って帰ってきて。お風呂に入って、その買ってきた本を弟が読んでいたんですけど、その時にもう夜11時過ぎてたんで、「早く寝なさいよ」って一言声をかけたのが最後ですね。 今から考えたら、そんなん言わんかったら良かったと思うんですけど。もっと本を読ませてあげればよかったかなと思います。その辺は悔いが残りますね」
西宮市は最大震度7を記録する強い揺れで、建物のおよそ半数が全壊、または半壊する大きな被害がありました。津高さんの自宅は西半分だけが崩れ落ち、たまたまそこで寝ていた誠さんが下敷きになりました。
誠さんを含む児童が5人亡くなった、西宮市立高木小学校では「復興の鐘」が震災の半年後に作られ、1月17日午前5時46分に、追悼のために毎年鳴らされています。しかし、津高さんは鐘ができてから15年間は行くことを避けていました。
【津高智博さん】「それぐらいの同じ歳の小学生を見るのが怖かったのかもしれないですね。あれぐらいの歳やったなと思うと、また悲しくなってくるという部分はあります。15年くらい経って、やっと自分の心の中で受け入れることができました」
今では一人の親としてあの日を迎えます。娘の彩月さん(8)は誠さんと同じ高木小学校に入学し、 去年初めて1月17日の朝に追悼の鐘を鳴らしました。
―Q:お父さんの弟の話を聞いて、思うことある?
【娘・彩月さん】「もしお父さんの弟が生きていたら、会ってみたかった」
津高さんは親になってから、気づいたことがあります。
【津高智博さん】「この子がもう8歳と半年ですし、弟と一緒にいた時間にだいぶ追いついてきていますし。最初の頃はこの子がいなかったので、弟を亡くした悲しみやっただけなんですけど、やっぱり子供ができて大きくなってくると、この子を亡くしたらどうなってしまうんだろうっていう、親としての悲しさっていうのもわかりました」
1月17日のきょうも、一緒にあの日に思いを寄せます。
(2024年1月17日 関西テレビ「この瞬間に祈る」放送)