3日午後8時、兵庫県明石市で事前に告知しない「シークレット花火」が打ち上げられました。花火はおよそ3分間で75発。小さな規模でしたが、これが明石市にとって「22年ぶりの花火」となりました。
2001年7月、明石市が主催する花火大会で、会場と駅をつなぐ歩道橋が異常な混雑状態となり、大勢の人が折り重なって倒れる「群衆雪崩」が発生しました。この事故で11人が死亡、247人が重軽傷を負いました。原因は、明石市と警察、警備会社の3者による「ずさんな警備体制」でした。悲惨な事故を起こした明石市では、以降22年間、花火が打ち上げられることはありませんでした。
そんな中、明石の花火を復活させようという動きが徐々に出てきました。
市内でイベントなどを手掛けていた西田元貴さん(43)と足立達哉さん(44)が中心になって、花火打ち上げの企画を進めました。そして今回、地元の商店街連合会青年部や商工会議所青年部など4つの団体がつくるプロジェクトが主体となって花火を打ち上げることが決まったのです。 西田さんと足立さんは花火への思いを次のように語りました。
「最初の1回が大事だと思っていて。20年以上できていないのは誰のせいでもないんですけど、誰かがやろうと旗を振らないと、ずっとないままでしょうし」(足立さん)
「ただ、ほんまに明石を進めたい。みんなが今までやれなかったことをやりたいという思いで始めました」(西田さん)
西田さんたちは、5年前から花火の打ち上げを計画していましたが、周囲の理解や警察からの協力を得られず、断念。明石で花火を上げるハードルの高さを痛感してきました。そこで今回、考案したのが、ごく少数の関係者以外には知らせず、極秘で打ち上げる「シークレット花火」です。
「まずはシークレットで。人が来ないのが今回の花火の目的です。明石の花火という位置づけを(関係者は)みんな理解してくれて、なるべく広めないようにしてくれています。事故があって、明石では花火が上げられないと、みんなその頭があると思うので。今回上がったら成功になると思います」(西田さん)
プロジェクトの打ち合わせには、22年前の歩道橋事故で当時2歳の次男を亡くした下村誠治(65)さんも参加しました。下村さんは「事故を起こすと二度とできなくなってしまう。未来につながるよう頑張っていきましょう」と、安全な花火の打ち上げを呼びかけました。 また、明石警察署もプロジェクトの現地調査に同行し、警備計画の作成に全面的に協力。警察からの理解を得られ、何とか打ち上げにたどり着きました。
いよいよ打ち上げが行われる3日の夜。会場周辺に約100人の警備員を配置し、万全の警備体制で午後8時を迎えました。初めに追悼の花火が打ち上げられ、事故の犠牲者に黙とうが捧げられました。その後、合わせて75発の色鮮やかな花火が打ち上げられ、明石の夜空に22年ぶりとなる花火の音が鳴り響きました。
プロジェクトメンバーたちと一緒に花火を見た下村誠治さんは次のように話しました。 「皆さん、よく頑張って頂いた。あとは、みんなが帰って、そこで無事終えたということなので、最後、気を抜かずにやっていただきたいと思います。皆さんの思いをずっと見てきたので、感謝しながら花火を見せて頂きました。子どもの歓声も聞こえてきて、嬉しかったです。できたら、子どもとお年寄りだけで楽しめるスペースでやっていただけたら、僕たちもうれしいと思いますが、今回は、いい試金石になると思います。思ったより立派な花火でびっくりしました」
明石の人々にとって忘れることのできない75発の花火。小さな規模の花火ですが、事故の教訓を残し、未来につながる大きな一歩となりました。
(関西テレビ 2023年11月3日)