京アニ放火殺人 “予測死亡率97.45%”だった青葉被告 「“死に逃げ”させない」ぶれなかった主治医 4カ月の治療を記した手記「命の尊さ認識させ…被害に遭われた方へのせめての償いになれば」 2023年09月04日
やけど治療のスペシャリスト、鳥取大学医学部付属病院の上田敬博教授(51)。「京都アニメーション放火殺人事件」で、殺人などの罪で起訴された、青葉真司被告の主治医を務めています。
上田教授は、青葉被告を治療したおよそ4カ月の日々を手記にまとめていました。そこに記された、回復の過程にあった青葉被告の様子、治療にあたった医師としての思いとはー
■京都アニメーション第一スタジオ放火 36人死亡、32人重軽傷
2019年7月18日、京都アニメーション第一スタジオが放火され、36人が死亡、32人が重軽傷を負いました。日本を代表するアニメスタジオを襲った悲劇は、世界中に大きな衝撃を与えました。
青葉真司被告(45)は、ガソリンをまいて火をつけた殺人などの罪で逮捕・起訴されました。
【事件直後の青葉被告を目撃した人】
「『パクられた』とかっていうような言葉も使っていた。自分が悪いんじゃなくて、被害者的なものの言い方をしていたように聞こえました」
事件直後には、「自身の小説が盗まれた」と主張し、スタジオから100メートルほど離れた場所で、取り押さえられました。
■全身の93%にやけどを負った青葉被告 治療にあたった上田教授
全身の93パーセントにやけどを負った青葉被告は、2日後、京都の病院から大阪の近畿大学病院に搬送されます。当時、この病院に勤務していたのが上田教授でした。
【上田教授】
「これが資料になります」
上田教授は、青葉被告を治療した、約4カ月の日々を、手記にまとめています。
【上田教授の手記より】
「7月19日 人としての原形をとどめておらず、『こいつがたくさんの命を奪った犯人か』という陰性感情はなく、もうすぐ絶命するだろう…それしか感じなかった」
【上田教授】
「事件が起きた日に各医療機関に電話しまくって、被害に遭われた負傷者を1人でも、うち(近畿大学病院)はやけど強いので送ってくれって、当時の初療担当している医者や病院に電話して、片っ端からかけていったんです。結局1件も転院依頼はなくて」
「でも、『もう1人、実は診てほしい人がいる』って言われて、ちょっと嫌な気はしましたけど、もしかしたらと思ったらやっぱりそうだった。犠牲になられた方とご家族、被害に遭われた方とそのご家族のためには、『死に逃げ』させてはいけない。その思いが強くて、絶対容疑者を死なせちゃいけない。それだけです。そこはずっとぶれなかった」
治療にあたり、医師や看護師の“医療チーム”を結成します。
【医療チームの一員 福田隆人医師】
「今までで一番経験したことがない重症度で、本当に救えるんかなっていう気持ちが多かったですけど、上田先生とかが、『やるしかない』って言うので、チームのリーダーになってやっていた姿を見て、助かるかどうかじゃなくて、助けなあかんっていう気持ちになりました」
青葉被告が搬送されると、上田教授は、4回に分けて全身の壊死した組織を取り除き、コラーゲンなどでできた「人工真皮」を貼りつけていきます。その上で、わずかに残った正常な皮膚から作った「自家培養表皮」の移植を行いました。
ただ、ここで高いハードルがあります。「自家培養表皮」は皮膚の細胞を人工的に培養するため、作るのに3週間から4週間かかるのです。完成を待つこの間、上田教授たちは血圧の維持や感染症への対策など、命をつなぐギリギリの戦いを続けていました。
■約4カ月の治療期間 克明に手記に記録
手記には、揺れる胸の内が記されています。
【上田教授の手記より】
「予測死亡率は97.45パーセント」
「手術のことで頭がいっぱい」
「起床時から激しいめまい」
「疲れが全く取れない」
「自宅のインターホンが鳴った。『ウエダタカヒロさんの自宅はここでしょうか?』…新聞のものですが。余計な緊張が増えただけだ。くそ野郎」
「死なせてはいけない」
【上田教授】
「フロアが、上がICUなんですけど。なんかあったら僕のところにすぐ連絡がくるのは分かってるんですけど、その前にテレビとかネットに、『もうあかんかった』っていう情報が出るんじゃないかっていう錯覚になるので、そういうのが出てないかなって思うと、すぐ上に行って状態診たり、『まだ生きてる』とか、そういう感じ。2時間おきに繰り返してる」
血圧の平均値と尿の量を表したグラフで見ると、青葉被告の容態は、「自家培養表皮」の移植手術を行った時期を境に、みるみる回復します。
【上田教授の手記より】
「スピーチカニューレを入れ替えすると、声が出たことに驚いていた。『こ、声がでる』『もう二度と声を出せないと思っていた』。そういいながら泣き始めた」
【上田教授】
「で、そのあともずっとその日は泣いていたので、夕方にまた、『なんで泣くんだ』って話を聞いたら、自分とまったく縁がないというか、メリットがない自分にここまで治療に関わる人間、ナースも含めて、いるっていうことに関して、そういう人間がいるんだという感じでずっと泣いていました」
関係者への取材で、最初の移植手術直後の映像を入手しました。
【上田教授】
「五回手術してん。で、あと少なくとも、4回は手術をします。分かった?頑張れる?」
上田教授の言葉に、寝たきりの状態の青葉被告は小さくうなずきました。
【上田教授】
「がんばれるらしい。はいがんばろね」
■手記を読み返す上田教授「弱音を吐けなかったから、自分に弱音を書いていた」
上田教授は、近畿大学病院を離れ、現在は鳥取大学医学部附属病院の高度救命救急センターを率いています。
【上田教授】
「今日のデータがこうだったとか、毎日書いていたんですけど、途中でぐちが入っていたりして」
久しぶりに、自身の手記を読み返していました。
【上田教授】
「誰にも弱音を吐けなかったから、自分に弱音を書いていた感じがします」
容態が回復するにつれ、青葉被告は周囲とコミュニケーションを取るようになります。
【上田教授の手記より】
「11月7日 家に帰してほしいと言う。『歩けないのにどうやって生活する?』と尋ねると、『歩けます』と答えた。実際に足を動かすように促すと、足を動かせずあきらめの顔をする」
上田教授の後を追って、医療チームの医師が鳥取に赴任してきました。
(Q.青葉被告と会話を交わす機会もあったと思うが?)
【福田医師】
「何回かしゃべる機会はあったんですけど、一番心に残っているというか、克明に覚えているのは、『まわりに味方がいなかった』っていうのが一番言葉で残ってて。どこかで彼の人生を変えるところはあったんじゃないかなっていうのを、その言葉を聞いて思って。僕たちって治療を始めたときから転院したときのことまでしか知らないですけど、40年以上の人生があって、どこかで支えとなる人がいたら、現実はもうちょっと変わったんじゃないかなっていうのは、そのとき思いました」
■治療を終え転院する青葉被告 「考え直さないといけない」と上田教授に語る
11月14日、転院の日。近畿大学病院でのやけど治療が終わりました。転院先となる京都の病院に向かう車の中で、上田教授は青葉被告と向き合います。
【上田教授】
「自分も全身熱傷になったことは予想外?」
【青葉被告】
「全く予想していなかったです。目覚めたときは夢と現実を行ったり来たりしているのかと思いました」
「僕なんか、底辺の中の“低”の人間で、生きる価値がないんです。死んでも誰も悲しまないし、だからどうなってもいいやという思いでした」
【上田教授】
「俺らが治療して考えに変化があった?」
【青葉被告】
「今までのことを考え直さないといけないと思っています」
【上田教授】
「もう自暴自棄になったらあかんで」
【青葉被告】
「はい、分かりました。すみませんでした」
【上田教授】
「ちょっと意地悪い言い方をすれば、やっぱり僕は後悔させたいというか、やらんかったらよかったと。こうやって正面から向き合ってくれる人らもいるんだと。人生自分の敵ばっかりではない。こういうことやらなかったらリセットできたかもしれないわけじゃないですか。人生を。多くの人が犠牲にならなくてもよかった。一番彼を悔い改めさせるというか、後悔させるっていうのは、すごい大切だと思いますし、ただ、その言葉がどこかで聞けるのかどうかっていうことに関してはちょっと、どこで聞けるのかなっていうのも考えたりしますね」
36人の命が奪われた京都アニメーション放火殺人事件。事件からおよそ10か月たった2020年5月に、逮捕の日を迎えます。
■医療チームに携わり、今も割り切れない思いを抱える医師も
青葉被告の治療に携わり、今も割り切れない思いを抱える医師もいます。
【青葉被告の医療チームの医師】
「僕ら普段から、感謝してもらえるような、職業柄そういった立場にいて、その言葉を何気なく受け取ったりとか、する言葉なのになんか、『治療してくれてありがとうございました』って言われたときに、なんか、スッキリはしなかったっていうのは、すごい覚えていますね。なんとも、その表現として言葉にできないんですけど。本当に“違和感”はすごい覚えました」
「『みんなが望んでたのかな』とか『望まへん人もいたんじゃないかな』とか、そういうことを考えてしまうから、あんまりそこを、はっきり自分の中でさせたくない。その人たちの立場になったときに、本当に自分がやったことは正しかったかなっていうのは、おそらくずっと葛藤としてあると思う」
「もやっとする。一生もやっとするんですよ…たぶん」
2020年6月、逮捕の翌月。上田教授は青葉被告の診察のため、ひそかに大阪拘置所を訪れていました。
(Q.(青葉被告の)様子はどうでしたか?)
【上田教授】
「元気そうでした。傷はほとんど閉創してる状態で、処置するところもほとんどないし、正直、培養表皮であんだけ良くなるっていうのもあんまりないんで。ふつうの一般的な患者さんだったらもっと両手を上げて万歳って喜ぶような傷でしたね」
「かなり良くなっている彼を見ると、たらればだけど、犠牲になった方をお一人でも同じような技術で救いたかったなと、ちょっと今日は思いましたね」
■青葉被告と同じプロセスで全身の95%にやけどを負った患者が回復
上田教授のもとに、50代(当時)の重症患者が運ばれてきました。全身の皮膚の95パーセントにやけどを負っていて、青葉被告を上回るケースでした。上田教授は、青葉被告に行った治療と同じプロセスを踏み、正常な皮膚から作った「自家培養表皮」を移植していきます。“あの経験”が道しるべになっていました。男性は、合わせて10回の手術を受けて、自分の足で動けるまでに回復しました。現在は退院しています。
【上田教授】
「医療の未熟さで患者さんとかが不利益を被ったり、命を落とすっていうのは、もう見たくないんですよ」
今年1月、上田教授が大阪拘置所を再び訪れました。青葉被告とここで顔を合わせるのは6回目になります。治療はこれが最後になりました。
【上田教授】
「今、服のボタンとかも自分で留められるんですよ。あとは寝たところから座ったり寝返りうったり、自分でズボンを上げたりっていうのを見せて、アピールではないですけど、『ここまでできるようになりました』みたいな、そういうアピールが多かったです」
「まあ身体的なところはもう、いったん治療終了で、自分はそれ以外の治療は専門外なので、あとは彼のわずかに残された人間性が司法で出るかどうかっていうところじゃないですか。それはどういうことかというと、さっき言ったように、もうちゃんと謝るっていうか、償うっていうことじゃないかなって思ってるんですけど。向き合ってほしいですよね」
【上田教授の手記より】
「転院を終わらせた後の気持ちを忘れる前に記す。助かった命のありがたさを感じると同時に、迫りくるだろう死に日々おびえることになるだろう。それがさらに命の尊さを認識させるに違いない。ただ単に救命するだけでなく、そういう状況にもっていけたことが、犠牲になった方や被害に遭われた方への、せめての償いになればとの思いが、主治医としては1番大きい」
36人の命がこの場所で失われ、32人がこの場所で傷つき、今も治療を続ける人がいます。4年が経ち、9月5日、裁判が始まります。
(関西テレビ「newsランナー」2023年9月4日放送)