親しまれた銭湯 再生に挑む32歳の常連女性客 高齢の経営者は「もうギブアップ」 震災では被災者たちの安らぎの場に 再生はバンド演奏や湯上りビールのアイデアで 2023年08月27日
70年以上営業してきた老舗の銭湯。つぶれかけのこの銭湯を変えたのは常連客の若い女性でした。手探りで始めた再建への道のりはトラブルだらけ。彼女が目指す銭湯の新しいカタチとは?
■商店街の人々に愛されてきた銭湯「湊河湯」
「神戸の台所」と呼ばれる、東山商店街。その商店街から一本路地に入ったところにあるのが、1949年(昭和24年)創業の「湊河湯(みなとがわゆ)」です。
元木美智子さん(77)は、夫の淳さんと共に「湊河湯」を含め、親族で5軒の銭湯を営んでいました。その長い歴史の中で忘れられない出来事が1995年の阪神淡路大震災です。
【元木美智子さん】
「うちのお風呂も震災で3軒なくなったからね。(湊河湯は)浴槽と機械室が全部だめになった。そこを全部新しくしました」
神戸では多くの地域で水道やガスが止まり、被災者は何日も風呂に入れない状況が続きました。そんな中、ひと時の安らぎをもたらしたのが銭湯でした。
湊河湯も震災の被害を受けましたが、2週間もしないうちに営業を再開させました。
【東山商店街で働く人たちは…】
「やっぱり仕事で体が汚いから、ものすごく助かって。いまだに感謝しています」
「(震災で)開放している時にみんな行かしてもらった。息子も行ったし。みんな、あそこは思い出があります」
【元木美智子さん】
「雪がちらちらするのに、ずっと銀行の向こうまで人が並んで、こんなことしていたら、お客さんが入られへんということで、皆さんに『(入浴を)2、30分にしてください』ということで。10人ぐらいずつ入れ替えで『時間です、申し訳ない、出てください』って。また入れ替えして」
地元に愛されてきた「湊河湯」でしたが、時は流れ、元木さん夫婦も高齢になりました。
■先代が他界し金銭・体力的にも…廃業寸前の銭湯 引き継いだ常連客の若者
2023年1月、夫の淳さんは病気で亡くなりました(享年81歳)。美智子さんや、元木さん夫婦の子どもたちは後を引き継ぐことは難しいと考え、「湊河湯」は休業状態となっていました。
【元木美智子さん】
「私と主人がもうギブアップ。体力的に無理だった。全然やれる気がしなかった。このまま…と言う感じで」
廃業寸前の「湊河湯」を引き継ぎたいと名乗り出たのが、松田悠(まつだ・ゆう)さん、32歳。10年以上前からの常連客でした。
【松田悠さん】
「(先代の淳さんと)そんな話すことはなかったですけど、すごく優しくて。優しさがにじみ出ていて好きでした。ちょっと疲れたこととかあったら、湊河湯に来ていましたね。にぎやかな東山商店街の中にある、ぽっとしたオアシスみたいな存在に感じていて」
銭湯を引き継ぐことが決まったのは、オープンのわずか3カ月前。松田さんが目指す銭湯は、「以前からの常連客と新しく来る若者、どちらも楽しめる銭湯」です。
■水漏れなど様々なトラブル オープンに向け手探りで1つずつ解決
オープンまであと1カ月になった 7月12日。この日は風呂の湯を出して沸かすことができるのか、先代の淳さんの息子・英雄さんと機械を試運転します。
亡くなった先代の淳さんは1人でボイラー室を管理していたため、いまとなっては誰も使い方が分かりません。突然の水漏れなどトラブルが…
長年使い込まれたボイラー室、手探りで問題を解決していきます。
【松田悠さん】
「たぶんこういうバルブとかも全開にしたらダメとか。1周半とかそういうのであふれちゃったりとか。毎日沸かしてみて、何か起こったら1個ずつ解決していく」
■ファンを増やしたい オープン前に銭湯でバンドの生演奏
以前から銭湯とお酒と音楽が大好きだった松田さん。銭湯の経営をする前までは、アイドルのマネージャーや、イベントの企画などをしてきました。
オープンを前に新しい湊河湯のファンを増やそうと一風変わったイベントを仕掛けました。
銭湯でバンドの生演奏を開催することにしたのです。SNSで告知したところ、およそ40人のお客さんが集まりました。
かつては地元の高齢者の憩いの場だった「湊河湯」。そこに大勢の若者があつまりました。様子を見に来た美智子さん、心を動かされるものがあったようです。
【元木美智子さん】
「若い方がこれだけ盛り上げてくれて、っていうのが第一でした。音楽聞いてあまり分かる世代じゃないけど、ちょっと感無量になりました。以前はお年寄りばっかりだったんですけれど、若い方がこれからは盛り上げて欲しいですね」
美智子さんの目から、温かい涙がこぼれました。
■新たなカタチ 常連客と若者が楽しめる銭湯オープン クラフトビールも
新しい「湊河湯」、当初の予定より1カ月遅れとなりましたが、8月11日、オープンしました。
【松田悠さん】
「お待たせしました!それではお入りください」
松田さんが掛けた暖簾(のれん)をくぐって、待ちわびた利用客が中に入りました。きれいになった中の様子に、歓声が上がります。
脱衣所を見渡していた番台は、今の時代にそぐわないとして取り外しました。
脱衣所の窓やいすの脚は、屋号の「湊河」にちなんで川の曲線をモチーフにしたデザインに。きれいな状態だった浴室は手を加えずそのままにしました。
そして松田さん1番のこだわりは立ち飲みスペースです。お風呂上がりに地元のクラフトビールを楽しめます。
【お客さんたち】
「おいしいです。最高」
「ええ湯。知り合いが来るでしょ、昔からのなじみの人が。そういう人らと仕事終わりに話できるし。地域の人にとっては最高やな」
「元々、銭湯が好きで。SNSでかなりよく発信されていたので。古く残されている部分と新しい場所がミックスされていて、面白い場所だなと思います」
オープン当日におよそ230人が訪れました。子どもからおじいちゃん、おばあちゃんまで、幅広い世代のお客さんがやって来ました。
【松田悠さん】
「中の会話が聞こえてきたら、『久しぶり』みたいな。常連さん同士の声とかが、『これこれ』みたいな感じだし、さっきの飲んでいた若い男性とか女性に聞いたら『めっちゃ話しかけてくれる』って。気楽に、中で常連さんがここら辺の情報とか教えてくれる。銭湯があるべき姿になりつつありますね」
美智子さんも訪れ、かっての常連客に「お待たせしました」と声を掛けます。
【常連客】
「ほんとや!」
【元木美智子さん】
「1年近く、長かったですね」
地元の常連客ばかりだった銭湯に、若者という新しい風が吹き込んできました。時代に合わせてカタチを変えて、「湊河湯」は再び人と人をつなぐ場所を目指します。
■年々減少する銭湯 背景に何が? 見えてきた“課題”
湊河湯は再建しましたが、兵庫県内の公衆浴場数は年々減少しています。1967年には最多の985軒でしたが、年々減少していき、2023年6月には、87軒にまで減ってしまっています。
なぜ、ここまで減少してしまったのか?銭湯が減ってしまった背景には、後継者不足・設備の老朽化・利用客の減少があるといわれています。
全国の銭湯を再生している「ゆとなみ社」という会社があり、湊河湯を再建している松田さんも、実はここの社員です。
その「ゆとなみ社」の代表の湊さんに、銭湯が減少している現状について、話を聞きました。
【「ゆとなみ社」代表取締役 湊 三次郎さん】
「8年間で、10軒を再生したが、減少ペースに全然追いつかない。でも、やっぱり銭湯があると、街が豊かになるので、何とか再生したい」
減少傾向はあるものの、銭湯の良さにあらためて気付く若者たちもいます。銭湯を再生させていきたいと願う人たちの取り組みは続きます。
(2023年8月23日 関西テレビ「newsランナー」放送)