8歳で一人異国に残され…母の遺体を運びながら「生きてやる」 自分が死んだ後も戦争の記憶残したい 86歳の戦災孤児が描く絵本 次世代に『家族を、今を大切に』と伝えたい #戦争の記憶 2023年08月15日
アジア・太平洋戦争の終戦から78年。終戦の直後、8歳の子供が家族を失って孤児になり、路上生活を強いられました。どうやって生き延びたのか…その過酷な体験を次世代に伝えたいと京都府の86歳男性が描いた絵本があります。
■8歳で戦災孤児に…86歳男性が描く これまでの過酷な経験を絵本に
京都府亀岡市の黒田雅夫(くろだ・まさお)さん(86)。この日、初めて自分の絵本を手にしました。
【黒田雅夫さん】
「うれしいです、昔のことを思い出してできたことが本当にうれしいです」
自分が死んだ後も戦争の記憶を残したいと、たくさんの絵を描いてきました。
戦争のさなか、黒田さんの家族は、今の中国にあった「満州」に移り住みました。満州を支配していた日本の政府は、開拓団を募集し、およそ27万人が移住しました。
満州に行ってから、お父さんに3回目の召集令状が届きました。
【雅夫さん】
「お父さんはどこへ行くの?」
【雅夫さんの母】
「兵隊に行くのよ」
【雅夫さん】
「すぐに帰ってくるの?」
雅夫さんの質問に母は答えませんでした。残されたのは、8歳の雅夫さんと5歳の弟、お母さん、おじいさんでした。
1945年、戦争が終わる直前に、敵の国が満州に攻めてきました。
【雅夫さんの母】
「雅夫、逃げるよ!静かに歩くのよ!」
人々は、300キロ以上を歩いて逃げました。食べ物はほとんどなく、たくさんの人が亡くなりました。
1カ月後、たどり着いたのは難民の収容所。ここでも食べ物は少ししか配られず、遺体が山のようになっていました。黒田さんのおじいさんもここで亡くなりました。
【黒田雅夫さん】
「これは栄養失調で亡くなった人なんです。当時は死ぬのが当たり前になっていた、生きるよりも」
お母さんも寝たきりになり、幼い弟は中国人に預けられました。
ある日、お母さんが起き上がって、ご飯を作ってくれました。
【雅夫さんの母】
「もっと、もっと食べなさい」
次の日の朝、お母さんは冷たくなっていました。32歳でした。やせ細った遺体を運びながら、黒田さんは「生きてやる」と強く思いました。
【黒田雅夫さん】
「今晩かあすぐらいまでしか命が持たないと分かっていたのでは…。そうじゃなかったら夜中にもう一回起こして『食べ』と言わない」
ひとりぼっちになった雅夫さんは、収容所から逃げました。親のいない子供は売られてしまうといわれていたからです。
路上で生活し、毎日寝る場所を変えました。ごみの中から食べ物を探したり、中国人がくれたものを食べたりしました。
2カ月ほどたち、キリスト教の教会の人に保護されました。そして、一人だけ日本に帰れたのです。
【黒田雅夫さん】
「母親や死んでいった人がどれだけ日本に帰りたかったか、それをみんなにもう一回伝えたい。命の大切さを子供たちに伝え、戦争を知らない方にも絵本で残せることが、本当にうれしい思いでいっぱい」
家族を大切に、今を大切に、生きてほしいと願いを込めた絵本です。黒田さんの絵本「今を生きる」は、2023年秋から販売する予定です。
(関西テレビ「newsランナー」2023年8月15日放送)